今日は七夕です☆
毎年娘たちと笹飾りを作って、お願いごとを短冊に書いたりして笹に飾り、ベランダにだして楽しんでいました。
…今年は…何もしてません 笹すら買ってない^_^;
そもそも 娘たちが「今年はいいんじゃないの」と言い出した^^;
「学校ではやらないの?」と聞くと
「やらないよ。やってるのは幼稚園だよ。」(^_^.) そうだった 幼稚園では年中行事でした☆
小学校ではもうやらないのよね。なんだか、ずっと学校でもやってるような気がしていましたが
学期末テストやなにやらでそれどころではないですよね。
私、個人的に年中行事好きなので、毎年律儀にいろいろとやっています。
こういうのも家庭の生活の中で受け継がれていく文化・伝統だと思いますから、絶やしてはイケナイノダ!
と、勝手な使命感。うちの実家でもやっていたから、私が引き継いでいる、というわけ。
娘たちも大きくなったらい、きっと思い出してやってくれると思う。
やらなくてもどうということはないけれど、年中行事って「生活の節目」のような気がする。
改めて「季節」を意識したり、行事の背景の知識を得たり、昔の人の価値観を知ったり。
お正月から始まり、節分や雛祭り、お花見、端午の節句、菖蒲湯、七夕、お盆、お月見、紅葉狩り、冬至のゆず湯、大みそか。
まだまだ小さなことまで数えると、ほんとにたくさんある年中行事です。「歳時記」読むのも好きだった。
というわけで、今年は折り紙で飾りをつくり、ベランダにちょっと大きめの観葉植物があるのですが、
その枝にくくりつけようか、ということになっています。
やるような、やらないような。
七夕なので☆素敵な話☆
++++++++++++++++++++++++++++
私は獣医として働いているが、ある日ベルカーと言う名前の10歳になるウルフハウンドを診るために呼ばれた。
主人のロン、その妻リサ、そして小さな息子のシェインは3人ともベルカーが大好きで、何らかの奇跡が起こって
くれないかと期待していた。
ベルカーを診察してみると、ガンで余命わずかであることがわかった。
もうベルカーは手遅れなことを家族に伝え、家庭で安楽死させる選択肢があると伝えた。
各種手続きを取っていると、夫婦は6歳の息子シェインにもその処置を見せるつもりだと私に言ってきた。
シェインがその経験によって、何か学ぶものがあるかもしれないと感じたようだ。
その翌日、私はベルカーの家族に囲まれながら、喉に何かひっかかるようなものを感じていた。
歳を重ねた犬に最後の抱擁をするシェインは落ち着いているように見え、
私はこの子が状況を理解できているのか疑問に感じていた。
数分のうちにベルカーは安らかに、眠るように息を引き取った。
シェインはベルカーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。
私たちはベルカーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のものより短いと言う、
悲しい現実について話し合った。
静かに会話を聞いていたシェインが突然、
「どういうことか、わかるよ」と言った。
私たちは驚き、全員が彼の方を向いた。
彼がそのときに放った言葉は私を驚かせた。
それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。
彼はこう言ったのだ。
「人は、いい人生の過ごし方を学ぶために生まれてくるよね?
いつもみんなを愛することとか、人に優しくすることとか。
だよね?」
そしてその6歳の少年は続けた。
「ほら、犬はもうそれをすでに知ってるんだから、
そんなに長いこと、この世にいなくていいんだ」
++++++++++++++++++++++++++++
生命を全うした犬と、少年のメッセージ、少し心が熱くなります。
夜空に煌く無数のお星様たち 優しい光でどうかこの世をお守りください☆
(^^)/~~~
PS ヤマモトさん♪合格おめでとうございます!\(~o~)/
毎年娘たちと笹飾りを作って、お願いごとを短冊に書いたりして笹に飾り、ベランダにだして楽しんでいました。
…今年は…何もしてません 笹すら買ってない^_^;
そもそも 娘たちが「今年はいいんじゃないの」と言い出した^^;
「学校ではやらないの?」と聞くと
「やらないよ。やってるのは幼稚園だよ。」(^_^.) そうだった 幼稚園では年中行事でした☆
小学校ではもうやらないのよね。なんだか、ずっと学校でもやってるような気がしていましたが
学期末テストやなにやらでそれどころではないですよね。
私、個人的に年中行事好きなので、毎年律儀にいろいろとやっています。
こういうのも家庭の生活の中で受け継がれていく文化・伝統だと思いますから、絶やしてはイケナイノダ!
と、勝手な使命感。うちの実家でもやっていたから、私が引き継いでいる、というわけ。
娘たちも大きくなったらい、きっと思い出してやってくれると思う。
やらなくてもどうということはないけれど、年中行事って「生活の節目」のような気がする。
改めて「季節」を意識したり、行事の背景の知識を得たり、昔の人の価値観を知ったり。
お正月から始まり、節分や雛祭り、お花見、端午の節句、菖蒲湯、七夕、お盆、お月見、紅葉狩り、冬至のゆず湯、大みそか。
まだまだ小さなことまで数えると、ほんとにたくさんある年中行事です。「歳時記」読むのも好きだった。
というわけで、今年は折り紙で飾りをつくり、ベランダにちょっと大きめの観葉植物があるのですが、
その枝にくくりつけようか、ということになっています。
やるような、やらないような。
七夕なので☆素敵な話☆
++++++++++++++++++++++++++++
私は獣医として働いているが、ある日ベルカーと言う名前の10歳になるウルフハウンドを診るために呼ばれた。
主人のロン、その妻リサ、そして小さな息子のシェインは3人ともベルカーが大好きで、何らかの奇跡が起こって
くれないかと期待していた。
ベルカーを診察してみると、ガンで余命わずかであることがわかった。
もうベルカーは手遅れなことを家族に伝え、家庭で安楽死させる選択肢があると伝えた。
各種手続きを取っていると、夫婦は6歳の息子シェインにもその処置を見せるつもりだと私に言ってきた。
シェインがその経験によって、何か学ぶものがあるかもしれないと感じたようだ。
その翌日、私はベルカーの家族に囲まれながら、喉に何かひっかかるようなものを感じていた。
歳を重ねた犬に最後の抱擁をするシェインは落ち着いているように見え、
私はこの子が状況を理解できているのか疑問に感じていた。
数分のうちにベルカーは安らかに、眠るように息を引き取った。
シェインはベルカーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。
私たちはベルカーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のものより短いと言う、
悲しい現実について話し合った。
静かに会話を聞いていたシェインが突然、
「どういうことか、わかるよ」と言った。
私たちは驚き、全員が彼の方を向いた。
彼がそのときに放った言葉は私を驚かせた。
それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。
彼はこう言ったのだ。
「人は、いい人生の過ごし方を学ぶために生まれてくるよね?
いつもみんなを愛することとか、人に優しくすることとか。
だよね?」
そしてその6歳の少年は続けた。
「ほら、犬はもうそれをすでに知ってるんだから、
そんなに長いこと、この世にいなくていいんだ」
++++++++++++++++++++++++++++
生命を全うした犬と、少年のメッセージ、少し心が熱くなります。
夜空に煌く無数のお星様たち 優しい光でどうかこの世をお守りください☆
(^^)/~~~
PS ヤマモトさん♪合格おめでとうございます!\(~o~)/
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