昨日は忙しい一日だった。
早朝から病院での定期検査を受ける。
終わった後で梅田に出て映画「逆転のトライアングル」を見た。
帰宅した夜は町内の方のお通夜に参列。
「逆転のトライアングル」 2022年 スウェーデン / ドイツ / フランス / イギリス

監督 リューベン・オストルンド
出演 チャールビ・ディーン / ハリス・ディキンソン / ウディ・ハレルソン
ズラッコ・ブリッチ / ヴィッキ・ベルリン / ドリー・デ・レオン
ヘンリク・ドルシン / ジャン=クリストフ・フォリー / イリス・ベルベン
ストーリー
インフルエンサーとしても活躍する売れっ子モデルのヤヤは豪華客船のクルーズ旅に招待され、モデルの恋人カールと一緒に参加することに。
彼ら以外の乗客はロシアの新興財閥や武器商人をはじめいずれ劣らぬ大富豪ばかり。
そんな超絶セレブたちの豪華クルーズは、高額チップのためならどんな無理難題も笑顔で従う客室乗務員たちと、料理や清掃を担当する裏方スタッフたちによって支えられ、ゴージャスで快適な旅になるはずだった。
しかしやがて、アルコール依存症の男が船長を務める船は、激しい嵐の中を進んでいくことになる。
船長主催のキャプテン・ディナーが催され、揺れ動くクルーズ船に船酔い客が続出する。
やがて客船は海の藻屑となり、生き残った人たちは無人島に漂着したのだが・・・。
寸評
資本主義の行き過ぎ、所得格差による悲哀、人種差別や職業に対する偏見などへの警告が、ブラック・ユーモアで描かれているが、少々アクが強い。
サバイバル状態になってからは、有事における人間性と欲望が皮肉を込めて描かれ、今まで存在していた序列が逆転してしまう様をコメディ風に描いて笑いを誘うのだが、この作品に乗れるかどうかは極端に現れるような気がする。
レストランでは、女の方が稼いでいても必ず男が支払う。
僕が当然と思っているこの行為をめぐって冒頭から議論が伯仲し、ヤヤとカールの間に不穏な空気が流れる。
男の僕にはカールの主張が分からぬでもないが、男性より女性の方が稼ぎが多いと、男性側のプライドもあってカップルに隙間風が吹くのかもしれない。
資本主義社会にあって所得格差による暮らしの違いは致し方のないところもある。
豪華客船の客はみな白人だし、彼らの目に入るクルーも白人だけで、有色人種は見えない部署を受け持っている。
その筆頭がトイレ係りのアビゲイルで、彼女は後半で重きを置く人物になる。
格差社会の是正や男女平等といった、リベラルが喜びそうなテーマを笑い飛ばすようなエピソードの数々が秀逸だ。
セレブな乗客たちはカネの力を見せびらかし、クルーはみなそれにひれ伏す。
無理難題を言われても、お客様は神様とばかりに要求を受け入れる。
カールとヤヤがランチの席でロシアの富豪夫妻と相席し親しくなる。
ロシアの富豪はクソで大もうけしたと言っているが、肥料会社で蓄財したのだろう。
他の客も軍事産業で財を成した大金持ちなどセレブ揃いである。
カールは居心地の悪さを感じているが、美貌を武器にするヤヤは楽しんでいる。
カールは労働者にあいさつしたヤヤをなじり、その労働者をクビにしてしまうのだが、それは嫉妬から生じたものなのか、彼のような労働者階級になりたくないという中流を意識する気持ちからだったのだろうか。
乗船客の中で彼だけはセレブとは言えない存在なのだ。
船長とロシア人は酔っ払って社会主義謳歌を始めると、それを良く思わないどこかの組織が駆逐しに来る。
それに軍需産業が乗っかることで客船は遭難し、カールとヤヤを含む乗客乗員8人が無人島に漂着することになる。
サバイバル生活が始まり、そうなると最下層だった掃除婦のアビゲイル能力を発揮しだす。
生きるためには彼女にすがるしかなく、船長に代わり彼女がキャプテンとなる地位と権力の逆転が起きる。
すると浴びゲイルは若いカールに夜の務めを命じ、カールは後ろめたさを覚えながらも食料のためと従うことになる。
人種が違えど、権力を握れば同じことをやりだすものなのだろう。
自己主張をして権力者に睨まれるよりは大人しくしていた方が生きていくのには都合が良いとカールの選択がいっているようなのだが、本当にそれでよいのか。
最後は観客の想像に任せているのだが、長い時間を割いてきてこの結末には割り切れぬものがある。
いや、何か事が起きると、自分たちの先に起きることは分からないのだと言っているのかもしれない。
自分の行動を決めるのは自分しかいないのだ。
ただし、食後に見る映画ではない。
