Martin Hurkens - Ave Maria (L1)
主治医の「3人も子供が居て誰も一緒に住まないの?」という言葉が忘れられない。
兄はこのまま一人暮らしが難しくなったら老人ホームに入れるつもりだったが
私は兄妹の反対を押し切ってでも茂原の家で一緒に暮らそうと考えていた。
兄妹との関係を壊してでも決行するだろう私を天国の父が見ていたのでしょう。
「これ以上子供たちに迷惑をかけるな!」と父は母を迎えに来たのです。
今年は私にとっては試練の年だった。
3月末に会社の営業をやめて廃業の準備をする予定も
4月のマンション火災の後始末に追われ薩摩芋の作付も大幅に遅れてしまった。
8月に体調を崩した母は食事を作るのも大変で夕飯を食べに行かなくなり
9月下旬に病院から母を迎えに来るように言われ糖尿病が進行していると告げられて
母の通院に付き添うようになった。
台風15号と19号の被害が少し出て10月の長雨で1か月収穫も遅れた。
芋の収穫が始まってからも大学病院へ連れて行ったり通院も忙しく
11月29日(金)最後の芋掘りをしてる時に母から電話が掛かってきて
それが母との最期の会話でした。
通話記録を刑事さんが写真で撮影してた。
母が亡くなった日はいつなのでしょう?
死亡診断書には12月初旬と書かれてあるが近所の方によると1日の日曜日に会話をしてるそう。
会葬お礼の書面に没日を明記するので発見した12月6日が命日でいいんじゃないかとまとまる。
今日の午後1時に納棺します。
10日通夜、11日告別式 近親者のみで済ませます。
ブログは書ける時に書きたいと思います。