かつての京の言葉を借りて言うならば、この日のライブは、なにかが「降りて」きていたように思う。演者はもちろん、観客も一体となって創り出されたその空間は、とにもかくにも圧巻だった。人間の底力を見せつけられたと言ってもいい。
2011年8月にリリースされたアルバム『DUM SUPIRO SPERO』の名が冠された、集大成ともいえる日本武道館公演2デイズの2日目。
1日目と同じように、同アルバム収録楽曲のオルゴールバージョンが空間に溶け込むように流れている武道館内。開演時間を少し過ぎたころに、前触れもなくふっと暗転すると、高揚した声があちこちから聞こえてくる。SEの「狂骨の鳴り」が響き渡ると青いライトが激しく点滅し、一帯は徐々に禍々しい雰囲気に包まれていった。ステージ後ろの大型ヴィジョンには照明と同じく青色のスパークが走り、その火花から生み出された『DUM SPIRO SPERO』とDIR EN GREYの文字が重なり合う。メンバーが1人ずつステージへと姿を現すと、彼らの名を呼ぶ声は咆哮かのごとく、いっそう大きくなっていく。昨夜は髑髏のメイクを活かした強烈な演出でオーディエンスの度肝を抜いた京は、ジャケットにパンツ、サングラスをかけたシンプルなスタイルだった。
それが虫の複眼のようにも見えたのは、「MACABRE」の所為。規則的かつ怪しげなShinyaのドラミングに期待の込められた歓声が上がり、Toshiyaの地を這うようなベースラインとギターが絶妙に絡み合っていく。白い布で覆われ巨大スクリーンと化した北側スタンド席にも、喰らい喰われる虫の映像が映し出された。Dieはメインギターに加え、スタンドにセッティングされたアコースティックギターを含む2本のギターもフレーズごとに使い分け、力強くも繊細に奏でていく。薫と交互にカッティングを刻む場面では、それぞれにスポットライトが当たり、10分を越す大作のドラマティックさを増進させていった。
サングラスを外した京のまっすぐ突き抜ける歌声とともに「流転の塔」ではスモークが噴き出し、静かなる情念が広がっていく。それとは別のベクトルで激情の渦へといざなう「激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇」へとつなぐと、まだ序盤のセクションであるにも関わらず、会場が異様なテンションに突入していくのを感じた。
唐突に豹変するビートが起爆剤となり、オーディエンスの狂気をも覗かせた「「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟と冷たい雨」は、プリズムを通したような玉虫色の照明で彩られる。ステージ後方のトーチからこれでもかと言わんばかりに炎が噴き上がった「獣欲」では、京の「武道館!!」という一声がさらに会場をヒートアップさせ、Shinyaの高速ドラムが炸裂する「DECAYD CROW」へとなだれ込んでいく。
そんな全力のステージングを見せつけられると、強烈な「生」のイメージが脳裏に浮かんでくる。だが、決してキラキラしたものではなく「それでも生きたい、生きなければ」という泥臭くギリギリのところにある「生」のイメージである。昨夜の公演は、京の死神のようなメイクといい、痛みや苦しみをダイレクトに伝える楽曲をフックにしていたところを考えると、「死」や「敗北」のメッセージが強く含まれていたように思う。それも、強者が弱者を支配する構図や戦争といった「不可抗力の死」だ。2日間の公演で彼らが描こうとしているのは、『DUM SPIRO SPERO』を冠した死生観なのではないだろうか。
そんな考えを巡らせているうちに聴こえてきたのは、ベース1本による「君が代」の旋律。日の丸の下、片手を挙げたToshiyaは、続けて「Bottom of the death valley」のイントロを紡ぎ出す。スクリーンには廃墟と化した雪降る遊園地が映し出され、京の語りかけるような慈愛に満ちた声が、空間を退廃的な雰囲気に染め上げていく。
暗転したステージにスモークと真っ赤な照明が焚かれ、京のうめくような声が何重にも響き渡る。やがて聴こえてきたギター陣の澄んだアルペジオは「かすみ」だ。歌詩にある“紙風船”が目の前に見えているかのように、京は手を高く掲げる。そして、意外な選曲に驚嘆の声があがったのは「砂上の唄」。Dieのダイナミックなカッティングとともに、八角形の天井には鮮やかなステンドグラスが投影される。異邦の乾いた風を感じるような開放的な場面となった。対照的に、「孤独に死す、故に孤独。」では、薫の悲哀に満ちた繊細なフレーズが、空間をピンと張りつめさせる。ホイッスルボイスを交えながら、京が負の感情を一気に解き放つと、ステージ下方から伸びるどぎついグリーンの光線が交差し、一帯を錯乱させていった。
