◇自分はどうしたいのか◇
「自分はどうしたいのか」、これは人が人生を生きる上で永遠のテーマだと思います。
その答えは、一見すると直ぐに見つかりそうに思われるかも知れませんが、ここでいう問いはもう少し深いものを言っています。
上の問いに対し、多くの人たちは、貧富や社会ステイタスなど、比較的表面的な社会基準等に基づいて自分のやりたいことや方向性を定めて生きています。
それに対して殆どの方々は何の疑いも持っていません。
何の疑いも感じない方はそれでもいいのです。
疑いがない以上、そうするしかありませんから。
でもいずれ、そんな社会基準等に基づいて生きている自分の生き方に対し、疑問や違和感を感じるときがきっときます。
そして、すべては無意味に感じられ、それが虚無感等に繋がっていくこともあると思います。
あるいは、何かの出来事により、大きな喪失感や絶望感が訪れるときがきます。
そんなときこそ、自分を見失わず、自分をしっかり見て頂きたいと思うのです。
社会基準等の表面的なことに囚われない自分の本当のやりたいことは何なのかを見つめ、見極めて頂きたいと思うのです。
やっとあなたが社会基準等に囚われないもっと深い人生のテーマに目を向けられるときが来たのですから。
そして、自分のやりたいことや方向性が見つかったなら、勇気を出して、力を振り絞って、動き出していただきたいと思います。
それは、あなたが過去から持ち越してきた人生の深い深い課題かも知れません。
あるいは、自分の内面を見つめる悟りの道かも知れません。
さあ、あなたの道を見つけてください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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「自分はどうしたいのか」、これは人が人生を生きる上で永遠のテーマだと思います。
その答えは、一見すると直ぐに見つかりそうに思われるかも知れませんが、ここでいう問いはもう少し深いものを言っています。
上の問いに対し、多くの人たちは、貧富や社会ステイタスなど、比較的表面的な社会基準等に基づいて自分のやりたいことや方向性を定めて生きています。
それに対して殆どの方々は何の疑いも持っていません。
何の疑いも感じない方はそれでもいいのです。
疑いがない以上、そうするしかありませんから。
でもいずれ、そんな社会基準等に基づいて生きている自分の生き方に対し、疑問や違和感を感じるときがきっときます。
そして、すべては無意味に感じられ、それが虚無感等に繋がっていくこともあると思います。
あるいは、何かの出来事により、大きな喪失感や絶望感が訪れるときがきます。
そんなときこそ、自分を見失わず、自分をしっかり見て頂きたいと思うのです。
社会基準等の表面的なことに囚われない自分の本当のやりたいことは何なのかを見つめ、見極めて頂きたいと思うのです。
やっとあなたが社会基準等に囚われないもっと深い人生のテーマに目を向けられるときが来たのですから。
そして、自分のやりたいことや方向性が見つかったなら、勇気を出して、力を振り絞って、動き出していただきたいと思います。
それは、あなたが過去から持ち越してきた人生の深い深い課題かも知れません。
あるいは、自分の内面を見つめる悟りの道かも知れません。
さあ、あなたの道を見つけてください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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未だにわかりません。
この思いにしっかり向き合ってこなかったのか、あるいは答えなんてそもそもなかったのか。
このままなんとなく人生が終わってしまうのもなんかもったいない、と自我が訴え続けているようです。
こんな私に、今さら何かやるべきことはあるのでしょうか。
今まで分からなかった人生のテーマ。過去から持ち越してきた課題。 それらを問い直し気づかされた時、それらから目を背け蓄積されてきた壁の大きさに身動きがとれない自身の無力感やジレンマとそれを突き動かそうとする衝動や葛藤に翻弄されていました。 虚無や無力感~足りない部分を嘆くより日々どうしたいのかを問い続けながら今ある現状を直視し一歩でも前へ踏み出し動き出して行く事でしかこの心の葛藤や衝動に応える道はないのだと感じています。
コメントありがとうございます。
おたずねのやりたいことがまだあるのかどうかについてですが、間違いなくまだ何かあるはずだと思います。
なぜなら、ちょっと極論ですが、本当に何もやりたいことがなくなったなら、その存在はその瞬間に解脱して消失してしまうはずですから(笑)。
ですから、まだ存在しているということは、なにがしかやりたいことが残っているはずなのです。
私(慧空)自身もまだやりたいことはあります。
とても希薄でたわいもないことばかりですが、まだ少し残っているのです。
それは主に家族と過ごす日常的なことです。
ですから、syuujiさんにもきっとあるんです。
それはsyuujiさんが気づいておられないだけで、ご自身の普段の生活の中にも既にちゃんとあるのではないかと思います。
改めて探す必要もないかも知れません。
それを発見するための何かヒントになるようなことはないかと思い少し考えてみました。
多くの方の場合、社会基準等に基づいた思考パターンで自分がどうしたいのかやその方向性を決めておられるのだと思います。
こういうときの思考パターンは、「こうあるべき」とか、「こうした方がいい」などの考え方が主に使われていると思います。
この考え方でも悪くはないのすが、敢えて申し上げると、それではいつまで経っても堂々巡りになってしまいます。
そういう思考パターンではなくて、損得も基準も条件も抜きにした、ご自分に自然に起こってくる感情や考えや行動を大切にして、そこに目を向けていただきたいとのです。
ご自分のやりたいことは(決して「やるべきこと」ではありません、笑)、何気ない普段の生活の中にたくさん見つかると思いますよ。
>虚無や無力感~足りない部分を嘆くより日々どうしたいのかを問い続けながら今ある現状を直視し一歩でも前へ踏み出し動き出して行く事でしかこの心の葛藤や衝動に応える道はないのだと感じています。
けんさはもうご自身の人生や内面と向き合っておられるので、生きてさえいれば進んでいかれると思います。
生きて生きて、生き抜いて頂きたいと思います。
応援しております。
そして全てに自覚と感謝で生き切ります。
パッと気づくことは、
・おいしいものが食べたい
・Hなことをしてみたい
・どこかへ遊びに行きたい
など。
こういうのって誰でも一緒ですよね。
それとも、私というキャラクターにしか湧いてこないものがあるのでしょうか。
もう少し内面を見つめてみたいと思います。
すみませんが、自分のやりたいことが何かは、syuujiさんご自身にしか分かりません。
自分の内面を見つめてください。
ただ、やりたいことの内容は意外なほど普通のことであることが多いのかも知れないと思います。