小学校低学年の頃、祖母の部屋にあった仏壇に、朝と夜、ご飯をお供えするのは、私の役目だった。
湯気の立つ、炊き立ての白いご飯を、小さな器によそって、
そうっとお仏壇においてから、「ちーん」と鐘をたたいて、
手を合わせて「どうぞ、ごはんをたべてください。」と、言う。
まず、仏様にご飯をあげてから、家族の食事だった。
祖母がまだ健在だったし、ほとけさまやお仏壇のことについては、家中とても気を遣っていた。
私も、小さいながらに「お仏壇は大切で、特別なもの」と思っていた。
(それが故に・・・ヘン、な夢をみたりしたのだ。参照:その4)
ある晩、とんでもないことをしてしまった。
お仏壇に、ごはんを、倒してしまったのだ。
はっとした時にはもう遅い。真っ白なごはんが、湯気をたてながら、
黒光りするお仏壇の供物台にこぼれて、供物台までご飯の熱でこぼれた部分が白くなっている。
どうしようどうしよう、と泣きそうになっていると、祖母と母が来て、
たぶん、叱られたはずだ。
そして・・・・「気をつけないと、仏様のばちが当たるよ」と、言われたのだ。祖母に。
その言葉が、胸にささったようになって、お仏壇についた白い湯気の跡を見つめながら、立ちすくんでいた私である。
翌朝、私の顔を見た母が「あんた、どうしたの」と、驚いた。
驚いた母の顔を覚えている。祖母も驚いて私の顔を覗き込んでいる。父は、いない。たぶん早くに仕事へ出たのだ。
母の鏡台を見て、私も驚いた。
左の目の横・・・こめかみのところに、赤いような、茶色いような、「あざ」がくっきりと浮かんでいたのである。
そして、そのアザの形は、昨日お仏壇にこぼしたご飯をふきとったあとの、白く残った湯気のあとと、ほとんど同じだったのだ。
私は、東京の病院につれていかれた。
たぶん、「原因不明」だったはずだ。診察しながら、首をかしげているお医者さんの顔を覚えている。
どんな治療をしたのかは、覚えていない。
塗り薬や飲み薬でも、もらったのだろう。
そのアザは、しばらくするうち、跡形もなく、すうっと消えてしまった。
祖母は私が小3の時に病気で亡くなったし、弟は小さかったし、両親もこの出来事はすっかり忘れている。
覚えているのは、私だけだ。
考えるに、心因性のものだと思う。
お仏壇についた、白い湯気のあと。「ばちが当たるよ」という、祖母の言葉。
6、7歳という年齢。この前みた怖い夢。
「見えないもの」への、畏怖心。それらが、一晩で「アザ」を作ってしまったのだ。
私は少し、感じやすいというか、反応しやすい子供だったのだろう。
お仏壇がらみの話は、これでおしまい。
今では実家に帰るたびに手を合わせるが、子供時代のいろいろなことを思い出し、
懐かしさにひたるひとときではある。
湯気の立つ、炊き立ての白いご飯を、小さな器によそって、
そうっとお仏壇においてから、「ちーん」と鐘をたたいて、
手を合わせて「どうぞ、ごはんをたべてください。」と、言う。
まず、仏様にご飯をあげてから、家族の食事だった。
祖母がまだ健在だったし、ほとけさまやお仏壇のことについては、家中とても気を遣っていた。
私も、小さいながらに「お仏壇は大切で、特別なもの」と思っていた。
(それが故に・・・ヘン、な夢をみたりしたのだ。参照:その4)
ある晩、とんでもないことをしてしまった。
お仏壇に、ごはんを、倒してしまったのだ。
はっとした時にはもう遅い。真っ白なごはんが、湯気をたてながら、
黒光りするお仏壇の供物台にこぼれて、供物台までご飯の熱でこぼれた部分が白くなっている。
どうしようどうしよう、と泣きそうになっていると、祖母と母が来て、
たぶん、叱られたはずだ。
そして・・・・「気をつけないと、仏様のばちが当たるよ」と、言われたのだ。祖母に。
その言葉が、胸にささったようになって、お仏壇についた白い湯気の跡を見つめながら、立ちすくんでいた私である。
翌朝、私の顔を見た母が「あんた、どうしたの」と、驚いた。
驚いた母の顔を覚えている。祖母も驚いて私の顔を覗き込んでいる。父は、いない。たぶん早くに仕事へ出たのだ。
母の鏡台を見て、私も驚いた。
左の目の横・・・こめかみのところに、赤いような、茶色いような、「あざ」がくっきりと浮かんでいたのである。
そして、そのアザの形は、昨日お仏壇にこぼしたご飯をふきとったあとの、白く残った湯気のあとと、ほとんど同じだったのだ。
私は、東京の病院につれていかれた。
たぶん、「原因不明」だったはずだ。診察しながら、首をかしげているお医者さんの顔を覚えている。
どんな治療をしたのかは、覚えていない。
塗り薬や飲み薬でも、もらったのだろう。
そのアザは、しばらくするうち、跡形もなく、すうっと消えてしまった。
祖母は私が小3の時に病気で亡くなったし、弟は小さかったし、両親もこの出来事はすっかり忘れている。
覚えているのは、私だけだ。
考えるに、心因性のものだと思う。
お仏壇についた、白い湯気のあと。「ばちが当たるよ」という、祖母の言葉。
6、7歳という年齢。この前みた怖い夢。
「見えないもの」への、畏怖心。それらが、一晩で「アザ」を作ってしまったのだ。
私は少し、感じやすいというか、反応しやすい子供だったのだろう。
お仏壇がらみの話は、これでおしまい。
今では実家に帰るたびに手を合わせるが、子供時代のいろいろなことを思い出し、
懐かしさにひたるひとときではある。
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