しばらく筋トレも休止していた。 特に体調が悪いわけでもないし、時間が無いわけでもない。 ただ、ギターを弾き始めて(再開して)から、しばらくは筋トレも予定通りにしていたけど、ギターの練習に熱が入って、夕方に予定しているトレーニングをする気力や体力が無くなってしまう事が多々あり、そうこうしている間に何となく、トレーニングをしばらくしていなかったと言うわけだ。
これは単なる「なまけ癖」と言うことだろう。
その怠慢を自覚して、今後は予定通りにトレーニングをする事を決めた。
で、再開して、やはり相当に筋力が衰えているので、これまでの半分程度のウエイトで始めたのだけど、それでも、今日で4日目だが、まだ、筋肉痛が残っている状態である。
胸筋、腹筋辺りがまだ少し疲労感がある。 なので、今後は少しつづ様子を見ながら、軽いウエイトで短時間で継続することにしようと思って居る。
何よりも、無理をする必要は無いし、私の年齢からしても無理は禁物だ。
ただ、以前のような体型(筋肉)になるようにしたいと思う。
それは意外と簡単だろう。 そもそもマッチョと言えるほどの筋肉が付いていた訳でもない。 とは言え、それなりの体型だったので、その時点まで戻すには数か月程度は必要だろう。
今は家トレなので、時間的にも容易にトレーニングは継続出来る。 ジムなどに通っていた時に比較すると、ジムまでの往復の時間などを考えれば無駄な時間はない。
やはり、身体を鍛えるのは精神的にもリフレッシュできるのは確かだろう。
それと、年齢が高くなるほどに筋肉の必要性を実感する。 トレーニングを継続している時には感じることが無い疲れや疲労感を感じ始めたし、精神的にも若さを失う気もする。
身体を使って、出来る限り無我の意識で黙々とトレーニングに集中することは、無駄な思考、妄想、感情をリセットする効果もあるだろう。
この思考、妄想、感情を無にする事は、仏教でいうなら座禅する時に精神を統一して、煩悩を捨て去ると言う修行にも似ている。
ひたすらに、自己の内面だけを見つめ、身体の感覚だけを感じ取ること。
昨日も書いたけど、いろんな人生を変える、豊かにする、悩みを無くす、夢を実現するなどの啓発本や精神論などでも必ず出てくるのは、マインドフルネスの効果だ。 そして、潜在意識など。 こうした精神性が人生を変える唯一の物である。 と言う結論に達する。 これはほとんど全てのこうした関連の書物には共通する思想である。
特にマーフィーなどの書物や稲盛和夫氏の著書には願いを強烈に念願することで現実化すると言っている。
これは単なる思いではなく、まるでそれが自己の全てであるかのように常にどこにいても、何をしていても、願望を願い続ける事が必要だと・・・。
少なくとも、潜在意識に刷り込まれるレベルにまで自己のこうした想念、願望を願い続けることで、現実として現れるのだと。
もちろん、ただ、願うだけで現実は変わらない。 願望を熱望する強烈な意識によって、そうする為の必要不可欠な行動や思考、創意工夫やインスピレーションなどを自発的に実行する事に繋がると言うことだろう。
その熱望する力が誰よりも強い時にはそうした他者以上の努力や実力が身に付く事になる。
不断の努力はそれ相応の結果を生み出すのは当然だし、例えば、オリンピックで金メダルを獲得する目標を掲げ、実際にそうするためには他の選手の倍以上の努力や精神性や創造が必要だ。
これは人生を思うままに変えると言う考え方としては正しいだろう。 ビジネスの世界や芸術、研究の世界でも同じだろう。
私はこうした啓発本が必要なほどに人生に悩みや怒りや悲しみを抱えていない。 むしろ現在は今の生活、今の現状、未来への不安もないし、希望や夢があり、その希望や夢は私の生きる力になっている。
