私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

苦の根本について

2015年03月06日 09時25分11秒 | 私の成り立ち
◇苦の根本について◇

あまり苦のことについて書くと、私自身もそうですし、みなさんもうんざりされるだろうと思って控え気味にしていたのですが、少し書いておきますね。

私という存在は、連鎖的に発生する意識そのものであり、縁起そのものです。
その意識は、絶えず生滅変化を繰り返しています。
私という自我意識は、そのような生滅変化を繰り返す意識の一部としてその中に含まれています。
自我意識からすると、その生滅変化の様子はままならないものであり、絶えず起こるその生滅変化に付き合わされ、引きずり回されている訳です。

そこに私たち存在の苦の根本があります。

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意識と時間の周辺について

2015年03月06日 07時58分50秒 | 私の成り立ち
◇意識と時間の周辺について◇

意識と時間の周辺について、掲示板の方に少し文章を書いたので、それをブログにも残しておこうと思います。

基本は、時間も考え、つまり意識そのものであり、幻なのです。

自覚を進めていくと、いずれ、私とは意識そのものだと分かるときがきますが、さらに、意識とは何かについてさらに追求していくと、それがパッ、パッ、パッと断続的かつ連鎖的に起こっていることに気づくようになります。
その意識の連鎖が、縁起なのです。
つまり、意識とは縁起なのです。

縁起ですから、前後に何らかの因果性を有する連鎖的な起こりがある訳なのです。
つまり、そこには前と後という何らかの順番的な繋がりがある訳なのです。
その順番的な繋がりが、時間的な要素や感覚の根本的な出所になっています。

上で(注:掲示板の中の先に書いた文章のことを言っています)、未来予知は基本的に当たらないのは、未来を予知しようとするその意図の前提にその予知対象に対する不確実的要素が前提として入り込んでいるからだと書きました。
その説明はそれはそれでいいのですが、縁起の観点からもちょっと面白いことが言えるので、それを書いてみようと思います。

縁起というと、縁起は原因と結果の関係ですから、一義的あるいは一意的に決まったこれしか無いという
ひとつに決まったことの展開、連鎖を想像される方がおられるでしょうが、どうではそうではなのです。
どういうことかと言うと、縁起はパッパッパッと起こっていく連鎖なのですが、その各ステップ間に不可避的にある程度の不確実性が入り込んでいるようなのです。
どうやら、ことの展開の不確実性の由来は、その縁起の各ステップ間の不確実性にあるようなのです。

以上です。


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