先日の新聞で、映画監督の鈴木則文氏の訃報が小さく伝えられておりました。
鈴木則文さんは、いわゆる芸術映画と呼ばれるような作品は撮られませんでしたが、エンタメ性に飛んだ作品を撮った職人監督でした。
僕等の世代にとっては、藤純子さんの「緋牡丹シリーズ」の生みの親で、随分お世話になりました。
彼女の魅力を発見したのは氏であると思っています。
シリーズの脚本を手掛けられていますが、監督もされたのが第二作目の「緋牡丹博徒 一宿一飯」です。
シリーズでは加藤泰監督の「花札勝負」と「お竜参上」の評価が高く、出来栄えもいいと思いますが、この「一宿一飯」も記憶に残っています。
なによりも純子さんが片肌脱いで刺青を見せています。
か細い肩から腕に描かれた緋牡丹と純子さんのあでやかさが出ていたシーンでした。
懐かしさのあまり再見しました。
悪役の親分に暴行され、「もう恋人に会えない。私は汚れたんです」と自殺を決意して泣き崩れる娘に、藤純子扮するお竜さんが下記のセリフで言い聞かせます。
「女だてらに、こぎゃんもんば背負って生きとっとよ。だけん、あたしにゃあ○○さんの気持ちなようわかりますばい。女と生まれて人を本当に好きんなったとき、一番苦しむのは、こん汚してしもうた肌ですけんね。消えんとよ、もう一生。だけん、体じゃなかつよ。人を好きんなるのは心。肌に墨はうてても、心にゃあだあれも墨をうつこつはでけんとです。」
いいシーンでした。
シリーズ中でお竜さんが肌を見せることはなくて、このシーンだけは例外でした。
覆われた神秘性が僕等を魅了していたのでした。
映画館は活気に満ちあふれていました。
そして、通っていた東映会館はなくなってしまいました。
時代の変遷ですね…。
ご冥福をお祈りいたします。
鈴木則文さんは、いわゆる芸術映画と呼ばれるような作品は撮られませんでしたが、エンタメ性に飛んだ作品を撮った職人監督でした。
僕等の世代にとっては、藤純子さんの「緋牡丹シリーズ」の生みの親で、随分お世話になりました。
彼女の魅力を発見したのは氏であると思っています。
シリーズの脚本を手掛けられていますが、監督もされたのが第二作目の「緋牡丹博徒 一宿一飯」です。
シリーズでは加藤泰監督の「花札勝負」と「お竜参上」の評価が高く、出来栄えもいいと思いますが、この「一宿一飯」も記憶に残っています。
なによりも純子さんが片肌脱いで刺青を見せています。
か細い肩から腕に描かれた緋牡丹と純子さんのあでやかさが出ていたシーンでした。
懐かしさのあまり再見しました。
悪役の親分に暴行され、「もう恋人に会えない。私は汚れたんです」と自殺を決意して泣き崩れる娘に、藤純子扮するお竜さんが下記のセリフで言い聞かせます。
「女だてらに、こぎゃんもんば背負って生きとっとよ。だけん、あたしにゃあ○○さんの気持ちなようわかりますばい。女と生まれて人を本当に好きんなったとき、一番苦しむのは、こん汚してしもうた肌ですけんね。消えんとよ、もう一生。だけん、体じゃなかつよ。人を好きんなるのは心。肌に墨はうてても、心にゃあだあれも墨をうつこつはでけんとです。」
いいシーンでした。
シリーズ中でお竜さんが肌を見せることはなくて、このシーンだけは例外でした。
覆われた神秘性が僕等を魅了していたのでした。
映画館は活気に満ちあふれていました。
そして、通っていた東映会館はなくなってしまいました。
時代の変遷ですね…。
ご冥福をお祈りいたします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます