IT系の会社に勤める知人Aさん(男性)、幼稚園の女の子がいる。
もうすぐ七夕ということで、娘さんが幼稚園でならってきた折り紙を
おうちでも一生懸命折っている。
「これはねー、チューリップ」「これはお魚だよ!」そういいながら、
色々な色で、いくつもいくつも、楽しそうに。
それを見たAさんも、「いいなー、パパにもやらせて!」と、一緒に折り紙を折った。
・・・手の動くまま、思い出しながら・・・・
定番のツルはもとより、くす玉、お花、やっこさん、ペンギン、手裏剣、
娘さんより熱中してしまって、とまらない・・・・
パパすごーい!!と言われながら、「そうだろー!とちょっと自慢に想いながら、勝手に手が動く・・・手が覚えている・・・
そして、「あること」を思い出したそうです。
その、「折り紙」を教えてくれた人の事。
それは、小学校の時の担任の先生だった。優しい年配の、女性の先生。
5,6年の時に担任だった「さわこ」先生。
Aさんはちょっと家庭が複雑で、あまりおうちに帰りたくなかった。
「さようなら」をしても、ぐずぐずしていてなかなか帰らなかった。
放課後、花壇のふちに座って足をぶらぶらさせながら校庭で遊んでいる子たちを見ていたり、
朝礼台の上に昇ってジャンプして降りる、を繰り返したり、一人で遊んでいた。
それに気がついたさわこ先生が「どうしたの?」と声をかけてくれた。
今ならすぐご家庭に連絡が行くのでしょうが、当時はおおらかな時代でもあり
教室に残って先生のお手伝いをしてください、といわれた。
学級図書の入れ替えや、プリントの整理など、簡単なことだけど、Aさんは嬉しく思いながらお手伝いをしていた。
そんなある日、もうすぐ七夕という時に、さわこ先生が「折り紙」を教えてくれた。
学級ごとに笹飾りをするのだけど、2組の笹にはたくさん飾りたいから手伝ってね、とのことで
その時にいろいろな折り紙を教わった。いくつも折っているうちに、全部覚えてしまった。
先生はいつも「Aさんは手先が器用ですね。」とにこにこしながらほめてくれた。
Aさんはとても嬉しくなり、家でも折り紙をするようになった。
一人でも楽しめることでもあり、自分から本をみたりして、いろいろな折り方を覚えた。
完成した七夕飾りをクラスのベランダに出すと、2組だけものすごく豪華で、それはクラスみんなの作品に加えてAさんがいろいろな種類を折ってたくさん飾ってくれたからでもあり、校長先生から「一等賞」をもらえた。
それまで友達も少なく、あまり目立たなかったAさんはいちやくみんなから一目おかれ、
折り紙を教えて、といわれるようになり、6年生の時には自分から「折り紙クラブ」を作って仲間を集めた。顧問はもちろんさわこ先生。 学校側から地域の商店街に話をしてくれて、
七夕飾りを商店街の入り口に飾ってくれるようになった。それは20年後の今でも続いている。
そんなAさんだが、中学になるタイミングでお父さんの仕事の都合で遠くへ引っ越すことになった。
仲良くなった小学校の仲間ともお別れ、もちろんさわこ先生とも。
高校、大学と充実した日々を過ごし、就職も希望どおりのところへできた。
同僚の女性と交際から結婚へ、そして女の子に恵まれた。
そして、冒頭に戻る・・・娘さんと折り紙を折っているうちに、「さわこ先生」のことを懐かしく思い出した。
思い出せば思い出すほど、会いたい気持ちが強くなった。引っ越し先の住所を誰にも伝えることなく卒業してしまったので、何年後かに同窓会の通知があったとしても届かなかっただろう。
Aさんは、通っていた小学校に連絡をとってみた。すると、教頭先生が応対してくれて、
遊びに来ませんか、ときさくに返事をしてくれた。なんと「折り紙クラブ」がまだ健在で、地域のお年寄りの皆さんも来てくれて、にぎわっているとのこと。
折り紙クラブの初代部長、という触れ込みで母校を訪れたAさん。みんなに歓迎された。
そして、さわこ先生の所在も知れた。定年退職後は、老人ホームに入所している、とのこと。
Aさんはさっそくそのホームに連絡をとってみた。わけを話し、面会を申し込んだところ、
OKが出た。
海辺の街の、そのホームに行ってみたAさん。約束の日時に、さわこ先生に何十年ぶりかで会える!どんな話をしよう、折り紙クラブのことも話してみよう、そもそも僕のこと覚えててくれるかな?
