◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(2)-悟り呆けからの脱却◇
久しぶりの記事更新です。
悟り呆けからの脱却というテーマで、私の悟り体験である解脱の悟り後のことについて書きます。
まず最初に、悟り呆けについて説明します。
悟りには階層があり、階層ごとに特徴があります。
そして、その各悟り階層に至った後で、その階層に関連した精神的な後遺症のような状態が暫くの間続きます。
その後遺症のような状態は、その状態に固執するか否かでその後の変化は異なるようですが、多くの場合次第に薄れていき、通常の意識状態に戻っていきます。
ここでは、この悟り後の後遺症のような精神状態のことを悟り呆けと言っています。
具体的に悟り呆けとはどのような状態かと言いますと、分かりやすい例は明け渡し系の体験に伴うものだと思います。
よくある例としては、明け渡し体験によって、あり得ない程ハートフルになったり、些細なことまでいちいち有り難がるようになったり、理由なく幸福感が続いたりします。
激しい例だと、明け渡しに伴って放心状態になり、何もできなくなってしまい、自分で食事を摂ることさえままならなくなる例もあるようです。
前置きはこの辺りにして、私の悟りの行程は、2012年12月の明け渡し体験から始まり、2014年2月の解脱の悟りで終わりました。
私の場合、最初の明け渡し体験の影響がとても強かったようで、その影響がつい最近である2019年夏頃まで続いていたようです。
具体的には、普通じゃない程のハートフルな感覚や、いろいろなことを過剰に良い方に捉えてしまうような状態が徐々に薄れながらも6年半以上も続いていました。
そのような後遺症的な影響の大半が抜けたことで、自分が悟り呆けだったんだと気づくようになったんだと考えています。
最近になって、自分でやっと素面(しらふ)になってきたと思うようになりました。
自分が悟り呆けだったことにどうして気づいたのかと言いますと、現在の職場やその経営者に対する自分の見る目がここ1年くらいでガラッと180度変わったことが切っ掛けでした。
以前は職場や経営者のことを良い職場であり、良い経営者だと考えていました。
詳しくは書きませんが、それがこの1年くらでガラッとひっくり返ってしまったのです。
余談ですが、現在今の職場を脱出すべく、転職計画中です(笑)。
では、悟り呆けから脱却した今の状態はどんな状態かと言いますと、迷いの無いスッキリとした悟りの意識と、普通の日常的な意識というか感覚(素の個性とでも言いましょうか、表現が難しいです)が一体になっているような状態です。
悟る前の状態に戻ったのかと言うと、それはハッキリと違います。
迷いが無いですから、とてもスッキリしているし、安定しています。
何かに囚われることもありませんから、振り回されたり、混乱することもありません。
今は悟り呆けによるハートフルの色眼鏡が取れたので、さらにスッキリしています。
私としては、そのように普通の状態に戻ったことを歓迎していて、やっと素面になったと喜んでいます。
もう53になるのですが、ここからもう一度人生の活動期(第二の青年期とでも言いましょうか)を迎えたような感覚があり、ここから何をしようか考えているところです。
あと何を書けばいいのだろうと考えているのですが、余り日常の具体的な内容を書く訳にもいかないんので、手が止まってしまいました。
いつものようにまとまりのない内容ですが、このままアップします。
何か思い付けば、書き足します。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。
スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。
ご希望の方は、suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さい)へご連絡ください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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久しぶりの記事更新です。
悟り呆けからの脱却というテーマで、私の悟り体験である解脱の悟り後のことについて書きます。
まず最初に、悟り呆けについて説明します。
悟りには階層があり、階層ごとに特徴があります。
そして、その各悟り階層に至った後で、その階層に関連した精神的な後遺症のような状態が暫くの間続きます。
その後遺症のような状態は、その状態に固執するか否かでその後の変化は異なるようですが、多くの場合次第に薄れていき、通常の意識状態に戻っていきます。
ここでは、この悟り後の後遺症のような精神状態のことを悟り呆けと言っています。
具体的に悟り呆けとはどのような状態かと言いますと、分かりやすい例は明け渡し系の体験に伴うものだと思います。
