日本シリーズ、熱戦続きで痺れますね。
今、特別、好きな球団は無いのですが、長野県出身の牧秀悟選手が活躍しているので、DeNAを応援しています。
そう言えば、先月26日(土)に浅草・東洋館でお笑いライブを見た際に、娘の元のお笑いコンビ・ワンドールのファンだった方も客席にいらして、ご挨拶したのです。
その方、DeNAベイスターズの大ファンだということも知っていたので、「大洋、いや横浜、違うDeNA、日本シリーズ出場おめでとうございます!」と信じられない噛み噛みでご挨拶。
情けないですね~。
DeNAを大洋と言ってしまうとは---。
じじいを実感した瞬間でありました。
私が子供の頃は、大洋ホエールズという球団名でした。
川崎球場を本拠地としていましたね。
昭和48年の3月だったかな?
伊那市にプロ野球のオープン戦が来たのです。
ロッテオリオンズ対大洋ホエールズ。
ロッテは、金田正一監督の1年目、大洋は青田昇監督でしたね。
試合内容はまったく覚えていませんが、試合前にロッテ球団から親会社のお菓子が来場者に配られたことは鮮明に覚えています。
そして、ロッテの弘田澄男選手、大洋の長崎慶一選手からサインを書いて貰いましたね。
奇しくも、両選手は後に阪神タイガースでチームメイトになって、阪神の日本一(昭和60年)に貢献しました。
それから、大洋と言ったら、堀場秀孝選手ですよ。
丸子実業高校ー慶應義塾大学ープリンスホテルで常に中軸を打ったスラッガーでした。
ポジションは捕手。
プロ入りは拒否していたのに、27歳で広島東洋カープに入団したのには驚きました。
でもねー、広島には同い年のライバル東洋大学出身の達川光男捕手がいたのですよ。
堀場選手は、入団から4シーズンで自由契約となり、大洋に移籍。
そして、昭和62年、大洋でブレイクするのです。
ゴールデンウイークあたりが一番活躍していたような記憶があります。
そして、阪神・御子柴進投手(松本工業高校出身)との対戦は、TVK(テレビ神奈川)の実況中継を見ながら、涙しました。
そんな思い出があるだけに、思わず「大洋」って言っちゃうんでしょうね。
今、横浜DeNAベイスターズが、セリーグ3位からの下剋上で日本一になろうとしています。