私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

見性体験(1)-講話セッションへの初めての参加

2013年07月17日 08時07分59秒 | 私の体験
今回から暫く、101キャンドルライトでの見性のための学びや見性体験などについて書かせていただきます。

キャンドルライトのメンバーになった私は、3月14日からのゲートさんの講話セッションに参加することになりました。
セッション会場は、JR大久保駅近くのホテルの一室でした。
会場となっているホテルの部屋に入ると、ゲートさんがにこやかに微笑みながら私たち参加者を迎えてくださいました。
その部屋はとても広く、10数人の参加者とゲートさんや関係者の方々を合わせると20人くらいの人がいたのではないかと思います。

ゲートさんに初めてお目にかかったときの印象は、なんて優しい雰囲気の方なんだろうと思いました。
講話をされるときの雰囲気も、講話の内容も、基本的にとても優しいのです。
その講話を聴いていると、その場にいることの心地よさや幸福感で心が満たされ、お話しの内容はどうてもよくなってしまうような、そんな気持ちになりました。
なお、ゲートさんは韓国語で話されるので、通訳係のメンバーがゲートさんのお話しの内容を日本語に訳していました。

講話セッションに最初に参加した日、私はゲートさんに尋ねてみたいことがありました。
それは、私が悟っているのかどうかを観ていただくことでした。
スピリチュアルTVの過去動画に、キャンドルライトのメンバーのお話しがあって、その中で、ゲートさんは、観ただけでその人が悟ってるかどうかが直ぐに分かるというお話しがあったのです。
それで私は、それなら私が悟っているかどうかをゲートさんに観ていただこうと思ったのです。
そして、ゲートさんに私が悟っているのかどうか観てくださいとお願いしました。

私の問いかけに対するゲートさんのお答えは、確か次のようなものでした。
「せっかくのご質問ですが、私はあなたに対して、あなたは今そのままのあなたでしかないとしか申し上げられません。」
「なぜなら、あなたは本来自由なのであって、何も制限がないのです。」
「それになのにどうして、私があなたのことをどうこう言うことができるでしょう。」
ゲートさんは、優しく微笑みながらそう答えて下さいました。

私は、そのお答えを聴いて、納得できる部分と納得できない部分があって、正直少し複雑でした。
私は悟ってるはずなのにゲートさんのあのお答えはなんなのだろうとか、
もし私が悟ってないのなら、どうして悟ってないとハッキリ仰らずに、あのような曖昧な表現をされたのだろう、などと考えていました。

でもいまから思うと、自分が悟っているのかどうかを誰かに尋ねること自体が、自分に自信がない証拠なのです。
ゲートさんがあのような表現をされたのは、誰かに言ってもらおうとするのではなく、私が自分で自らを観て確かめなさいという意味だったのだろうと思っています。


続きは今週金曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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