◇私の体験談(大悟後から解脱の悟りまで)(3)◇
前回の記事の続きです。
前々回の記事に書きましたように、2013年10月19日に大悟があってから少し経ったころ(おそらく、2、3週間ほど経ったころ)から、私は自然と瞑想状態に落ちるようになっていきました。
最初はうつらうつらするうたた寝のような感じだったのですが、それが次第にうたた寝のような状態に混じって、自分の意識が完全に落ちてしまうようになったのです。
なお、この自分の意識が完全に落ちてしまう状態とは、一切の感覚も意識も無い気絶状態のことです。
最初のころは、自分の意識が落ちていることに気がつかず、自分が眠りに落ちているのだろうと思っていました。
暫くして、それが眠りではない何かだと気づきました。
でも私は、それが無我に落ちていることだとは気がつかず、それを真我であると誤解してしまいました。
そして私は、真我になることへの拘りもつくってしまい、真我になること(無我に落ちること)を好むようになり、さらには真我になるように自分の意識を仕向けるようになっていきました。
そうしているうちに、自分の意識をコントロールして自我から真我に切り替えるコツというか方法が分かってきました。
どういう方法かと言いますと、何でもいいので起こってきた考えを自覚によって捉え、その捉えた考えをポイと放り投げるのです。
すると、自分の意識がすーっと真我に切り替わるようになっていました。
あるいは、自覚によって「私」を捉え、「私」をポイと放り投げても、同じようにすーっと真我に切り替わるようになっていました。
そうやって、私は何度も何度も真我(完全な無我)になりました。
最終的には、何百回も真我になったんだと思います。
そうやって、繰り返し真我(完全な無我)になっているうちに、真我から自我に戻ってきた瞬間やその直後に、少しずつ気づきというか理解が起こるようになっていきました。
それは、2013年の12月から翌2014年の1月にかけてのことだと思います。
その最初の理解は、真我(完全な無我)から自我に戻ってきた瞬間を捉えたときに生じました。
どういう理解かと言いますと、無我から自我に戻ってきた瞬間を捉えられたことにより、私という存在が考え(意識)そのものだというより深く明確な理解が生じたのです。
私には、大悟に伴って得た、私という存在は連鎖的に起こってくる考えそのものであるという理解が既にあったのですが、無我から自我に戻る瞬間を捉えられたことにより、その理解がより深くかつ明確なものになりました。
その理解に続き、私は無我から自我に戻った直後の自分の意識を観察するようになりました。
無我から自我に戻った直後は、パッ、パッ、パッと断続的に起こり移り変わる自分の意識の連鎖がよく見えるのです。
そうして、自分の意識の起こりや連鎖を繰り返し観察していくうち、それが新たな理解に繋がっていきました。
そうした観察の中で、まず私が着目したのは、完全な無我に入っているのにもかかわらず、その無我から繰り返し何度でも私の意識(自我)が起こってきてしまうことについてでした。
私はいつ死んでもいいし、いつ存在が消滅してもいい(むしろこのまま消滅したい)というつもりで無我に入っているのに、どうしてまた私の意識が生じてしまうのかその原因が知りたいと思い、徹底的にそこを観察しました。
そうやっているうち、あるとき一つの理解というか確信が起きたのです。
どういう確信かと言いますと、それは、完全な無我から自分の意識が起きてきてしまうのは、完全な無我に私の意識を引き起こす何かがあるに違いないという確信でした。
本当にそこに何も無かったら私の意識が再び起きてくることはないはずであり、私の意識はこうして再び起きてくるのは、完全な無我でありながら、そこにはまだ何かが残っているのだと確信したのです。
そして、その何かが私(慧空)の解脱を妨げているんだということを確信したのです。
私は、その何かを私の意識を生じさせる「種(たね)」と呼ぶことにしました。
それに続き、私はその「種」についてそれが何なのかを追求していきました。
すると間もなく、私はその答えに到達しました。
「種」とは、私という自我が掴んでいる考えであり、執着(カルマ)であるということが分かりました(解脱の悟りを得た現在の私からするとまだ不完全ではありますが、これがこの時点での私の理解でした)。
この理解に伴い、縁起に関する理解が自ずと生じました。
そして私は、連鎖的に起こってくる私の意識は、縁起そのものであり、自我が掴んでいる考え(執着)である種によって誘起される考えの連鎖であるという理解を得ました(これについても不完全ですが、これがこの時点での私の理解でした)。
そして、この理解は、私を解脱の悟りに導いた主な手掛かりの一つとなりました。
続きます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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前回の記事の続きです。
