気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

ブルーな日はこんなもの

2013-01-10 19:23:05 | 日記
二所ノ関部屋閉鎖のショックは、今日の私の生活にも影響しました。
会社の朝礼で、突然今日、献血することに…。
毎年この時期に、生命保険会社同士で献血の競争?をしているのです。
心の準備がないまま、市役所の特設会場に行きました。
なんだか、朝の二所ノ関ショックのために献血針が余計痛く感じました。

娘が登校拒否。
朝6時半から説得して、なんとか午後1時に登校してくれました。
昨日も休んでいるから、親の私も必死です。
結構、説得に体力・気力を使うんですよ。



娘をクルマに乗せて、駐車場でエンジンをかけました。
後ろにクルマ・人がいないことを確認して、バックしたのです。
そしたら、思いっきり「バーン」っていう音がしました。
え゛っ?
慌てて、クルマを降りると、燃料屋の灯油配達のクルマがアパートの玄関目指して走行しているじゃないですか。
私も、悪いけど、駐車場を突っ切って、玄関まで行くか…?ですよ。
軽トラの荷台の角が、私のタントの後方ボディに突き刺さりました。
ホントに穴が開いてしまいましたよ。
バックのときのランプの点滅と音が出ていただろうに、気付いてくれよ。

その他にも、二所ノ関ショックのお陰で、今日はハチャメチャでした。

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二所ノ関部屋消滅

2013-01-10 12:24:45 | 鶴竜・御嶽海&大相撲
朝刊でこの見出しを見てから、今日は1日ブルーです。
私がなぜ大相撲が大好きなのか?
原点は、二所ノ関部屋にあります。

最初に好きになった力士が金剛。
そう現二所ノ関親方です。
昭和47年のことでした。
続いて好きになったのが、大関・大麒麟。
この大麒麟も二所ノ関部屋所属だったのです。
なので、必然的に二所ノ関部屋贔屓になりました。

当時は、二所ノ関部屋所属の力士っていっぱいいましたよ。
何と言っても、天下の大横綱・大鵬が在籍していた部屋ですからね。
昭和50年当時でも、金剛・青葉城・麒麟児・天龍…などが活躍していました。
50年名古屋場所は、金剛が優勝、青葉城が準優勝、天龍が十両優勝です。
夢みたいな場所でした。

草創期の二枚鑑札横綱・玉錦、大鵬を育てた大関・佐賀ノ花、後のプロレスラー関脇・力道山。
名解説者だった玉ノ海・神風の両氏。
最近活躍の鳳凰・大徹・大善。
みんな大好きでした。

部屋付き親方が3人もいて、なぜ継承出来ないの?
病気療養中の二所ノ関親方と名跡交換してくれる一門の部屋持ち親方っていないの?
天下の二所ノ関部屋を消滅させてはいけません。
なんとか、奇跡が起こって欲しいです。

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