早朝から病院での定期検査を受ける。
終わった後で梅田に出て映画「逆転のトライアングル」を見た。
帰宅した夜は町内の方のお通夜に参列。
「逆転のトライアングル」 2022年 スウェーデン / ドイツ / フランス / イギリス

監督 リューベン・オストルンド
出演 チャールビ・ディーン / ハリス・ディキンソン / ウディ・ハレルソン
ズラッコ・ブリッチ / ヴィッキ・ベルリン / ドリー・デ・レオン
ヘンリク・ドルシン / ジャン=クリストフ・フォリー / イリス・ベルベン
ストーリー
インフルエンサーとしても活躍する売れっ子モデルのヤヤは豪華客船のクルーズ旅に招待され、モデルの恋人カールと一緒に参加することに。
彼ら以外の乗客はロシアの新興財閥や武器商人をはじめいずれ劣らぬ大富豪ばかり。
そんな超絶セレブたちの豪華クルーズは、高額チップのためならどんな無理難題も笑顔で従う客室乗務員たちと、料理や清掃を担当する裏方スタッフたちによって支えられ、ゴージャスで快適な旅になるはずだった。
しかしやがて、アルコール依存症の男が船長を務める船は、激しい嵐の中を進んでいくことになる。
船長主催のキャプテン・ディナーが催され、揺れ動くクルーズ船に船酔い客が続出する。
やがて客船は海の藻屑となり、生き残った人たちは無人島に漂着したのだが・・・。
寸評
資本主義の行き過ぎ、所得格差による悲哀、人種差別や職業に対する偏見などへの警告が、ブラック・ユーモアで描かれているが、少々アクが強い。
サバイバル状態になってからは、有事における人間性と欲望が皮肉を込めて描かれ、今まで存在していた序列が逆転してしまう様をコメディ風に描いて笑いを誘うのだが、この作品に乗れるかどうかは極端に現れるような気がする。
レストランでは、女の方が稼いでいても必ず男が支払う。
僕が当然と思っているこの行為をめぐって冒頭から議論が伯仲し、ヤヤとカールの間に不穏な空気が流れる。
男の僕にはカールの主張が分からぬでもないが、男性より女性の方が稼ぎが多いと、男性側のプライドもあってカップルに隙間風が吹くのかもしれない。
資本主義社会にあって所得格差による暮らしの違いは致し方のないところもある。
豪華客船の客はみな白人だし、彼らの目に入るクルーも白人だけで、有色人種は見えない部署を受け持っている。
その筆頭がトイレ係りのアビゲイルで、彼女は後半で重きを置く人物になる。
格差社会の是正や男女平等といった、リベラルが喜びそうなテーマを笑い飛ばすようなエピソードの数々が秀逸だ。
セレブな乗客たちはカネの力を見せびらかし、クルーはみなそれにひれ伏す。
無理難題を言われても、お客様は神様とばかりに要求を受け入れる。
カールとヤヤがランチの席でロシアの富豪夫妻と相席し親しくなる。
ロシアの富豪はクソで大もうけしたと言っているが、肥料会社で蓄財したのだろう。
他の客も軍事産業で財を成した大金持ちなどセレブ揃いである。
カールは居心地の悪さを感じているが、美貌を武器にするヤヤは楽しんでいる。
カールは労働者にあいさつしたヤヤをなじり、その労働者をクビにしてしまうのだが、それは嫉妬から生じたものなのか、彼のような労働者階級になりたくないという中流を意識する気持ちからだったのだろうか。
乗船客の中で彼だけはセレブとは言えない存在なのだ。
船長とロシア人は酔っ払って社会主義謳歌を始めると、それを良く思わないどこかの組織が駆逐しに来る。
それに軍需産業が乗っかることで客船は遭難し、カールとヤヤを含む乗客乗員8人が無人島に漂着することになる。
サバイバル生活が始まり、そうなると最下層だった掃除婦のアビゲイル能力を発揮しだす。
生きるためには彼女にすがるしかなく、船長に代わり彼女がキャプテンとなる地位と権力の逆転が起きる。
すると浴びゲイルは若いカールに夜の務めを命じ、カールは後ろめたさを覚えながらも食料のためと従うことになる。
人種が違えど、権力を握れば同じことをやりだすものなのだろう。
自己主張をして権力者に睨まれるよりは大人しくしていた方が生きていくのには都合が良いとカールの選択がいっているようなのだが、本当にそれでよいのか。
最後は観客の想像に任せているのだが、長い時間を割いてきてこの結末には割り切れぬものがある。
いや、何か事が起きると、自分たちの先に起きることは分からないのだと言っているのかもしれない。
自分の行動を決めるのは自分しかいないのだ。
ただし、食後に見る映画ではない。