よくある例としては、明け渡し体験によって、あり得ない程ハートフルになったり、些細なことまでいちいち有り難がるようになったり、理由なく幸福感が続いたりします。
激しい例だと、明け渡しに伴って放心状態になり、何もできなくなってしまい、自分で食事を摂ることさえままならなくなる例もあるようです。
前置きはこの辺りにして、私の悟りの行程は、2012年12月の明け渡し体験から始まり、2014年2月の解脱の悟りで終わりました。
私の場合、最初の明け渡し体験の影響がとても強かったようで、その影響がつい最近である2019年夏頃まで続いていたようです。
具体的には、普通じゃない程のハートフルな感覚や、いろいろなことを過剰に良い方に捉えてしまうような状態が徐々に薄れながらも6年半以上も続いていました。
そのような後遺症的な影響の大半が抜けたことで、自分が悟り呆けだったんだと気づくようになったんだと考えています。
最近になって、自分でやっと素面(しらふ)になってきたと思うようになりました。
自分が悟り呆けだったことにどうして気づいたのかと言いますと、現在の職場やその経営者に対する自分の見る目がここ1年くらいでガラッと180度変わったことが切っ掛けでした。
以前は職場や経営者のことを良い職場であり、良い経営者だと考えていました。
詳しくは書きませんが、それがこの1年くらでガラッとひっくり返ってしまったのです。
余談ですが、現在今の職場を脱出すべく、転職計画中です(笑)。
では、悟り呆けから脱却した今の状態はどんな状態かと言いますと、迷いの無いスッキリとした悟りの意識と、普通の日常的な意識というか感覚(素の個性とでも言いましょうか、表現が難しいです)が一体になっているような状態です。
悟る前の状態に戻ったのかと言うと、それはハッキリと違います。
迷いが無いですから、とてもスッキリしているし、安定しています。
何かに囚われることもありませんから、振り回されたり、混乱することもありません。
今は悟り呆けによるハートフルの色眼鏡が取れたので、さらにスッキリしています。
私としては、そのように普通の状態に戻ったことを歓迎していて、やっと素面になったと喜んでいます。
もう53になるのですが、ここからもう一度人生の活動期(第二の青年期とでも言いましょうか)を迎えたような感覚があり、ここから何をしようか考えているところです。
あと何を書けばいいのだろうと考えているのですが、余り日常の具体的な内容を書く訳にもいかないんので、手が止まってしまいました。
いつものようにまとまりのない内容ですが、このままアップします。
何か思い付けば、書き足します。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。
スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。
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読んで頂いてありがとうございました。
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自分の考えの整理も兼ねて近況報告を書かせていただきますがご容赦ください(^^;;
近頃、自覚のおかげでやりたいことが分かったり、「どうあがいても全部苦しみだから何やっても一緒やんけ」「自分が苦しんでいることには迷わず確信が持てる」などの気づきのおかげで大幅にスッキリできたのは嬉しいのですが、どうもそのやりたいことが直に行動に移せないんです。
自覚の習慣化のせいか、今は視界も明瞭で意識もハッキリしており、自分という感覚が安定して感じられています。
3年前に明け渡しを経験して以来、あらゆるものとの分離感が激しく自分という感覚が希薄になり現実の生活がおろそかになっていましたが、ようやく普通の感覚に近くなってきた感じです。(これが悟り呆け?)
しかしまだ不完全なのか、自分であれこれ考えたり意思で行動しようとしても思考が浮かばずほとんど何もできない状態なんです。
食べたりトイレに行ったりという基本的なこともできますし、バイトなどでは必要な言葉が必要なタイミングでスッと出るのですが、やりたいこと(と認識していること)を意図的にやろうとしても全然体も頭も動きません。意識はハッキリしています。
また「今は悟りに集中することがやりたいことだ」という、とても強い意志が感じられて少々困惑しています。
というのも、内心この強い意思は悟りの行程がうまくいってる証拠だなとも思い心配してない部分もあるのですが、実は困惑し、焦るのにも理由がありまして…
(後半へ続く)
僕は今20歳の短大生なのですが、まさしくちょうど自分の進路を決める時期なのです。
本心を言えばちっともやりたくないことを2年間もやったなと感じています。
こんなことを言うと逃げだと思われるかもしれませんが、せっかく分かったやりたいことを将来やっていくためにも、また行きたくもない大学に編入したり、自分に合わないところに時期だからという理由で就職したりしたくないという思いがあるのです。
