孫たちが長い滞在を経て東京に帰っていき数日が経った。
私はやっと体力回復の兆しが見えてきた。
PCに保存した写真とムービーを見て、早くも懐かしんでいる次第。
わずか20日ばかりだったが、それでも振り返れば色々なことが思い出される。
8月17日には京セラドームの阪神戦に出かけた。
例年、この時期は京セラドームで試合が行われており、2年続けて観戦に出かけていた。
昨年までは弱い中日が相手で2連勝中だったが、今年は首位の広島が相手で、しかも初戦と2戦目は阪神のいいところがなく完敗ゲーム。
チケットが3戦目しか取れずこの日になったが、この日になって良かった。
最寄り駅に着くとチケット完売のアナウンスが流れていて、入場すると早くも満員状態だった。
双子の一人のKは応援していたゴメスが退団したこともあって、グッズショップで中谷のマフラータオルを購入。
Yは購入していた鳥谷のタオルを持参してきている。
試合は初回に岩田が1点をとられたものの、3回に坂本、岩田の連続四球から北條、福留のタイムリーが出てアッサリと逆点。
我々は大いに盛り上がる。
5回には広島の福井が9番岩谷にまたまた四球。
小2の孫たちは「なにびびっとんねん」と東京育ちにもかかわらず関西弁でヤジを飛ばしてた。
ここで再び福留がライト線へ強烈なライナーのタイムリーツーベース。
ロジャースも軽々とセンターへ犠牲フライをあげて4対2。
「今日も勝てるで!」と孫たちと盛り上がった。
流石に広島で、6回表に同点にされたから「負けたらあかん」と余計に盛り上がってきた。
さて阪神の6回裏の攻撃。
我々は知らなかったが事件はここで起きていた。
代打伊藤隼太の場面で、中継していたサンテレビの画面に我々3人が大写しで登場していたらしい。
かなりの時間映っていたので、翌日には知人や近所の知り合いからも「京セラドームに行ってたやろ」とメールやら掛け声やらを賭けられた。
家では家人と孫の母親である娘が大騒ぎとなっていたらしい。
義姉も発見して、映っていたやろと電話をくれたらしいのである。
そんな騒動が起きていることも知らず、試合は9回裏となった。
代打俊介のハッピーバースデーを歌うと、俊介がレフトへヒットで出塁。
梅野が初球を送りバントを決めると「梅ちゃんはバントが上手い」と孫が意見を発表。
西岡は楽々ファーボール、続く北條がきわどいボールをファールし続けて粘り続ける。
粘りに粘ってついにレフトへヒットを飛ばし満塁のチャンスが到来。
オイラたちは「ワッショイ、ワッショイ」の大合唱。
孫たちと「広島倒せー!、オーッ!」と叫んだ時、福留がセンターへ打ち上げた。
「いけぇ~!」と叫んだら、俊足の俊介がホームに滑り込んでサヨナラゲーム。
ヒーロ・インタビューは聞かなあかんわ、六甲颪は歌わなあかんわで帰りが遅なってしまったが、録画しておいた試合を見返して我々の登場シーンを確認し再び盛り上がった。
日付変更線を超えてしまった1日だったが、大いに楽しめた一日だったのである。