私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自我の活動と解脱

2014年01月27日 10時28分22秒 | 悟り
◇自我の活動と解脱◇

一昨日から、自我と意識構造についてずっと探っています。
私という意識や、潜在意識に何度も何度もアクセスやアタックをして探っています。
成果が上がっているような、上がらないような、あるいはそもそもが無駄な行為であるような(笑)、微妙な感じなのですが、それでも分かってくる部分もあるので、それについてまた書いてみます。

今日は、「解脱」について書いてみます。
いままで、解脱という言葉を意識して使ってこなかったのですが、もういいだろうという気分になりました。

「解脱」とは、「私」という存在が肉体のレベルでなく存在のレベルで消えることなのです。
そして、「私」という存在が消えることとは、自我の活動、すなわち分別(思考)が完全に停止することなのです。

「私」という個の意識は、分別と同時に起こります。
分別とは、主体と客体の分離であり、それは「私」という主体(意識)の発生を意味するのです。
このため、分別が停止すると、「私」という個の意識が消えるのです。
要するに、分別が無くなるとあるいは分別を手放すと、解脱に至るのです。

なお、分別が無くなると言っても、四六時中そういう状態になっている訳ではないんです。
肉体を持っているときは、分別がある状態と無い状態を往ったり来たりするのです。

この往ったり来たりの現象がなぜ起こるかのかについては、そこをずっと観ているのですが、そいういう現象がなぜ起こるのか、まだ掴み兼ねています。
現時点の理解では、そのような往復現象が起こるのは、分別が無くなっている状態のときも、そこにはまだ種のような、あるいは波紋のような、あるいは最後に残った執着とでもいうべき何かが残っていて、その何かにより分別が誘発され、私という個の意識に戻ってきているのではないかと思っています。

そして、その最後に残っている種のような何かが消えたとき、「私」という存在は消えるのだろうと思っています。
それが起こるのはやはり、この肉体が滅ぶときなのかも知れないと思っています。


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読んで頂いてありがとうございました。

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