ロビーで待っていると、「お待たせしました」と、介護士さんが押す車いすに乗ったさわこ先生がやってきた。「先生!」とかけよるAさん。
・・・「はい、こんにちは。」とにこにこしてくれるさわこ先生。「ぼくです、Aです。」と先生の手を握って、懐かしい思いで声をかけると、もう一度「はい、こんにちは。」・・・ちょっと、様子がおかしい・・・そこで、介護士さんから、「昔の教え子さんなんですね。」「はい、そうです。」
「藤枝さん(さわこ先生)、教え子さんですよ。」と、介護士さんもさわこ先生に声をかけてくれたけれど、「こんにちはー。」と、また一言いって、にこにこしてるだけ。
さわこ先生は、認知症になっていた。
Aさんは、悲しい気持ちでいっぱいになったけれど、「そうだ折り紙」と思って、
介護士さんに「折り紙はありますか」と聞いた。プレイルームから折り紙を持って来てもらい、
さわこ先生に教わった折り紙を一生懸命に折って、さわこ先生に手渡した。
「先生も一緒に折りましょう」と、赤い折り紙を一枚手渡した。
さわこ先生は、両手で何回か折り目をつける、開いてまた折り目をつける、ということを繰り返すだけだった。
あんなに、いくつもいくつも、いろんな種類の折り紙を、魔法のように次から次へと生み出した先生の手が思い出されてならなかった。そして、涙が出て仕方がなかった。
先生のおかげで、僕は毎日楽しかったんです。放課後、淋しくなかったんです。
折り紙のおかげで、みんなとも仲良くなれて、少しだけ自分に自信がついたんです。
先生、ありがとう、ありがとうございました。僕はまだ、折り紙が折れますよ。
先生のかわりに、僕が娘に教えてるんです。今度は娘も連れてきますね。
感謝の気持ちとともに、しっかりと握手をして、先生さようなら、お元気で、と
何度も繰り返し、帰路についたAさん。
その後、
娘も連れて行こうと思ったけれど、なんだか胸が苦しくて、なんだかつらくて、
それから先生のところには会いに行っていない、どうしても行けない。
この先もきっと、行かないだろう。人ってそんなものだろう。
そんなものだろうか?僕はどうしたらいいんだろう?
やっぱり行くべきなんだろうか?
と、自分でも答えがわからないからヤマザキさんどう思う?
と相談された話でした。
・・・私だってわかりません~!どう答えても結果重すぎる・・・いい話なだけに。
「それで(行かなくて)いいんじゃないかな。気持ちに正直で、いいんじゃないかな。」と答えるのがせいいっぱいでした。「・・・ですよね。」と、小さな声でうなずいていたAさん。
またいつか、行きたい気持ちになったとき、ふらっと行ってみる、ぐらいに思っている方がいいんじゃないかな。
懐かしい思い出を胸に秘めて☆ これからの毎日を一生懸命、生きていけばいいんだと思います。
優しくしてくれた先生の思い出☆Aさんの心の中からは、きっと消えないはずだから。
PS.・・・認知症が治る薬ってできないかな。
(@^^)/~~~
もうすぐ七夕ということで、娘さんが幼稚園でならってきた折り紙を
おうちでも一生懸命折っている。
「これはねー、チューリップ」「これはお魚だよ!」そういいながら、
色々な色で、いくつもいくつも、楽しそうに。
それを見たAさんも、「いいなー、パパにもやらせて!」と、一緒に折り紙を折った。
・・・手の動くまま、思い出しながら・・・・
定番のツルはもとより、くす玉、お花、やっこさん、ペンギン、手裏剣、
娘さんより熱中してしまって、とまらない・・・・
パパすごーい!!と言われながら、「そうだろー!とちょっと自慢に想いながら、勝手に手が動く・・・手が覚えている・・・
そして、「あること」を思い出したそうです。
その、「折り紙」を教えてくれた人の事。
それは、小学校の時の担任の先生だった。優しい年配の、女性の先生。
5,6年の時に担任だった「さわこ」先生。
Aさんはちょっと家庭が複雑で、あまりおうちに帰りたくなかった。
「さようなら」をしても、ぐずぐずしていてなかなか帰らなかった。
放課後、花壇のふちに座って足をぶらぶらさせながら校庭で遊んでいる子たちを見ていたり、
朝礼台の上に昇ってジャンプして降りる、を繰り返したり、一人で遊んでいた。
それに気がついたさわこ先生が「どうしたの?」と声をかけてくれた。
今ならすぐご家庭に連絡が行くのでしょうが、当時はおおらかな時代でもあり
教室に残って先生のお手伝いをしてください、といわれた。
学級図書の入れ替えや、プリントの整理など、簡単なことだけど、Aさんは嬉しく思いながらお手伝いをしていた。
そんなある日、もうすぐ七夕という時に、さわこ先生が「折り紙」を教えてくれた。
学級ごとに笹飾りをするのだけど、2組の笹にはたくさん飾りたいから手伝ってね、とのことで
その時にいろいろな折り紙を教わった。いくつも折っているうちに、全部覚えてしまった。
先生はいつも「Aさんは手先が器用ですね。」とにこにこしながらほめてくれた。
Aさんはとても嬉しくなり、家でも折り紙をするようになった。
一人でも楽しめることでもあり、自分から本をみたりして、いろいろな折り方を覚えた。