このあたりから、冒頭に記したように直感的に「来た」と感じた。再び場内が暗転すると、京はステージセンターに置かれた台にひざまずいて倒れ込み、時にのけぞりながら声を絞り出す。その様はまるで形なきものに憑依されているようにも思えた。
本編終盤は、無数のハエや蛆のわいた料理などのグロテスクな映像を背負い、「THE BLOSSOMING BEELZEBUB」のシンフォニックバージョンからじっとりと重々しく歩み始めた。パワフルなリフを残しつつキレよく突き進む「業」、フルMVをバックにソリッドなサウンドと伸びやかな歌声の対比で魅せた「Unraveling」と、緩急つけながらクライマックスへと道びいていく。そしてたどり着いたのは、『DUM SPIRO SPERO』の中枢とも重要なピースとも呼べるであろう「DIABOLOS」。分厚い本の1ページ1ページをゆっくりとめくるように厳かに奏でられ、徐々に本曲の極点が近づいていく。
“さあ人間を辞めろ。”
京がそう鋭く言い放ち両手を広げた瞬間、割れんばかりの歓声が沸き起こる。その姿は悪魔にも怪物にも死神にも見えたが、堕ちていく人間の姿のようにも思えた。人間を辞めた人間が人を陥れ傷つける、人間を辞めた人間が自分という人間を負で支配する、人間を辞めた人間が人を殺し心を踏みにじる。つまり、人間こそが悪の化身になりうる存在なのではないだろうかと――。
すべてを出し切りステージを去りゆくメンバーには、歓声と拍手が絶えず降り注いでいた。
アンコールに応え、再びステージに現れた5人。京がお立ち台にガリッとマイクを擦りつけて、一瞬にして観客の注目を集める。「輪郭」のしっとりとしたピアノのイントロが流れ、ヴィジョンにはドローイングアニメーションのMVが映し出された。本編でのシャウトやグロウルとは対照的に、京の伸びやかな歌声が心地よく響き渡る。ラストのサビ前の“MINERVA”というつぶやきは、命を吹き込むかのごとくマイクレスで泣き叫ぶように発していたのが印象的だった。
どことなくしんみりとした会場に投下されたのは、リズミカルなドラムとキャッチーなフレーズが爆発する「umbrella」。ライブでは久しく演奏されておらず、昨夜の「蒼い月」と同じようにある種のレア曲だ。一気に会場は沸点に到達し、笑顔の花が咲く。楽器陣と一緒になってコーラスするオーディエンスに、京が「聴こえへんで!」と喝を入れる。追撃するように「羅刹国」をぶちかますと、ヴィジョンは5分割され、メンバーの表情がアップで映し出された。言うまでもなく、全員がいい表情だ。
このままラストまで突っ走っていくのだろう……ふとそんなことを考えて、この2日間の公演ももうすぐ終わってしまうのか、と少々感傷に浸っていたときだ。突如、京がめずらしく口を開いた。
「…きょうは、俺からおまえらにひとつお願いがあんねん。俺、いつも『ひとつになれるかー!』って言うてるけど、そんなんなれるわけない、無理やんとかよく言われるねん。でも…俺はそんなことないって思ってるから。バカみたいに繰り返して言うけど、俺の夢をかなえてくれ。ひとつになれるか! 全員でかかってこい!!」
――息あるかぎり、希望を捨てず
『DUM SPIRO SPERO』とは、ラテン語でそんな意味が込められた言葉だという。DIR EN GREYにとっての「希望」とはなんなのか。その答えが、この京の言葉の中に集約されているように思えた。1人の力ではなく、手を取り合って不可能を可能にするような、否定されても押さえつけられても、光を信じて抗って喰らいついてような――そんな「人間の強さ」をかいま見たのである。
「SUSTAIN THE UNTRUTH」は、ステージへ届けと言わんばかりに、観客各々が目一杯歌う。薫はうなずきながら微笑み、Toshiyaはいたずらを仕掛けた少年のようにニヤリと口角を上げ、Shinyaはポーカーフェイスをくずさず、Dieはギターに徹しながらも白い歯をこぼす。京にいたっては、全身で声を受け止めているかのように、ぎゅと目をつむり、泣いているのか笑っているのかわからないほど、くしゃくしゃの表情だ。
こんなラストを誰が予想しただろうか。これが、DIR EN GREYなのだ。
大喝采の中、ステージを降りたメンバーの背を追う映像と、スタッフロールがヴィジョンに映し出される。やがて、ドキュメント風ムービーに歌詩が添えられ、「THE FINAL」の音源が流れ始めた。誰からともなくその言葉を噛み締めるように歌い出し、いつのまにか大合唱に発展する。
そして、7月にこの武道館2days公演の模様を収録したDVD、11月に約2年ぶりとなるニューアルバムのリリースが発表され、大歓声が沸き起こる。