前々回の記事に書きましたように、2013年10月19日に大悟があってから少し経ったころ(おそらく、2、3週間ほど経ったころ)から、私は自然と瞑想状態に落ちるようになっていきました。
最初はうつらうつらするうたた寝のような感じだったのですが、それが次第にうたた寝のような状態に混じって、自分の意識が完全に落ちてしまうようになったのです。
なお、この自分の意識が完全に落ちてしまう状態とは、一切の感覚も意識も無い気絶状態のことです。
最初のころは、自分の意識が落ちていることに気がつかず、自分が眠りに落ちているのだろうと思っていました。
暫くして、それが眠りではない何かだと気づきました。
でも私は、それが無我に落ちていることだとは気がつかず、それを真我であると誤解してしまいました。
そして私は、真我になることへの拘りもつくってしまい、真我になること(無我に落ちること)を好むようになり、さらには真我になるように自分の意識を仕向けるようになっていきました。
そうしているうちに、自分の意識をコントロールして自我から真我に切り替えるコツというか方法が分かってきました。
どういう方法かと言いますと、何でもいいので起こってきた考えを自覚によって捉え、その捉えた考えをポイと放り投げるのです。
すると、自分の意識がすーっと真我に切り替わるようになっていました。
あるいは、自覚によって「私」を捉え、「私」をポイと放り投げても、同じようにすーっと真我に切り替わるようになっていました。
そうやって、私は何度も何度も真我(完全な無我)になりました。
最終的には、何百回も真我になったんだと思います。
そうやって、繰り返し真我(完全な無我)になっているうちに、真我から自我に戻ってきた瞬間やその直後に、少しずつ気づきというか理解が起こるようになっていきました。
それは、2013年の12月から翌2014年の1月にかけてのことだと思います。
その最初の理解は、真我(完全な無我)から自我に戻ってきた瞬間を捉えたときに生じました。
どういう理解かと言いますと、無我から自我に戻ってきた瞬間を捉えられたことにより、私という存在が考え(意識)そのものだというより深く明確な理解が生じたのです。
私には、大悟に伴って得た、私という存在は連鎖的に起こってくる考えそのものであるという理解が既にあったのですが、無我から自我に戻る瞬間を捉えられたことにより、その理解がより深くかつ明確なものになりました。
その理解に続き、私は無我から自我に戻った直後の自分の意識を観察するようになりました。
無我から自我に戻った直後は、パッ、パッ、パッと断続的に起こり移り変わる自分の意識の連鎖がよく見えるのです。
そうして、自分の意識の起こりや連鎖を繰り返し観察していくうち、それが新たな理解に繋がっていきました。
そうした観察の中で、まず私が着目したのは、完全な無我に入っているのにもかかわらず、その無我から繰り返し何度でも私の意識(自我)が起こってきてしまうことについてでした。
私はいつ死んでもいいし、いつ存在が消滅してもいい(むしろこのまま消滅したい)というつもりで無我に入っているのに、どうしてまた私の意識が生じてしまうのかその原因が知りたいと思い、徹底的にそこを観察しました。
そうやっているうち、あるとき一つの理解というか確信が起きたのです。
どういう確信かと言いますと、それは、完全な無我から自分の意識が起きてきてしまうのは、完全な無我に私の意識を引き起こす何かがあるに違いないという確信でした。
本当にそこに何も無かったら私の意識が再び起きてくることはないはずであり、私の意識はこうして再び起きてくるのは、完全な無我でありながら、そこにはまだ何かが残っているのだと確信したのです。
そして、その何かが私(慧空)の解脱を妨げているんだということを確信したのです。
私は、その何かを私の意識を生じさせる「種(たね)」と呼ぶことにしました。
それに続き、私はその「種」についてそれが何なのかを追求していきました。
すると間もなく、私はその答えに到達しました。
「種」とは、私という自我が掴んでいる考えであり、執着(カルマ)であるということが分かりました(解脱の悟りを得た現在の私からするとまだ不完全ではありますが、これがこの時点での私の理解でした)。
この理解に伴い、縁起に関する理解が自ずと生じました。
そして私は、連鎖的に起こってくる私の意識は、縁起そのものであり、自我が掴んでいる考え(執着)である種によって誘起される考えの連鎖であるという理解を得ました(これについても不完全ですが、これがこの時点での私の理解でした)。
そして、この理解は、私を解脱の悟りに導いた主な手掛かりの一つとなりました。
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