summer diary

日記らしきページ

今日も春日より

2023年03月01日 | Weblog
 昨日と今日も最高気温は今年最高の気温の予報。 春らしい陽気に恵まれて、午前中は日差しもたっぷりと降り注ぎ、風も無く心地よい日。 
昨日は洗濯物も午後2時半には完全に乾燥して取り入れる事が出来た。 
午前中は買い物に出かけたので午後から夕方まではアッという間に過ぎる。 
昼食を済ませてからギターを弾いて居たのであるが、1時間毎に10分程度の休憩を入れて、4時半まで過ごしていた。 実質弾いてる時間は3時間半弱だろうか。 講座の課題曲2曲の1曲はほぼ9割以上弾ける。 2曲目はまだ7割弱だろうか。 それでも、難所は4カ所あるが、そのカ所が弾けるようになるまでにはもう少しだろう。 
カルカッシ教則本の練習曲も2曲毎に進めているが、1曲は9割以上弾ける。 もう1曲はやはり7割程度だろうか。 
それでも、以前(仕事をしている時に比較すると)よりも実力は上がって居るという実感もある。 指板の音、位置、音階練習、アルペジオなどもスムーズに弾ける様になってきた。 
毎日練習出来ると言うことは昨日練習した最後の感覚や記憶はそれほど消えていない事だろう。 記憶力は時間経過に比例して確実に薄れる、忘れる。 
ギターを弾く指の動きや感覚も当然だが、時間経過に比例して薄れる。 
特に数日も弾かない場合には前回練習した時よりもさらに遡って後戻りしないと前回までの所にまで戻れない。 それこそ、3歩進んで2歩下がるということだろう。 これは毎日弾いていてもある程度は同じ事を繰り返す。 
カルカッシ教則本の練習曲なら2曲を現在の練習曲にしているが、練習前には音階練習、アルペジオ練習は欠かさないが、さらに、1曲前の曲も弾くようにしている。 現在進行している曲よりもレベルが低い曲がどの程度弾けるのか。 さらに、直近の曲が弾けるのは当然なので、どの程度の記憶や指の感覚、指が覚えているだろうか。 そうした繰り返しの練習がとても大切だと思っている。 なので、1日の練習をしっかり出来るのは基本練習は30分程度は必要だろう。 曲の練習は1時間から2時間程度は必要な気もする。
私の才能だとこれぐらいの練習を毎日出来ても、カルカッシ教則本の練習曲の進捗は年内でも以前の曲までの所にまでは行けないだろうと予想している。 
なので、当初、今年度中にはカルカッシ教則本の練習曲の教本は卒業する予定だったが、それを1年延期して来年の年末までに設定しようと思っている。
これはもちろん、ギター講座の課題曲も平行して練習するので、これぐらいの進捗が妥当だと思う。 基礎的な練習も当然だけど、これもある程度の時間が必要だし、最低でも毎日練習する事は必須だ。 何も用事などが無い場合なら日に3時間から4時間は弾ける。 用事や旅行やその他の外出する時は最低でも1時間程度は弾くようにしたい。 まっ、旅行などは朝から夜遅くなる時もあるので、弾くのはちょっと難しいだろう。 
それでも、譜面を見たり、音楽理論や音階などを読んでいるだけでも良いだろう。 
さて、毎日ギターの話ばかりを書いているけど、それでも私は飽きる事がなく、書く事にしている。 これはモチベーションを維持するためにも必要である。 常に目標を掲げ、その目標に届くまでにはどの程度の時間や、それまでに遣らないとならない物を明確にする事は重要だ。 

さて、国会では連日児童手当などの質疑が続いているて、岸田首相の倍増と言う発言に対する根拠や予算額に対する詳細などを野党からの質問に対して、首相はほとんど答える事が出来ずに居る。 
そもそも何に対する倍増なのか? どの数値や制度や政策に対する倍増なのか? 少子化に対して今更ながらの政府の対応は遅すぎる。 少子化はすでに数十年まえから分かっていた事で、高齢社会になり、医療、年金、その他の高齢社会が抱える費用の増大に対して、そうした資金を現役世代が少なくなった場合に対する持続出来る政策、制度がまったく確率出来ていない。
そうした制度を確立するには急には無理で、徐々に確立する事が必要なので、今更間に合わないだろう。 
人口減少は確実な現実、未来像だ。 人口減少は労働力不足だけでは無く、当然だが、税額の減少であり、国家予算はそうした限られている資金をいかに丁寧な使い道に活用していくのかだ。 何時までも赤字国債は続かない。 仮に日本が不慮の災害で経済力が減退したときは国債の売却は確実だし、円安は間違いなく最高になるだろう。 これまで日本はそれほどの危機感を持たずにきた。 しかし、世界は遙かに変化しいてこれまでの様な経済力を日本が維持する事は難しいだろう。 人口減少はそもそも、子供を生まない夫婦や結婚をしない若い人の増加、そもそも、子供を育てる余裕がない今の給料や税額。 
もちろん、子供を産み育てる事は各個人の自由意志だが、子供を生んで育てたいと思える国であることが前提条件だろう。 この国に子供を育てるだけの価値や余裕、未来像が持てないなら自分の分身である子供などを生んだりはしない。 それは子供対する裏切り行為と同じである。 
子供を生んで育てる事は、子供に平和で幸せな生活を送って欲しいと思う思うだろう。 それを実現するためにはそれなりの経済力や子供を育て、教育して、必要なお金にある程度の目処がある事だ。 
今年の春闘では大手企業はバブル崩壊移行では最高額のベアアップをしている。 しかし、ほとんどの企業は昇給や賞与などのベースアップは出来ていない。 物価上昇額に対しての増額はほとんど無理だ。 そもそも、企業収益が目減りしている状況で給料を増やすなんて事は無理に決まっている。 
勝ち組の大手企業は別だが、ほとんどのサラリーマンは実質賃金は確実に減少傾向になる。 
こうした状況が続く限りは子供への支援などの増額では少子化に歯止めは掛けれないだろう。 子供を産む事や育てる事はお金だけでは解決出来ない問題も多々ある。 幼稚園や保育園に預ける事が出来る制度なども改革する必要があるし、数の問題や、保育士、教師などへの働き方の改善も当然だ。 給料や仕事内容なども改善する必要があるだろう。 
高齢社会になり、介護士や介護福祉士などの給料なども改善する必要があるだろう。 しかし、現状の経済的なシステムや仕組みでは増収は見込めない。 
いかに資金が集まる仕組みを構築するのか。 政府はそうした新しい仕組みを作る必要があるだろう。 日本には原資が無い。 原油やその他の食料品など含めて海外からの輸入に頼る事が必須だ。 
海外からの旅行者も増える見込みはそれほどない。 しかも、この狭い国土で住む日本人は1億以上も居るのである。 もちろん、今後は人口減少は確実で、数十年後には3割以上減少する。 
いろんな意味で、未来に対する希望や夢が持てない国に果たして子供を持つ事に疑問を持つ事は当然だ。