が、しばらくしてそれがどよめきに変わった。なぜならば、ファンなら一度は耳にしたことがあるであろう「あの」金属音が聴こえてきたからだ。DIR EN GREYのファーストアルバム『GAUZE』の1曲目に収録されているSE「GAUZE -mode of adam-」のMVである。なにが起こっているのかわからない我々の目に飛び込んできたのは“TOUR14 PSYCHONNECT -mode of "GAUZE"?- THIS SUMMER”の文字。のちにウェブサイトや終演後に配られたフライヤーでわかることになるのだが、本ツアーのスケジュールには「mode:25」からの数字がナンバリングされている。つまり、1999年7~9月にかけて24公演行なわれた同名ツアーの続きを示唆しているのだ。
再び画面は暗くなり、「DIR EN GREY」の白い文字だけが浮かび上がる。止まない“DIR EN GREY”コールが起こり、その声に導かれるようにメンバーがステージへ姿を見せた。「おまえら元気やなあ」と含み笑いの京。「ラストー!!」と張り上げた声を合図に演奏されたのは「朔-saku-」。ただステージを明るく照らすだけのシンプルな照明で会場はライブハウスと化す。その光景は、これまでよりもより強くファンと結びついたDIR EN GREYが、新たなスタートを切った瞬間でもあった。
もう涙であまり前が見えなくなっていたのだが、最後に京が目に焼きつけるように会場全体を見渡し、手を挙げながら「バイバイ!」と晴れやかな表情で去っていったことだけは、しかと書きとめておく。
2011年8月にリリースされたアルバム『DUM SUPIRO SPERO』の名が冠された、集大成ともいえる日本武道館公演2デイズの2日目。
1日目と同じように、同アルバム収録楽曲のオルゴールバージョンが空間に溶け込むように流れている武道館内。開演時間を少し過ぎたころに、前触れもなくふっと暗転すると、高揚した声があちこちから聞こえてくる。SEの「狂骨の鳴り」が響き渡ると青いライトが激しく点滅し、一帯は徐々に禍々しい雰囲気に包まれていった。ステージ後ろの大型ヴィジョンには照明と同じく青色のスパークが走り、その火花から生み出された『DUM SPIRO SPERO』とDIR EN GREYの文字が重なり合う。メンバーが1人ずつステージへと姿を現すと、彼らの名を呼ぶ声は咆哮かのごとく、いっそう大きくなっていく。昨夜は髑髏のメイクを活かした強烈な演出でオーディエンスの度肝を抜いた京は、ジャケットにパンツ、サングラスをかけたシンプルなスタイルだった。
それが虫の複眼のようにも見えたのは、「MACABRE」の所為。規則的かつ怪しげなShinyaのドラミングに期待の込められた歓声が上がり、Toshiyaの地を這うようなベースラインとギターが絶妙に絡み合っていく。白い布で覆われ巨大スクリーンと化した北側スタンド席にも、喰らい喰われる虫の映像が映し出された。Dieはメインギターに加え、スタンドにセッティングされたアコースティックギターを含む2本のギターもフレーズごとに使い分け、力強くも繊細に奏でていく。薫と交互にカッティングを刻む場面では、それぞれにスポットライトが当たり、10分を越す大作のドラマティックさを増進させていった。
サングラスを外した京のまっすぐ突き抜ける歌声とともに「流転の塔」ではスモークが噴き出し、静かなる情念が広がっていく。それとは別のベクトルで激情の渦へといざなう「激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇」へとつなぐと、まだ序盤のセクションであるにも関わらず、会場が異様なテンションに突入していくのを感じた。
唐突に豹変するビートが起爆剤となり、オーディエンスの狂気をも覗かせた「「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟と冷たい雨」は、プリズムを通したような玉虫色の照明で彩られる。ステージ後方のトーチからこれでもかと言わんばかりに炎が噴き上がった「獣欲」では、京の「武道館!!」という一声がさらに会場をヒートアップさせ、Shinyaの高速ドラムが炸裂する「DECAYD CROW」へとなだれ込んでいく。
そんな全力のステージングを見せつけられると、強烈な「生」のイメージが脳裏に浮かんでくる。だが、決してキラキラしたものではなく「それでも生きたい、生きなければ」という泥臭くギリギリのところにある「生」のイメージである。昨夜の公演は、京の死神のようなメイクといい、痛みや苦しみをダイレクトに伝える楽曲をフックにしていたところを考えると、「死」や「敗北」のメッセージが強く含まれていたように思う。それも、強者が弱者を支配する構図や戦争といった「不可抗力の死」だ。2日間の公演で彼らが描こうとしているのは、『DUM SPIRO SPERO』を冠した死生観なのではないだろうか。
