私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悔いの無い人生

2015年03月11日 13時14分46秒 | エッセイ
◇悔いの無い人生◇

私が二十歳ころから考えていたことのひとつに、一番いい人生とはどんな人生なのかというのがありました。
そのとき、ひとつの結論として得た答えが、悔いの無い人生というものでした。
もうひとつ考えたものとして、納得できる人生というのも考えたのですが、納得するのは少し難しく感じたので、自分は悔いが無ければそれでいいんだと思ったのでした。
また、ちょっとこじつけではありますが、悔いが無ければ納得したも同然ではないかとも思ったりもしました(笑)。
それ以来、私は紆余曲折はありましたが、悔いが残らないようにということを一番に心がけて生きてきました。

この悔いの無い人生、納得できる人生というのは、悟り云々を抜きにして、人生の本質を突いていると思っています。
だって、他の人が何と言おうと、本人が悔いが無い、これでといいと納得しているのですから、これ以上のものは無い訳なのです。
腹の底からこれでよかったと思いながら死んでいくのですから、これを最高と言わずにどうするのかという訳です(笑)。

しかし現実には、それが難しいようです。
果たしてどれくらいの方が、悔いなく死を迎えているのでしょうか。

やりたいこと、あるいはやるべきと感じることがある人は、素直にそれに取り組んで頂きたいと思います。

多くの場合、結果は問題になりません。
やりたいというその対象にしっかりと取り組むその姿勢と過程が大切なんだと思います。
しっかりと取り組めば、結果の如何にかかわらず、納得が生じ、悔いも残らないのです。

逃げずに、しっかりと取り組んで頂きたいと思います。

そうすると、悟りは自ずと向こうからやってきます。


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滅私、苦滅という誤解

2015年03月11日 09時48分00秒 | 悟り
◇滅私、苦滅という誤解◇

悟りの道を歩む方々の多くはまだ、多くの囚われや誤解を持っておられます。
その代表的な誤解に、滅私、苦滅があります。
悟りの終着点が、滅私であり、苦滅であると思い込んでおられる方が多いのではないかと思います。

そのような誤解を持った方は、最終的に禅定やそれに類似の意識状態に逃げ込みます。
禅を含む大乗系の方々は「いま」に逃げ込み、ウパニシャッド系の方々は「在る」に逃げ込みます。
この意識の状態は、ただ観る意識である観照意識が優位になった状態で、思考や自己の感覚が抑制され、超越したような感覚が得られ、また苦しみも感じないため、多くの方ががこれが究極だと誤解してしまうのです。

しかし、その意識状態は、自我が都合良くつくりだしているものなのです。
自我が積極的にその状態を選択しているのです。
中には、自分でそれを選択していることも分からずに、それに囚われてしまい、一生の多くの時間をその状態で過ごす方もおられるのかもしれません。
しかし、その意識状態は自我のつくりものなのです。

自分がその意識状態を選択していることに気づいて頂きたいと思います。
自分がそこへ逃げ込んでいることに気づいて頂きたいと思います。

どうしてそこへ逃げ込むのでしょう。

それは、あなたがそれが良いと思っているからです。
どうして良いと思うのでしょう。
それは、苦しみから逃れられるからです。
あなたは、苦しみから逃れようと、そこに逃げ込んでいるのです。

確かに、私という存在は幻です。
しかし、私という感覚や意識は、幻でありながらも、最後まで消えることはありません。
私という感覚や意識に含まれるモヤモヤした気持ちや、苦しみを誤魔化さないで頂きたいと思います。
安易に逃げないで頂きたいと思います。

逃げているうちは、どうにもなりません。
延々と堂々巡りするだけです。
覚悟を決めて立ち向かって頂きたいと思います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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