中野区には6カ所の氷川神社がありますが、歴史の多くは、太田道灌に関わっているようです。文明元年(1469)武蔵国の守護職だった太田道灌が江戸城を築城にあたり、その鎮護のために大宮の氷川神社から分霊勧請した。
歴史に疎いのですが、太田道灌をウィキペディアで読んでみると、霊夢を見て江戸城築城したとあるし、川崎市にある「夢見ヶ崎」の地名も道灌の夢に由来しているそうで、興味を持った。
また山吹の花の有名なエピソードは、道灌の体験だったのですね~、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
神社廻りの楽しみの一つは、昔の地名を知って感激したり、歴史に重ねて歩いて行くと、「歴史」は書物にしまい込まれたものではなく皮膚感覚で伝わって来たりする。
太田道灌は暗殺されたそうですが、刃を受けながら下の句を詠んだそうですから、肚の据わり方はあっぱれで、戦国時代がいいとは思いませんが、日本人のDNAを思った。
中野区本町の氷川神社に入ると、境内にメジロが飛び交い、神楽殿からは謡の声が朗々と響き、心地よいひと時を過ごしました。
#39 本郷氷川神社
みごとな梅の木。メジロが群がっていた。このあたりは本郷村とよばれていたようです。神田川もあってのどかな村だったのでしょうね
#40 下野小山 須賀神社
栃木県小山市の立派な神社でした。
私は、みなさんの参拝のおじゃまにならないように、左右どちらかに立つのですが、今日は中央に立つように指示されました。
中心の地場は素晴らしく、筑波山の男体山の神社に立っているような感覚でした。
中心軸がピッタリで磁石状態になっているような。。。
祝詞の声も響きも別物になり、私は男性的な声になっていくのですが、かといって神懸かりしている訳ではなく、自我が澄んでいる状態のようです。
「清々し!」と一言あって、神殿の遥か彼方に、イザナミさまがお出でになられました
栃木県のスサノオの神社は、これで終了としました。まだ2、3カ所ありますが、この須賀神社で納得した感じかな~
今日は久しぶりに磁気嵐だったり、太陽風も強烈でした。「宇宙天気ニュース」の速報が来たので覚悟はしていましたが、いやはや・・・太陽もガンバル、地球も、わたしもガンバル、、、
帰宅してゆっくりティタイムを楽しんで、ソファーに少し横になると、ハイヤーセルフがピッタリ寄り添って下さった
今日もここにいてしあわせです~