そんな考えを巡らせているうちに聴こえてきたのは、ベース1本による「君が代」の旋律。日の丸の下、片手を挙げたToshiyaは、続けて「Bottom of the death valley」のイントロを紡ぎ出す。スクリーンには廃墟と化した雪降る遊園地が映し出され、京の語りかけるような慈愛に満ちた声が、空間を退廃的な雰囲気に染め上げていく。
暗転したステージにスモークと真っ赤な照明が焚かれ、京のうめくような声が何重にも響き渡る。やがて聴こえてきたギター陣の澄んだアルペジオは「かすみ」だ。歌詩にある“紙風船”が目の前に見えているかのように、京は手を高く掲げる。そして、意外な選曲に驚嘆の声があがったのは「砂上の唄」。Dieのダイナミックなカッティングとともに、八角形の天井には鮮やかなステンドグラスが投影される。異邦の乾いた風を感じるような開放的な場面となった。対照的に、「孤独に死す、故に孤独。」では、薫の悲哀に満ちた繊細なフレーズが、空間をピンと張りつめさせる。ホイッスルボイスを交えながら、京が負の感情を一気に解き放つと、ステージ下方から伸びるどぎついグリーンの光線が交差し、一帯を錯乱させていった。
このあたりから、冒頭に記したように直感的に「来た」と感じた。再び場内が暗転すると、京はステージセンターに置かれた台にひざまずいて倒れ込み、時にのけぞりながら声を絞り出す。その様はまるで形なきものに憑依されているようにも思えた。
本編終盤は、無数のハエや蛆のわいた料理などのグロテスクな映像を背負い、「THE BLOSSOMING BEELZEBUB」のシンフォニックバージョンからじっとりと重々しく歩み始めた。パワフルなリフを残しつつキレよく突き進む「業」、フルMVをバックにソリッドなサウンドと伸びやかな歌声の対比で魅せた「Unraveling」と、緩急つけながらクライマックスへと道びいていく。そしてたどり着いたのは、『DUM SPIRO SPERO』の中枢とも重要なピースとも呼べるであろう「DIABOLOS」。分厚い本の1ページ1ページをゆっくりとめくるように厳かに奏でられ、徐々に本曲の極点が近づいていく。
“さあ人間を辞めろ。”
京がそう鋭く言い放ち両手を広げた瞬間、割れんばかりの歓声が沸き起こる。その姿は悪魔にも怪物にも死神にも見えたが、堕ちていく人間の姿のようにも思えた。人間を辞めた人間が人を陥れ傷つける、人間を辞めた人間が自分という人間を負で支配する、人間を辞めた人間が人を殺し心を踏みにじる。つまり、人間こそが悪の化身になりうる存在なのではないだろうかと――。
すべてを出し切りステージを去りゆくメンバーには、歓声と拍手が絶えず降り注いでいた。
アンコールに応え、再びステージに現れた5人。京がお立ち台にガリッとマイクを擦りつけて、一瞬にして観客の注目を集める。「輪郭」のしっとりとしたピアノのイントロが流れ、ヴィジョンにはドローイングアニメーションのMVが映し出された。本編でのシャウトやグロウルとは対照的に、京の伸びやかな歌声が心地よく響き渡る。ラストのサビ前の“MINERVA”というつぶやきは、命を吹き込むかのごとくマイクレスで泣き叫ぶように発していたのが印象的だった。
どことなくしんみりとした会場に投下されたのは、リズミカルなドラムとキャッチーなフレーズが爆発する「umbrella」。ライブでは久しく演奏されておらず、昨夜の「蒼い月」と同じようにある種のレア曲だ。一気に会場は沸点に到達し、笑顔の花が咲く。楽器陣と一緒になってコーラスするオーディエンスに、京が「聴こえへんで!」と喝を入れる。追撃するように「羅刹国」をぶちかますと、ヴィジョンは5分割され、メンバーの表情がアップで映し出された。言うまでもなく、全員がいい表情だ。
このままラストまで突っ走っていくのだろう……ふとそんなことを考えて、この2日間の公演ももうすぐ終わってしまうのか、と少々感傷に浸っていたときだ。突如、京がめずらしく口を開いた。
「…きょうは、俺からおまえらにひとつお願いがあんねん。俺、いつも『ひとつになれるかー!』って言うてるけど、そんなんなれるわけない、無理やんとかよく言われるねん。でも…俺はそんなことないって思ってるから。バカみたいに繰り返して言うけど、俺の夢をかなえてくれ。ひとつになれるか! 全員でかかってこい!!」
――息あるかぎり、希望を捨てず
『DUM SPIRO SPERO』とは、ラテン語でそんな意味が込められた言葉だという。DIR EN GREYにとっての「希望」とはなんなのか。その答えが、この京の言葉の中に集約されているように思えた。1人の力ではなく、手を取り合って不可能を可能にするような、否定されても押さえつけられても、光を信じて抗って喰らいついてような――そんな「人間の強さ」をかいま見たのである。
