コロナ禍で2年間は各地の花火大会などは中止が相次ぐ事になった。
今年は感染拡大状況が続いているが、行動制限や飲食店などの営業時間、飲酒などの規制もなく、コンサートやイベントなどでも満席状態での開催になっている。 野球などもほぼ満席状態だし、旅行客もまずまずの宿泊客などが戻り、社会経済も平常に戻りつつある。
今年は地元の花火も開催される事になり、今日も妻は昼から何時もの恒例で、BQをしながらの花火観戦をすることになっている。 以前は家族で出かけてたけど、今は息子達も各自の生活を優先しているし、下の息子はすでに家庭もあり、家族で花火を見る機会はない。
今日のBQも妻の友達同士での集まりなので、私は家でのんびりと過ごすことになる。 花火はTV中継などで楽しむことにして、今はそうしたイベントなどに出かける事はさっぱりと無くなった。
それでも、子供達や若い人達には花火は夏のイベントの楽しみであり、思い出になるだろうと思う。 コロナでいろんな制限を強いられて来た今の若い人達は本当にかわいそうな気もする。
自由に遊べないことはどれほどストレスが溜まるだろうか? 私達の若い頃に比較すると、コロナでの外出規制だけではなく、いろんな物が規制されているように思える。
価値観が画一的になってきたように思う。 例えば、書物やTV、映画などでも、あくまでもフィクションであることを前提としていても、現状の世の中の常識と言うか、いろんなルールや規制を踏襲するような表現に限られいて、その範囲を超えるような表現に対して、いろんな反発や指摘がされる。
今やTVドラマでもタバコを吸う場面がほとんど無いし、飲酒の場面も少ない。
残酷なシーンもほとんどなく、エロチックな場面もほぼ無くなった。
昔は当たり前にあった表現が今は社会的な背景として表現するには相応しくない?? あくまでもフィクションなので、私はそうした過剰な表現の規制はある意味では真実味が無くなるし、教育としてもあまり良いとも思っていない。
逆にこの世の中には悪もあるし、善もあり、悪と思える行為も善としての真実を含むこともある。 そうした幅広い視点をもっと子供達や若い人達が認識する事が出来る事が本当の教育としての誠実だと思うのである。
特に日本の性教育は欧米などと比較しても相当に遅れていると言えるし、もっとセックスに関しても正面から教育する事が必要だろう。
女子高生などが性を売り物にしてお金を稼ぐのも、本当に性に対する誠実な姿勢が持てない意識からだろう。 さらに、性に対する危険な対応なども知らない人が多くいる。
特に中学生ぐらいだと、全くそうした意識が無い人もいて、ネットで知り合った見ず知らずの大人達に身売りするなど、セックスなどに対する意識は相当に低い。 性によって感染する病気や、妊娠した場合のリスクを理解することがないのだろう。 性を金に換える事は当たり前だと思っている人も居るし、そうした行為を大人達もネット上で未成年と知りながら待ち受けるのである。
話が逸れたけど、今はそうした悪や善に対する認識が薄れていて、何が悪で何が善で、何が真実で何が虚であるのかも認識する意識が無くなったような気もする。 人とのコミュニケーションが幼い時から限定されていたり、ほとんどネットの仮想空間だけで育ったりすることで、現実の実態との乖離が起こる。
そうした現実社会を受け止められないとか、現実のギャップを想定する意識が無くなったりする。
先日、中学生3年生の15歳の少女が東京渋谷の路上で面識のない親子を包丁で刺して重傷を負わせている。 いろんな家庭事情があるだろうが、中学生が他人を殺害しようとする事、本人は母親を殺害する予行練習だとも供述していて、自分が人を殺害出来るのかを他人で試す意識だったのだろう。
しかし、これはもう、現実と言う自分が存在する現世を意識出来ない状態だろう。 包丁やナイフで人を刺せば、どうなるか? 人でなくても、料理をしていれば当然、魚や肉などを切ったり、野菜を切ったり、果物を切ったりするだけでもその鋭利な刃物がどんなものなのかを理解できるはず。
予行練習などしなくても、想像するだけでも凡その結果は理解できるだろう。
母親を殺害すると言うのはおそらく言い訳だろうと思う。 本当に殺意がるなら、まずは母親を殺害している。 他人を殺害してそのまま捕まらずに帰る事が出来ると思っていたのなら、相当な馬鹿か間抜けだろう。
こうした肝心な所が抜けているような発想は、女子高生や女子生徒が平気で大人に身体を売っている状況と重なる。 未成年がそうした金銭目的での性行為をした場合には犯罪であり、発覚した場合には前科も付くし、将来的にも大きなリスクになる事を認識していないのだろう。
