◇夢に関連したメモ(夢の中は別人か)◇
今朝方見た夢の体験で、ちょっと面白いことが分かったのでメモしておきたいと思います。
今朝見た夢では、夢の中の主人公に完全に入り込んだ状態と、その主人公から微妙に乖離した意識がある状態との二つの状態の間を揺れ動きつつ、夢を見続けました。
主人公は、古い家の一室に引きこもるような感じで生活している男性でした。
年齢はいまの私と同じくらいか、少し若い感じで、少し痩せている感じでした。
名前もちゃんとありました。
忘れてしまったので、仮に古谷守にします。
この夢の記憶に残っているところの最初の部分は、私は古谷守に完全になりきっていたんです。
ところが、観照意識のような意識が夢の中でうっすらと目を覚ますようにして、あるいは、何らかの意識が幽体離脱のようにして古谷守から抜け出すようにして、夢の中で古谷守とは別個の意識が生じたのです。
この別個の意識が生じているときは、意識の中心はこの別個の意識にあり、その意識から、古谷守がいる夢の風景を観ている状態なのです。
そして、その別個の意識から、夢の中の古谷守を見て、「これ」は誰なんだと思ったのです。
その別個の意識自身は、普段の「慧空」だという認識がうっすらとあったんです。
それについては疑いが無かったのです。
それで、その古谷守とは一体誰なんだととても気になったのです。
でも、「誰だ」、「誰だなんだ」と考えながらも、また夢の中で古谷守に同化してしまったんです。
その「誰だ」という思いは、古谷守に同化した状態でも続いていました。
古谷守に同化した状態で、「自分は誰なのか」と自問していました。
面白いことに、古谷守に同化しているときは、普段の「慧空」の記憶や認識はありませんでした。
完全に古谷守になりきっていました。
それでも、「自分は誰なのか」と自問を続けていました。
そして、そうやって自問しているところで、夢から完全に目が覚めました。
目が覚めても、「自分は誰なのか」という自問は続いていました。
それで改めて思ったのです。
自分は、自分のことを「慧空だ」と思っているのだけど、そこには確かな根拠などなく、非常に不確かなものなんだなと。
敢えて言えば、私は「慧空」という人間ではなく、意識の連鎖なんだろうなと。
そして、その意識の連鎖という認識もまた幻なんだろうなと。
この夢の体験によって、分かったこともありました。
古谷守は、この普段の「慧空」とは全く別の存在だったということです。
両者の間に記憶等の繋がりは全くありませんでした。
古谷守には、「慧空」とは独立して、古谷守という記憶や世界がありました。
また、古谷守にもこの「慧空」と全く同じような感覚で肉体がちゃんとありました。
トイレでおしっこをしたのですが、そのときの感覚もまったく同じでした。
それで、輪廻が本当にあるのかどうかは知りませんが、もしあるとしたら、それは、夕べ私が夢の中で経験したこと、つまり意識だけの状態から古谷守に同化した状態になる経験と同じようなものなのかも知れないと思ったのでした。
以上、ちょっと奇妙な夢のお話しでした。(^o^)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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今朝方見た夢の体験で、ちょっと面白いことが分かったのでメモしておきたいと思います。
今朝見た夢では、夢の中の主人公に完全に入り込んだ状態と、その主人公から微妙に乖離した意識がある状態との二つの状態の間を揺れ動きつつ、夢を見続けました。
主人公は、古い家の一室に引きこもるような感じで生活している男性でした。
年齢はいまの私と同じくらいか、少し若い感じで、少し痩せている感じでした。
名前もちゃんとありました。
忘れてしまったので、仮に古谷守にします。
この夢の記憶に残っているところの最初の部分は、私は古谷守に完全になりきっていたんです。
ところが、観照意識のような意識が夢の中でうっすらと目を覚ますようにして、あるいは、何らかの意識が幽体離脱のようにして古谷守から抜け出すようにして、夢の中で古谷守とは別個の意識が生じたのです。
この別個の意識が生じているときは、意識の中心はこの別個の意識にあり、その意識から、古谷守がいる夢の風景を観ている状態なのです。
そして、その別個の意識から、夢の中の古谷守を見て、「これ」は誰なんだと思ったのです。
その別個の意識自身は、普段の「慧空」だという認識がうっすらとあったんです。
それについては疑いが無かったのです。
それで、その古谷守とは一体誰なんだととても気になったのです。
でも、「誰だ」、「誰だなんだ」と考えながらも、また夢の中で古谷守に同化してしまったんです。
その「誰だ」という思いは、古谷守に同化した状態でも続いていました。
古谷守に同化した状態で、「自分は誰なのか」と自問していました。
面白いことに、古谷守に同化しているときは、普段の「慧空」の記憶や認識はありませんでした。
完全に古谷守になりきっていました。
それでも、「自分は誰なのか」と自問を続けていました。
そして、そうやって自問しているところで、夢から完全に目が覚めました。
目が覚めても、「自分は誰なのか」という自問は続いていました。
それで改めて思ったのです。
自分は、自分のことを「慧空だ」と思っているのだけど、そこには確かな根拠などなく、非常に不確かなものなんだなと。
敢えて言えば、私は「慧空」という人間ではなく、意識の連鎖なんだろうなと。
そして、その意識の連鎖という認識もまた幻なんだろうなと。
この夢の体験によって、分かったこともありました。
古谷守は、この普段の「慧空」とは全く別の存在だったということです。
両者の間に記憶等の繋がりは全くありませんでした。
古谷守には、「慧空」とは独立して、古谷守という記憶や世界がありました。
また、古谷守にもこの「慧空」と全く同じような感覚で肉体がちゃんとありました。
トイレでおしっこをしたのですが、そのときの感覚もまったく同じでした。
それで、輪廻が本当にあるのかどうかは知りませんが、もしあるとしたら、それは、夕べ私が夢の中で経験したこと、つまり意識だけの状態から古谷守に同化した状態になる経験と同じようなものなのかも知れないと思ったのでした。
以上、ちょっと奇妙な夢のお話しでした。(^o^)
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