シネマと虎とグルメたち

犬童一心監督作品に「ジョゼと虎と魚たち」があった。オイラは「観た映画が面白くて、美味いもの食って阪神が快勝」を望んでる。

福留の8番を継いだ男はスゴイ!

2021年03月20日 | 阪神タイガース
今年の阪神はちょっと違う。
福留の8番を継いだ新人の佐藤に触発されて打ちまくってる。
背番号8が輝いている。
背番号を辿ると懐かしい選手が思い出される。

1 トーマス・オマリー
この男の頭が大きかったのか、いつもヘルメットをちょこんと乗せてるだけで、いざという時に大丈夫かなと心配してました。
3割はいつでも打てるという安打製造機だったけど、ホームランが少ないとヤクルトにトレードに出された。
それならばとホームラン数でのインセンティブ契約をヤクルトと結びホームランも打ちまくった。
阪神もそうしておけば良かったのだ。
ファンからは慕われていて、ヤクルトに行ってからも阪神がボロ負けしてる甲子園のヤクルト戦では、頭にきた阪神ファンが「オマリーに打たしたれー!」と叫んでいた。
たどたどしい日本語での「タイガース・ファンは一番やっ!」は大喝采。
本人は特命コーチとして阪神に戻り、そのキャッチ・コピーでコマーシャルに出るほどの慕われ方。
ジョージ・アリアス専用のバッティングコーチとしての特命を受け、見事2003年の優勝に貢献し、アリアスをベストナインに選出させている。

4 川藤幸三
現役生活19年を阪神一筋で生きた。
その間、規定打席に達したことは一度もないばかりか、生涯で通算211安打だからイチローの一年分。
それでも阪神の顔なのは、引退を宣告された時に吐いた「金やない!野球がやりたいだけや!出来るんやったら金なんていらん!」の一言。
阪神ファンの間に、川藤の給料をカンパしようのキャンペーンがはられた。
吉田監督から監督推薦で選んでもらったオールスターでは代打で出てヒットを打ったが二塁を狙うも直前で楽々アウト。
正座して笑う姿は大いに受けた。
まったく走れないというより走る気のない選手だったが、かつてはファームの盗塁王になったこともある。
選手交代を告げようとする監督を「行ったらアカン!」と羽交い絞めにして行かせなかったり、遠征先でのゲーム終了後のバスで「誰や!あんなとこで、しょーもない(つらない)バントのサイン出したんは!」と怒鳴って、監督に「スマン、スマン、ワシや・・・」と謝らせたりしている。
チームのムードメイカーで名物選手だった。
現在は、「技術的なことはわからん!せやけどあいつはホンマに性格がえーやっちゃ!」という、かなり変わった野球解説をやっている。

背番号4で忘れられないもう一人の選手がジーン・バッキー。
ハングリー精神旺盛で、日本に生活の糧を求めてやって来た。
夫人と生まれたばかりの子供と三人で甲子園裏の二階建て木造長屋に住んでいた苦労人だ。
得意球はナックルと今なら危険球の警告が出そうなブラッシング・ボール。
ナックルでは当時のキャッチャー辻佳紀はしょっちゅう突き指をしていた。
一方のブラッシング・ボールは相手チームからピンチになるとやってくると恐れられていて、1968年9月18日に行われた巨人とのダブルヘッダーの2試合目の4回、王に投じた一球から乱闘が起こり、荒川コーチの蹴りで右手指を親指を骨折、選手生命をたたれ近鉄に移籍しても勝てなかった。
王を育てたと言うだけの名コーチ・荒川をノックアウトした代償に、阪神は頼りになる助っ人を失ってしまった。

続きはまた明日。

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2 コメント

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Unknown (tora)
2021-03-25 12:36:45
小学生の頃は「7」池田が好きでしたね。
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渋い! (館長)
2021-03-26 08:04:00
渋い人を知ってますね。
7番は並木というスラッガーも居ました。
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