そもそも、売春行為自体が犯罪であることを認識していたとしても、捕まらないだろうと思う意識はあまりにも馬鹿で間抜けだ。
さて、またまた話がズレて来た。
今日はこの東海地方は何とか天候は晴れ間が続きそうで、日差しもある。
最高気温は34度前後まで上がり、かなりの暑さになる。
明日からは天気は不安定になり、晴れたり曇ったり、月曜日からは雨が続きそうで、夏らしい天気とはならない。
仕事をしている社会人はこの猛暑が早く過ぎて欲しいと思っている人も多くいるだろう。 出来れば、快適な季節が良いのは当然だろう。
特に最近の天候は局所的な豪雨や雷雨などで大きな災害になっているし、気温も過去最高を毎年更新する事も当たりまえになっている。
さて、今日は休みで、特に出かける用事もなく、一日家で過ごすことになる。
ギターの練習をひたすらしようと決めている。 筋トレも今日はしっかりと遣りたい。 ギターの弦交換をして、まだ何となく納得できない状態。
なので、何時ものサバレス弦を即購入した。 まだ交換するには勿体ない気もするので、もう少しせっかく張った弦を使う予定である。
先日も書いたけど、今はギターを弾く時間の割合を考えるとクラシックギターが7割、フラメンコのエレアコが1割、その他のエレキ系ギターが1割程度。
当然だけど、クラシック曲、練習曲を弾くことが最優先にしているので、その他のギター(ナイロン弦のフラメンコエレアコ、フルアコ、アコギ、レスポールなど)の使用頻度は相当に低い。
クラシックギター以外のアコギなども実は全てピックアップ付のギターだ。
一番新しく購入したheadwayのアコギにもピックアップが付いている。
Córdobaのエレアコもフィッシュマンのピックアップ、レスポールは当然だけど、Ibanezのフルアコも当然だけど付いている。
headwayのアコギは生音でもそのままの音色や音量、音質も通常のピックアップが付いていないアコギとの差は全くない。
他のギターは所謂エレキ系なので、生音はある程度は良く聞くことが出来るが、どうしても本当にそのギターの音を出すにはアンプを通して出る音が良いに決まっている。
そのアンプは私の所有するアンプは最低限、音が出る程度の性能だ。 もちろん、とてもナチュラルな音色なので、フルアコなども違和感はないが、もう少しジャスらしい音が欲しくなるし、レスポールならもっといろんなエフェクトが欲しい気もする。
しかし、何本も所有していても結局はあまり弾く頻度もなく、ある意味では昭勇欲を満たしているだけの話だろう。
そもそも、まだクラシックでも中級レベルに達している程度なので、まだまだ今後クラシックを最優先することになる。
ただ、時折はクラシック以外のギターの音色が恋しくなるし、実際にポピュラー曲やジャズなどはクラシックギターの音色では満足できない。
どうしてもそうした時にはそれなりのギターが欲しくなるので、手放すのもなかなかできないのである。
しかし、アコギも先日はナイロン弦に交換してみようかなとか、クラシックギターを弾いているとどうしてもスチール弦との違和感もあるし、押弦などもスチール弦はキツイ。 フルアコは意外と押弦は楽なんだけど・・・? これは弦の種類の問題か? フルフラット弦は意外と押弦が楽??
それとも、弦高の問題だろうか? それとも、フルアコの構造の問題か?
レスポールなども押弦はクラシックよりも楽だ。
アコギだけはどうしてもかなりのテンションで、押えるのがキツイので、少し前には弦交換をした。 購入時に張ってあった弦はエリクサーのコーティング弦だったが、今はダダリオのニッケル弦を張っている。
以前に比較するとかなり楽になった気がする。 次回はフルフラット弦を張ってみようと思う。
弦によって音色は変化するが、今の所アコギの音色はほとんど変化していない。 エレキ弦とアコギ弦の違いを感じる程でもない。
フルアコ程度に押えるのが楽になるなら音の変化もまっ、良いだろうと思う。
headwayのアコギは音色、音量、弾き易さも想像以上に良いので、このギターは手放す気になれない。
Córdobaから新しいギターが登場した。 ステージギターと言うのだが、フルアコのような構造で、中空、サウンドホールが無く、ボディー上部に3つの小さいホールがある。 ナイロン弦のプックアップ付き、ボディー厚もフルアコよりも薄い、ただ、重量がかなり軽いので演奏するには楽。
ナイロン弦らしい音色がとても私の欲しい音色だろうと思う。 動画などで見ても、その表現にはとても奥深さもあり、次回買うならこのギターが欲しい。
今のギターの3本程度を処分して購入してもいいだろう? とも思えるギターだと思った。 もう少し今の私のギターレベルを考慮して考えようと思う。