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日記らしきページ

良いギターの条件とは

2021年02月13日 | Weblog
 良いギターの条件は、一言で言えば、誰でも良い音を奏でる事が出来るギターだ。 これは、プロでもアマチュアでも、初心者でも中級者でも上級は勿論だけど、誰でも弾けば鳴る、音階も確実で、どの弦もすべてバランスよく音が鳴るギターだろう。 これにはとても技術的なノウハウが必要だと思う。
プロだけが出せるような音を追求するようなギターは、私は良いギターの定義からはダメなギターの部類に入る。
テクニックを必要としない、そうしたテクニックを持っていない人でも、相応の音を出すギターは、プロならとてつもない音を奏でることが可能になる。
なので、私がギターの話をあれこれ言うような人間でもないけど、敢えて言わせて頂けば、楽器は芸術的な音楽と言う世界を作る大切な物である。でも、それはあくまでも二次的な要素であり、本来、その楽器を弾く人間の手に芸術は委ねられている。 そこで、楽器とは、本来からすると、テクニックに頼ることも無い条件で音色を出すことが出来る物こそが、最良の楽器と言う名誉を受けるに等しいと思うのである。
そうした観点からすると、やはり、国産手工ギターの多くは、プロのテクニックや経験を頼る傾向があると思わせる。
音の好き嫌いなどの個性があるので、実際に芸術的な音の定義はないけど、最後にあるのはその音量(これは弾き手に取っては重要な要素で、力を必要とすることも無く、自分が理想とする音量を最低限の力で奏でる事が出来る事)、そして、音自体の奥行と言うか艶、さらに当然もっと重要な要素は音の正確さ。 音階を絶対的な正確さで音を出すことだ。
これはテクニックでは補えない、楽器本来の生命だ。
こうした点で全てが満点を取る事が出来るギターが最高のギターと言えよう。
もちろん、ギター作家もそうした音を追求しているだろうけど、しかし、それは芸術家が求める永遠の宿題と同じレベルだ。
私は今回、国産手工ギターを実際に購入して弾いている経験者だけど、期待以上の音を出してくれることもない。のだ。 と実感する一人だ。
価格との費用対効果を考慮して考えると、国産手工ギターの価格は高額過ぎると言う結論に至る。
これは、当然だけど、一人の作家、或いは、数人の職人たちの生活を支える事が目的でもあり、大手企業と零細企業との価格差と思っても理解できる。ただし、それはあくまでも制作側の都合の話。
ユーザーは作家の生活のどうのこうのは全く関係ないし、楽器の選択肢としても、意味がない。



ギターとの明日・・・

2021年02月13日 | Weblog
 昨日は国産の手工ギターの話を少し書いた。
海外の(多くはスペイン産の)ギターと比較すると、音量、音の粒立ち、バランスは価格なりには評価できないと書いた。
おそらく、これは誰でも思う事だろうと私の感想である。
私はそれほどギターを数多く弾いていないので、偉そうに言えるような人間ではないけど、それでも、若い頃からアコギを弾いていて、ギターの音に関してはそれなりに聞き分ける事は出来ると思って居る。
クラシックやエレキギターもそうだけど、楽器の命は音階を正確に完璧な同じ音量で、同じ音色で、同じ音の艶を全ての音(これは全ての音である(#、♭もマイナーもメジャーも全てのフレットの音のバランス)が心地よい響きを奏でることが出来る物が最良の楽器と言えるだろう。
楽器の基本、いや、生命とも言えるのは、音が正確に出る事だ。
これは、この正確な音を出す事。  これがとても難しい楽器として、ギターは最たる物だろう。 6本の弦は各弦全て作り、太さ、材質なども違う。
アコギならスチール弦だし、クラシックならナイロン弦だし、その中でも、様々な仕様があるので、ギターの特性に合った弦に出会うのは意外と難しい。
何しろ、どの弦を主体として作家がギターを制作しているのか?
これが意外と説明がない。
特に国産の手工ギターの作家は弦の選択を言わない。
国外のギターは、どの弦を出荷時に付けているのかまで説明している事が多く、ある程度どの弦を元にして制作しているのかは一応だけど参考出来る。
私は日本の芸術的な手工品の作家の悪い職人気質と言うか、そうした何か特別な物を作るんだと言う情熱だけが先行していて、肝心なギターなら音の生命を置き去りにしているのではないか? と疑問を持った。
ギター作家は本来、ギターを作り、弾き手に最高のパフォーマンスを出してもらう事が最大の名誉だろう。
最近は何か国産手工ギターが特別な物として認識されている様子には、私はあまり歓迎していない。
敢えて言うなら、作家の名前なんて物は要らない。 そうではなく、ギターそのものが本当に良い音と操作性の心地よさを実現出来ているのかどうかだ。
桜井正毅氏のギターはその名を馳せていて、日本でも海外でも人気が高い。黒澤澄雄氏、横尾俊佑氏など国産手工ギターの作家は確かに人気が高い。
しかし、こうした作家が制作する本当に納得できる音を奏でる事が出来るギターは想像以上に高額である。
100万円前後もする価格が当然のように付けられているし、低価格のギターは、想像以上に鳴りも音もSpainの量産ギターより劣るのは明らかだ。
なのにである。 日本人の手工ギターへの信頼は何処から来るのか?
これは、ブランド品に目が無い日本人特有の物に対する価値観だろう。
日本人は意外とそうした他者に対する見栄が強い民族だと思う。
逆にこの見栄は、他者に対する思いやりに変化するのだ。
例えば、人に物を与える時には、大したものではありませんとか、粗末な物でですけど・・云々とか・・。 控えめにその物の評価をする傾向が強い。
でも、本当はこれはとても良い物で、そんなにめったに手にすることも無い物だ。 と心の中では思って居るのである。
そうした咋に物に対する評価を他人に言わない点が日本人の情緒ある精神性とか、奥ゆかしさとか、他人に対する思いやりとか・・。
何か日本人独特の美意識をあるのだ。
こうした点も含めて、国産の手工ギターに対しても、何か期待感もあるだろうけど、その物の本当の評価以上に良い評価を下す傾向が強い。

私はギターの事をそれほど知ることも無いけど、少なくとも、今私が所有するギターの中で最も評価が高いギターはCórdoba45limitedである。
これは、スペインのhandcraftとなっているけど、実際には恐らく、中国生産か、スペインで中国等の職人が量産するギターだと思う。
それでも、このギターは私が所有する松井邦義の手工ギターと比較しても、間違いなく、勝っているとは思わないし、逆に価格からするととても情けない思いを感じる事になるのである。
こうした事を私は実際に実感しているので、ギターを購入する時には、決してギターの価格やその作家などの情報を捨てることだと言わせていただく。
ギターを見た時の直感を信じる事が大切だろう。 
価格だからとか、著名な作家だからとか、弾きやすそうだとか、そうした音とは別の観点は良いギターを選ぶ時には、とても無駄で、見極めるための割る材料となる事を覚えていてほしい。
本来からすると、価格や産地、どのような制作過程や材料などなどなんて物は関係ないはずだ。 楽器の命である音は手間や材料だけでは理想的な物を作る条件ではない。 リーズナブル合板仕様のギターでも、驚くほどの音を奏でるギターはあるのだ。 価格との比較で考えるなら、国産手工ギターは決して得をするような物ではない。
私には出来ないけど、本当に聞き分けるだけのプロフェッショナルなギタリスト達だけの世界のような気もする。