気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

久し振りに生保に燃えた

2024-09-27 21:32:03 | 保険営業
郵便局時代、かんぽを扱っていましたが、まったく売ることが出来ませんでした。
結構、ゆうちょは得意だったのです。
あの頃、金利が高かったしね。
100万円預けた定額貯金が10年で倍近くになった時代です。
とにかく、金利が良かったから、かんぽも10年払いの15年養老保険は、全期前納で掛けたお金が15年後に2倍になって戻って来ましたからね。
(10年払い15年養老はその後販売停止)
そこからですよ、保険が売れるようになったのは。
年々成績が上がって行き、管理職になる前の2年間は最高優績者になれました。
そして、国際優績者という称号も頂きました。



伊那にUターンして、営業の正社員で入社したのが某生命保険会社。
しかし、民間は厳しかったですよ。
かんぽの頃は、制服っていう強い武器がありましたが、民間は私服で営業ですからね。
飛び込み営業したって、信用してくれません。
しかも23年も伊那に居なかったから人脈なんてありゃしない。
最下級の営業社員で、毎年ギリギリで査定を通っておりました。
でも6年半在籍していましたからね。
民間生保会社に在籍中、75か月連続挙績。
生保の販売資格を取ってから辞めるその月まで75か月連続で生保を売りましたよ。
まあ、大きい額の保険がそんなに無かったので威張れるものじゃありませんが。



そして、法人保険代理店へ移籍。
主力は、損害保険ですが、私は前職の生保会社からのライフワークで毎月必ず生保の挙績1件を掲げています。
お蔭様で、今年の夏で入社丸11年。
生保の挙績も134か月連続となりました。
全社的に生保の営業が低迷し、先月末、社長に檄を飛ばされました。
そして、社長の前で8~9月でいくら(保険料をもとにした修正ポイント)やるのか、1人1人宣言させられました。
私は「2か月で60万円やります!」って言っちゃいましたよ。
いつに無くやる気モードが出て、8~9月で医療保険を4件販売。
あと60万円まで6万円弱となった本日、約6万円のがん保険が販売出来ました。
宣言した60万円、達成いたしました~!
還暦親父、まだまだ やれば出来るじゃん。





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