完成した七夕飾りをクラスのベランダに出すと、2組だけものすごく豪華で、それはクラスみんなの作品に加えてAさんがいろいろな種類を折ってたくさん飾ってくれたからでもあり、校長先生から「一等賞」をもらえた。
それまで友達も少なく、あまり目立たなかったAさんはいちやくみんなから一目おかれ、
折り紙を教えて、といわれるようになり、6年生の時には自分から「折り紙クラブ」を作って仲間を集めた。顧問はもちろんさわこ先生。 学校側から地域の商店街に話をしてくれて、
七夕飾りを商店街の入り口に飾ってくれるようになった。それは20年後の今でも続いている。
そんなAさんだが、中学になるタイミングでお父さんの仕事の都合で遠くへ引っ越すことになった。
仲良くなった小学校の仲間ともお別れ、もちろんさわこ先生とも。
高校、大学と充実した日々を過ごし、就職も希望どおりのところへできた。
同僚の女性と交際から結婚へ、そして女の子に恵まれた。
そして、冒頭に戻る・・・娘さんと折り紙を折っているうちに、「さわこ先生」のことを懐かしく思い出した。
思い出せば思い出すほど、会いたい気持ちが強くなった。引っ越し先の住所を誰にも伝えることなく卒業してしまったので、何年後かに同窓会の通知があったとしても届かなかっただろう。
Aさんは、通っていた小学校に連絡をとってみた。すると、教頭先生が応対してくれて、
遊びに来ませんか、ときさくに返事をしてくれた。なんと「折り紙クラブ」がまだ健在で、地域のお年寄りの皆さんも来てくれて、にぎわっているとのこと。
折り紙クラブの初代部長、という触れ込みで母校を訪れたAさん。みんなに歓迎された。
そして、さわこ先生の所在も知れた。定年退職後は、老人ホームに入所している、とのこと。
Aさんはさっそくそのホームに連絡をとってみた。わけを話し、面会を申し込んだところ、
OKが出た。
海辺の街の、そのホームに行ってみたAさん。約束の日時に、さわこ先生に何十年ぶりかで会える!どんな話をしよう、折り紙クラブのことも話してみよう、そもそも僕のこと覚えててくれるかな?
ロビーで待っていると、「お待たせしました」と、介護士さんが押す車いすに乗ったさわこ先生がやってきた。「先生!」とかけよるAさん。
・・・「はい、こんにちは。」とにこにこしてくれるさわこ先生。「ぼくです、Aです。」と先生の手を握って、懐かしい思いで声をかけると、もう一度「はい、こんにちは。」・・・ちょっと、様子がおかしい・・・そこで、介護士さんから、「昔の教え子さんなんですね。」「はい、そうです。」
「藤枝さん(さわこ先生)、教え子さんですよ。」と、介護士さんもさわこ先生に声をかけてくれたけれど、「こんにちはー。」と、また一言いって、にこにこしてるだけ。
さわこ先生は、認知症になっていた。
Aさんは、悲しい気持ちでいっぱいになったけれど、「そうだ折り紙」と思って、
介護士さんに「折り紙はありますか」と聞いた。プレイルームから折り紙を持って来てもらい、
さわこ先生に教わった折り紙を一生懸命に折って、さわこ先生に手渡した。
「先生も一緒に折りましょう」と、赤い折り紙を一枚手渡した。
さわこ先生は、両手で何回か折り目をつける、開いてまた折り目をつける、ということを繰り返すだけだった。
あんなに、いくつもいくつも、いろんな種類の折り紙を、魔法のように次から次へと生み出した先生の手が思い出されてならなかった。そして、涙が出て仕方がなかった。
先生のおかげで、僕は毎日楽しかったんです。放課後、淋しくなかったんです。
折り紙のおかげで、みんなとも仲良くなれて、少しだけ自分に自信がついたんです。
先生、ありがとう、ありがとうございました。僕はまだ、折り紙が折れますよ。
先生のかわりに、僕が娘に教えてるんです。今度は娘も連れてきますね。
感謝の気持ちとともに、しっかりと握手をして、先生さようなら、お元気で、と
何度も繰り返し、帰路についたAさん。
その後、
娘も連れて行こうと思ったけれど、なんだか胸が苦しくて、なんだかつらくて、
それから先生のところには会いに行っていない、どうしても行けない。
この先もきっと、行かないだろう。人ってそんなものだろう。
そんなものだろうか?僕はどうしたらいいんだろう?
やっぱり行くべきなんだろうか?
と、自分でも答えがわからないからヤマザキさんどう思う?
と相談された話でした。
・・・私だってわかりません~!どう答えても結果重すぎる・・・いい話なだけに。
「それで(行かなくて)いいんじゃないかな。気持ちに正直で、いいんじゃないかな。」と答えるのがせいいっぱいでした。「・・・ですよね。」と、小さな声でうなずいていたAさん。
またいつか、行きたい気持ちになったとき、ふらっと行ってみる、ぐらいに思っている方がいいんじゃないかな。
懐かしい思い出を胸に秘めて☆ これからの毎日を一生懸命、生きていけばいいんだと思います。
優しくしてくれた先生の思い出☆Aさんの心の中からは、きっと消えないはずだから。
PS.・・・認知症が治る薬ってできないかな。
(@^^)/~~~