僕は映画を見ながら、会話を一瞬のうちに読み取ることが出来る長さで表現する字幕担当者の才能にいつも感心させられていた。
この本を読むと、翻訳者の方もその才能だけでなく、実に博学を要求されることがよく解る。
語学力のない私には、映画を理解するのはもっぱら字幕に頼るしかないのだが、表現の中にはそんなにも奥深いものがあるのかと再認識させられて、単純な文字化では事足りないものがあることを再認識。
逆の立場に立てば、日本映画を本当に楽しむにはやはり日本語と日本文化の理解が必要なのではないかと推測されるので、至極当然な再認識ではあったと思う。
さて「黙示録」だが、何年も前に見た映画でかなり記憶と印象が薄れていることに気づく。
そんなことがあって保存してあったビデオの中から「地獄の黙示録」を見る。
う~ん、なるほどなと思いながらも、今度は解読の記述と結びつかない。
だめだぁ~。頭の回転が鈍ってる!
しかたなく、再度「解読 地獄の黙示録」を読むことにした。
読むスピードは2倍に速まっている。
「特別完全版」に追加シーンがあるというので、今度はTUTAYAで1巻しか置いていなかった「完全版」を借りてきて再度見る。
なんだか頭の中がゴチャゴチャになってきた。
脳は使わないと退化する。
恐怖だ。
しかし、コッポラはやはり「ゴッドファーザー」よりも「地獄の黙示録」が代表作だな。
そして解読での記述にあった「マッカーサーがあのまま中国に攻め入って、カーツになってしまう危険性があった」に新たな驚きを得た。
この本を読むと、翻訳者の方もその才能だけでなく、実に博学を要求されることがよく解る。
語学力のない私には、映画を理解するのはもっぱら字幕に頼るしかないのだが、表現の中にはそんなにも奥深いものがあるのかと再認識させられて、単純な文字化では事足りないものがあることを再認識。
逆の立場に立てば、日本映画を本当に楽しむにはやはり日本語と日本文化の理解が必要なのではないかと推測されるので、至極当然な再認識ではあったと思う。
さて「黙示録」だが、何年も前に見た映画でかなり記憶と印象が薄れていることに気づく。
そんなことがあって保存してあったビデオの中から「地獄の黙示録」を見る。
う~ん、なるほどなと思いながらも、今度は解読の記述と結びつかない。
だめだぁ~。頭の回転が鈍ってる!
しかたなく、再度「解読 地獄の黙示録」を読むことにした。
読むスピードは2倍に速まっている。
「特別完全版」に追加シーンがあるというので、今度はTUTAYAで1巻しか置いていなかった「完全版」を借りてきて再度見る。
なんだか頭の中がゴチャゴチャになってきた。
脳は使わないと退化する。
恐怖だ。
しかし、コッポラはやはり「ゴッドファーザー」よりも「地獄の黙示録」が代表作だな。
そして解読での記述にあった「マッカーサーがあのまま中国に攻め入って、カーツになってしまう危険性があった」に新たな驚きを得た。