本日は月命日なのでご寺院様のお参りが終わってから撮影機材を担いで四条畷神社まで出かける。
撮影目的ではなくて、リュックと三脚を担いで歩きまわる訓練。
久しくフル装備で出かけていないし、運動不足もあってトライしてみた。
神社に続く坂道、さらに続く石段は流石にきつかった。
それでも境内の木々の若葉がそよ風に揺れ、その香りを乗せたざわめきがむしろ清々しく思われ心洗われる。
神社を訪れるのは久しぶりのことで、最寄り駅の様子は以前とは少し変わっていて、新たな参道もできていたし新しい社もできていた。
四条畷神社の祭神は楠木正行(まさつら)で、湊川神社に祀られている楠木正成の嫡男。
父正成を大楠公と呼び、正行は小楠公と呼ぶ。
私が寝屋川市の河北に在所していた時は、こちらの商店街に出かける時は「楠公まで行ってくる」と言って出掛けていた。
菊水のご紋は親しみがあったし、正行は楠公さんといって敬われていた。
私にとっては楠といえば正成ではなくて正行なのである。
湊川で没した大楠公は出陣において死を覚悟し、桜井において小楠公に「父の教えを守って正統の天皇に仕える様」伝え別れを告げた。
俗に言う「桜井の別」である。
その後、南朝の武将となった小楠公は度々敵を打ち破ったが、瓜生野の戦では、敗走する多数の敵兵が渡辺橋(現天満橋附近)から落ちて酷寒の中溺れるのを助け挙げ、傷の手当てをし衣食を与えて京都に帰したという。
ナイチンゲールにさかのぼること500年。
四條畷の決戦に際し、小楠公は吉野の如意輪堂に行き、一族143名の名を留め鏃を用いて板壁に辞世の句を記したという。
その辞世の句も記載されていて「帰らじと かねて思えば梓弓 無き数に入る名をぞ留むる」。合掌。
そんな縁起がしたためられていた。
帰ってヤクルト戦を見たが、今日の阪神はやる気がなく完敗。
というより自滅。
井上康生も負けた。
勝ったのは石井だけど、今日の試合内容をみるとオリンピックは棟田かな?
撮影目的ではなくて、リュックと三脚を担いで歩きまわる訓練。
久しくフル装備で出かけていないし、運動不足もあってトライしてみた。
神社に続く坂道、さらに続く石段は流石にきつかった。
それでも境内の木々の若葉がそよ風に揺れ、その香りを乗せたざわめきがむしろ清々しく思われ心洗われる。
神社を訪れるのは久しぶりのことで、最寄り駅の様子は以前とは少し変わっていて、新たな参道もできていたし新しい社もできていた。
四条畷神社の祭神は楠木正行(まさつら)で、湊川神社に祀られている楠木正成の嫡男。
父正成を大楠公と呼び、正行は小楠公と呼ぶ。
私が寝屋川市の河北に在所していた時は、こちらの商店街に出かける時は「楠公まで行ってくる」と言って出掛けていた。
菊水のご紋は親しみがあったし、正行は楠公さんといって敬われていた。
私にとっては楠といえば正成ではなくて正行なのである。
湊川で没した大楠公は出陣において死を覚悟し、桜井において小楠公に「父の教えを守って正統の天皇に仕える様」伝え別れを告げた。
俗に言う「桜井の別」である。
その後、南朝の武将となった小楠公は度々敵を打ち破ったが、瓜生野の戦では、敗走する多数の敵兵が渡辺橋(現天満橋附近)から落ちて酷寒の中溺れるのを助け挙げ、傷の手当てをし衣食を与えて京都に帰したという。
ナイチンゲールにさかのぼること500年。
四條畷の決戦に際し、小楠公は吉野の如意輪堂に行き、一族143名の名を留め鏃を用いて板壁に辞世の句を記したという。
その辞世の句も記載されていて「帰らじと かねて思えば梓弓 無き数に入る名をぞ留むる」。合掌。
そんな縁起がしたためられていた。
帰ってヤクルト戦を見たが、今日の阪神はやる気がなく完敗。
というより自滅。
井上康生も負けた。
勝ったのは石井だけど、今日の試合内容をみるとオリンピックは棟田かな?