夢や希望はある意味では願望だが、それは妄想でもあり、そうした妄想に執着する事が逆に悩みや怒りや悲しみの要因にもなる。
しかし、私はそうした執着心はほとんどない。 であったらいいだろうな・・・。 ぐらいの思いとして、心の底に置いて置く程度である。
だから、自分の思いが実現することが無くても、特に残念がったり、悲しんだり、恨んだり、成功者に対するやっかみ、(妬みや、所謂、羨ましく妬んだりするよる心)を持つこともない。
逆に努力して、成功し、夢を獲得した人に対しては、「凄い!、素敵、相当に努力したんだろう」と言う思いを強く感じる。
他者の成功をそのまま素直に受け止め、素直に素敵だと思えることは自分自身も嬉しく思えることだろう。
私はある程度の年齢を重ねてきて、さらにはそれほど長い人生の時間を持っている訳でもない。 そうした時期に成って、自分の未来がある程度見渡せる場所に立てているからだろう。
どんな人も未来に対する確実な世界観が持てれば、悩みは消えるだろうし、悩みが無い人生はとても有意義な物であると実感する事も可能だろう。
これは、夢や希望を確信すると言う精神的な物とも同様に思える。
確信すること。 自己を肯定すること。 自己を確立すること。
そうなるためにはやはり、ある程度の未来を想像出来る要素が必要だろう。
未来を見渡し時に、絶望以外には見いだせないと思う人もいるだろう。
このコロナ禍で自殺者はこれまでの統計上で最も増えたとの記事なども読んだことがあるし、TVなどでもそのデーターを示している。
しかし、どんな状況でも、それを解決する手段は必ず見つかる。
どんなに借金をしても良いだろう。 どんなに無駄だと思える事もいいだろう。 少なくとも、死を選択するほどの気持ちがあるなら、すでに死んだんだと思って、あらゆる可能性を試すことだって出来るだろう。
これは、苦労したくないとか、働きたくないとか、楽をしたいとか、そうした放漫で怠慢な姿勢だ。 そうした気持ちでないなら、あらゆる可能性に挑戦する意識を持てるように心を変化する必要が有る。
もちろん、これが難しいと言う人も多々いるし、通常の人間なら当然の意識だろう。 しかし、意識は物質ではない。 意識は己の心でしかなく、変化させるには何か特別な装置も必要ないし、特別なお金が必要無いし、そもそも、実態のない精神なのであるから、変える事は絶対に、すぐにでも出来る。
人生の不安や悩みは、世の中への怒りや不満の原因に繋がる。
そうした不安や悩みを解決できない人は憂鬱になり、うつ病や精神疾患を患い、体調も悪化する事がある。 心と体は一体なので、どちからに良く無い物がある時にはどちらも悪い方向へ流れ行く。
そうした悪い流れに流されないためには、こうした人生論や成功の秘訣や人生の生きたかなどなどの著書を読むことも有意義な事だろう。
私は今はこうした物を必要としていないが、それでも、まだまだ自己の精神を向上させるために、もっと安定して豊かにするためにも時折忘れそうな時に触れて、自分を肯定する為に読んだりする。
さて、今日は3連休の3日目。 3日連続で休めるのは今の仕事ではそれほど多くないし、GW、夏季、年末年始でもほとんどない。
なので、今回はやはり身体の疲労感も取れたし、精神的な安らぎも増えた。
ギターの練習も思っている程度に出来るし、こうして余裕が有る時間はトレーニングを再開する意欲も沸いて来た。
日々の仕事や日常の雑用などで身体も精神も疲労感はどうしても否めない。
こうして、時折、のんびりと時間を取り、自分の好きなことをたっぷりとすることや、自分を見つめ直すことは、人生を豊かにするためには必須だろう。
仕事人間は特にこうして、時折は仕事の事を一切考えない時間を作って、自分の好きな事に没頭することも有意義な物になる。
今日もギターの練習をしっかりと遣りたいし、のんびりと過ごそうと思う。