「SUSTAIN THE UNTRUTH」は、ステージへ届けと言わんばかりに、観客各々が目一杯歌う。薫はうなずきながら微笑み、Toshiyaはいたずらを仕掛けた少年のようにニヤリと口角を上げ、Shinyaはポーカーフェイスをくずさず、Dieはギターに徹しながらも白い歯をこぼす。京にいたっては、全身で声を受け止めているかのように、ぎゅと目をつむり、泣いているのか笑っているのかわからないほど、くしゃくしゃの表情だ。
こんなラストを誰が予想しただろうか。これが、DIR EN GREYなのだ。
大喝采の中、ステージを降りたメンバーの背を追う映像と、スタッフロールがヴィジョンに映し出される。やがて、ドキュメント風ムービーに歌詩が添えられ、「THE FINAL」の音源が流れ始めた。誰からともなくその言葉を噛み締めるように歌い出し、いつのまにか大合唱に発展する。
そして、7月にこの武道館2days公演の模様を収録したDVD、11月に約2年ぶりとなるニューアルバムのリリースが発表され、大歓声が沸き起こる。
が、しばらくしてそれがどよめきに変わった。なぜならば、ファンなら一度は耳にしたことがあるであろう「あの」金属音が聴こえてきたからだ。DIR EN GREYのファーストアルバム『GAUZE』の1曲目に収録されているSE「GAUZE -mode of adam-」のMVである。なにが起こっているのかわからない我々の目に飛び込んできたのは“TOUR14 PSYCHONNECT -mode of "GAUZE"?- THIS SUMMER”の文字。のちにウェブサイトや終演後に配られたフライヤーでわかることになるのだが、本ツアーのスケジュールには「mode:25」からの数字がナンバリングされている。つまり、1999年7~9月にかけて24公演行なわれた同名ツアーの続きを示唆しているのだ。
再び画面は暗くなり、「DIR EN GREY」の白い文字だけが浮かび上がる。止まない“DIR EN GREY”コールが起こり、その声に導かれるようにメンバーがステージへ姿を見せた。「おまえら元気やなあ」と含み笑いの京。「ラストー!!」と張り上げた声を合図に演奏されたのは「朔-saku-」。ただステージを明るく照らすだけのシンプルな照明で会場はライブハウスと化す。その光景は、これまでよりもより強くファンと結びついたDIR EN GREYが、新たなスタートを切った瞬間でもあった。
もう涙であまり前が見えなくなっていたのだが、最後に京が目に焼きつけるように会場全体を見渡し、手を挙げながら「バイバイ!」と晴れやかな表情で去っていったことだけは、しかと書きとめておく。
【SET LIST】
SE.狂骨の鳴り
01.MACABRE
02.流転の塔
03.激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇
04.「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟と冷たい雨
05.獣欲
06.DECAYD CROW
07.Bottom of the death valley
INWARD SCREAM
08.かすみ
09.砂上の唄
10.孤独に死す、故に孤独。
INWARD SCREAM
11.THE BLOSSOMING BEELZEBUB
12.業
13.Unraveling
14.DIABOLOS
- EN -
15.輪郭
16.umbrella
17.羅刹国
18.SUSTAIN THE UNTRUTH
THE FINAL(movie)
- EN2 -
19.朔-saku-
SE.狂骨の鳴り
01.MACABRE
02.流転の塔
03.激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇
04.「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟と冷たい雨
05.獣欲
06.DECAYD CROW
07.Bottom of the death valley
INWARD SCREAM
08.かすみ
09.砂上の唄
10.孤独に死す、故に孤独。
INWARD SCREAM
11.THE BLOSSOMING BEELZEBUB
12.業
13.Unraveling
14.DIABOLOS
- EN -
15.輪郭
16.umbrella
17.羅刹国
18.SUSTAIN THE UNTRUTH
THE FINAL(movie)
- EN2 -
19.朔-saku-