良いギターの条件は、一言で言えば、誰でも良い音を奏でる事が出来るギターだ。 これは、プロでもアマチュアでも、初心者でも中級者でも上級は勿論だけど、誰でも弾けば鳴る、音階も確実で、どの弦もすべてバランスよく音が鳴るギターだろう。 これにはとても技術的なノウハウが必要だと思う。
プロだけが出せるような音を追求するようなギターは、私は良いギターの定義からはダメなギターの部類に入る。
テクニックを必要としない、そうしたテクニックを持っていない人でも、相応の音を出すギターは、プロならとてつもない音を奏でることが可能になる。
なので、私がギターの話をあれこれ言うような人間でもないけど、敢えて言わせて頂けば、楽器は芸術的な音楽と言う世界を作る大切な物である。でも、それはあくまでも二次的な要素であり、本来、その楽器を弾く人間の手に芸術は委ねられている。 そこで、楽器とは、本来からすると、テクニックに頼ることも無い条件で音色を出すことが出来る物こそが、最良の楽器と言う名誉を受けるに等しいと思うのである。
そうした観点からすると、やはり、国産手工ギターの多くは、プロのテクニックや経験を頼る傾向があると思わせる。
音の好き嫌いなどの個性があるので、実際に芸術的な音の定義はないけど、最後にあるのはその音量(これは弾き手に取っては重要な要素で、力を必要とすることも無く、自分が理想とする音量を最低限の力で奏でる事が出来る事)、そして、音自体の奥行と言うか艶、さらに当然もっと重要な要素は音の正確さ。 音階を絶対的な正確さで音を出すことだ。
これはテクニックでは補えない、楽器本来の生命だ。
こうした点で全てが満点を取る事が出来るギターが最高のギターと言えよう。
もちろん、ギター作家もそうした音を追求しているだろうけど、しかし、それは芸術家が求める永遠の宿題と同じレベルだ。
私は今回、国産手工ギターを実際に購入して弾いている経験者だけど、期待以上の音を出してくれることもない。のだ。 と実感する一人だ。
価格との費用対効果を考慮して考えると、国産手工ギターの価格は高額過ぎると言う結論に至る。
これは、当然だけど、一人の作家、或いは、数人の職人たちの生活を支える事が目的でもあり、大手企業と零細企業との価格差と思っても理解できる。ただし、それはあくまでも制作側の都合の話。
ユーザーは作家の生活のどうのこうのは全く関係ないし、楽器の選択肢としても、意味がない。