これは、「やりたいことを一生懸命やれば、悔いなく生きられるし、そして周りからのサポートも得られる」という心の奥の思いによるものだと思っています。
しかし、大学か就職どちらかは選ばないと家族の反発もあるだろうし、リスキーかもしれないとも思っているのも事実です。
いわば、僕はやりたいことが自分を導いてくれるというような考えを持っているというわけなのですが、しかしながら、自分がやりたいことというのが「悟り」と「もう一つ」に分離していて、「悟りなんかよりももう一つの方をもっと行動すべきなんじゃないのか」「悟りは逃げでやりたいことなんかじゃないんじゃないか」という困惑と焦りが湧いてくるのです。
もちろんその困惑し焦っている自分も集中して自覚すれば思いは消えて「…」になります。
最近は焦り→自覚のインターセプトの速度が上がり、焦りも自覚に飲み込まれて顔を出す機会も勢いも減りましたが、なんだか記事を見て色々と書きたくなったので書かせていただきました(^-^)
…と、具体的な質問もなくなんだかよく分からない文章をただ書き連ねてしまいしたが、以上を近況報告とさせていただきます。
最近は問題提起することに違和感を感じるので、「質問をする」ということが下手になってるのかもしれませんσ(^_^;)
長文失礼しました。
ウォッカさんは二十歳の学生さんだったのですね。
なんとなく三十歳くらいかそれ以上の方かと思っていたので、ちょっと驚きました。
就職か大学進学かを決める時期だけど、どっちもハッキリしない。
もっと言えば、そもそも何をやりたいかもハッキリしない。
まあこういうことは、人生、特に若いうちはよくあることだと思います。
勝手にアドバイスしちゃいますね。
私のアドバイスはとてもハッキリしています。
何をやりたいかがハッキリしないのなら、ハッキリするまでモラトリアム期間を続けたらいいと思います。
例えば、三十歳くらいまではモラトリアムでもいいと思います。
それまで親のスネをかじれるのならかじったらいいと思います。
かじれないなら、バイトのプー太郎生活でもいいと思います。
ウォッカさんの場合、大学進学が可能なら大学へ行ったらいいと思います。
モラトリアム期間は、実はみんなが考えているよりもっともっと人生においてとても大事な期間なのです。
焦る必要はまったくありません。
やりたいことが見つかるまで徹底的にやったらいいと思います。
そうですね。今起こっていることはチャレンジのようなギフトだと捉えて、大切にします。
自分の大切なものを大切にしていきます。
自覚は続けていくつもりですし、またこれからちょっとしたことや悟りの進展、はたまた解脱の悟りに達したり(いつのこっちゃ(^o^))といったことがあったら近況報告をさせていただくと思いますので、お手数をかけますが、その時はよろしくお願いいたします。
自覚ワークをしていて、考えが浮かぶ瞬間をわかるようになり、嬉しく思っていました。
ところが最近、慧空さんに教えていただいた、私に集中しているときに考えが浮かんでまた集中という繰り返すワーク以外のときは、あっ!という気づきではなくて、だらだらと「思考しているな」と思っている状態です。慣れてきてこんな感じになってしまったのか、集中力が足りないのでしょうかね。
集中を繰り返すワークを出来るだけやっていれば大丈夫ですか?
書き込み待ってます(^^)/
>集中を繰り返すワークを出来るだけやっていれば大丈夫ですか?
自覚は無理してやってもなかなか上手くはいきません。
ですから、頑張ってやる必要はありません。
やらずにおれなくなるまで、やめたらいいと思います。
自分を見つめ直します。
自覚をやめる気持ちはないですが、こんな自分では自覚をやっても無駄だということですね。
頑張ってやるものではないということも響きました。
やらずにはいられないということも。
ありがとうございました。
昨日、こちらのブログを発見し、
読ませていただいてます。
悟り呆け、、、その通りです。
悟ってるかと言われたら、違うと思うけど、
ハートフル眼鏡(笑)かけています!
かけてる自覚が薄かったので、この記事を読めて良かったです。
私は、立場的には、
サッサと現実的に動いたほうが良いのです。
どうやったらはずせるか、よく分からないですが、
こうして教えて頂けて、意識できればちょっと違うだろうから助かりました(*^^*)
(別記事で、早く抜けたくて見性を求めた、との事でしたが、
そちらと内容を混同してるかもしれません)
初めて見る単語が多く圧倒されているのですが、
ゆっくり読ませて頂こうと思います。
>サッサと現実的に動いたほうが良いのです。
>どうやったらはずせるか、よく分からないですが、
悟りに至る行程もそうですが、悟り後の行程も人それぞれで、しかも思うようにはいきません。
焦らず、成り行きに任せながらも投げやりにならないようやって頂きたいと思います。