このところ増えているネット広告のDHOLIC
スリムな体形なのに巨乳なのが理想なのか?
男性にとっての理想なのか女性のあこがれなのか?
日本人女性の中では少数派と思われる痩せの巨乳。
巨乳で得することってあるのかな?
普通サイズのおっぱいでいいです、私は。
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日本人女性の中では少数派と思われる痩せの巨乳。
巨乳で得することってあるのかな?
普通サイズのおっぱいでいいです、私は。
来年度の予算案が閣議決定されました。
新年に召集される国会で野党は予算案に関する質問をするかどうか注視したい。
この数年、森友問題、加計学園追及で紛糾し予算の中身に一切触れない予算審議が続いた。
選挙戦で消費税増税反対を訴えた者は増税しなくても財源が確保できるか検証するべきです。
れいわ新選組のように消費税率を5%に戻すなら緊縮財政を訴えよ!
民主党政権のように増税なき財政再建を行えば公共事業がばっさりと切られる。
それが災害時の被害拡大になる事を我々は近年学んだ。
くだらないネタを基にした与野党の攻防戦こそ税金の無駄使いの象徴である。
今、野党の存在意義が問われているのです。
良識の府と呼ばれる参議院の予算委員会でも中身は衆議院と変わりなく
罵声とヤジに包まれた下品なものになっている。
あれでは参議院の存在そのものが不要と思われても仕方あるまいな(-_-;)
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20191220k0000m010042000c
毎晩、土手で待っている野良猫のタマちゃん。
オス猫としては小柄で痩せている甘えん坊
最近、貫禄がついてきて喧嘩っ早くなって問題あり(-_-;)
Team4丁目の相棒トラちゃんに攻撃的だし3丁目のオス猫たちにも喧嘩を売るのが日課。
シロちゃんやデカチャップのように仲間を守る強い男になって欲しいと願っている。
特にお腹を空かせた子猫が近寄ると自分が食べているパウチを譲るデカチャップは男らしくて好き。
人にはすごく甘えるのに闘争心が強くトラブルメーカーになったタマちゃん(=^・^=)
里親さん探すかなぁ~
Nostalgia【浜田麻里】
母が亡くなり後悔ばかり。
あの時こうしておけば良かったなんて考えるのは無意味だと分かってはいるが。
最後に病院へ連れて行ったのは11月22日の金曜日でした。
10時30分にCT検査の予約があり、10時に母を迎えに行った。
夏から体重が20kg以上減って体形が変わりゆるゆるのズボンを白いゴムでずり落ちないように結んでいた。
実家の前の会社は車の出入りが激しくて私の車も何度か移動した。
迎えに来てから20分以上も待たされるとさすがにイライラが頂点に達する。
「もう帰るからタクシーでも呼んで一人で行ってくれ!」と私は走り去った。
実家の周りを一周して実家に戻ると玄関の外でボーっとしてる母。
「早く乗って」
「もう10時30分には間に合わないから遅刻だよ!」
病院の車寄せに横付けして母が下りるとき「受付で予約してると言えば間に合うから」
連日芋掘りに追われてた時期に母の通院で時間が割かれるのが辛かったのです。
母の楽しみといえば病院帰りに和食レストラン「藍屋」で食事をすることくらい。
糖尿病の数値は良くなっているのに肺に溜まった水が増えている状態。
出されたお茶も飲んではいけないのです。
食事以外での水分摂取は命取りとなる。
口を酸っぱくして何度も注意してた。
誰にも看取られずに死後数日間発見されなかった母は孤独死です。
冷たい玄関の床で倒れていたから「寒い寒い」と感じただろう。
冷たくなった母を発見した時のシーン、夜になると思いだしてしまう。
兄妹も不眠症に悩んでいるみたい。
手の傷も治りかけているので晩酌をするようになりました。
この日も実家の猫に餌をあげに行きました。
直前までもう1匹ミーちゃんが食べてましたよ。
猫が水を飲むバケツも洗った。
妹と交代で実家の猫の面倒を見ています。
母にとっての心残りがこの猫たちだと思う。
数々の武勇伝を持つ猫のあんちゃんだけど
素顔は甘ったれだったりします。
いずれこの会社の建物も賃貸する予定なので会社猫の曲げちゃんを自宅に連れて行こうか検討中。
そこへ自宅から勝手に引っ越ししてきたあんちゃんが増えてしまい悩んでいる。
猫の行動範囲は広く自宅も会社も縄張りの中なので自由に行き来しているよ。
仕事を終えて帰宅するときも自転車を押し歩きすれば走って付いてくるあんちゃんは犬みたい^^
自宅で晩ごはんを食べ終えると会社に戻ってしまいます。
会社は猫が自由に出入りできるようにシャッターを少しだけ開けてある。
今、妹の家であんちゃんを引き取るか交渉中です。
妹の家にいるのっちゃん(現在はニャーちゃんと改名)とは多分同じ家の出身です。
もう1匹ロシアンブルーの子もいたが今何処?
引っ越しで置き去りにされた猫を妹の家に集結させるのが理想だと思う。
芋の収穫が終わってから携帯のアラームの時間を1時間遅らせて起床するようになった。
メロディーはG線上のアリアです。
ゆったりとしたメロディーなので2度寝することが増えたが気にしない。
J.S.バッハ / 管弦楽組曲第3番 BWV1068「G線上のアリア」
母の葬儀を済ませて気持ちも落ち着いたころから不眠症に悩まされるようになった。
親指の傷も早く治したいのでアルコールも控えて市販の睡眠導入剤を服用してる。
寝つきは良くなるが眠りが浅くなるのが悩みどころ。
親指の化膿を防ぐための抗生物質は副作用に下痢がありトイレ通いも続きます。
午前中は傷口の消毒で外科に行き心療内科のクリニックへも行った。
私からのお願いでゾルビデム酒石酸塩錠を処方してもらう。
頭痛で眠れぬ夜もこの薬があれば眠ることができる睡眠導入剤です。
母が亡くなった事を伝えると気前よく21錠も処方してくれたのです。
「四十九日が済むまでは何かと大変だろうけど頑張ってね」と励ましも受けた。
外科の病院ではいつも会社の印刷物をお願いしてる印刷屋の社長がいたので
喪中はがきと寒中見舞い、どちらがいいか相談した。
右手でペンを握ることが出来ないので宛名書きができません。
時間に追われず年賀状の返事としても使える寒中見舞いの方が良いとアドバイスされた。
やらなければならないことを一つ一つ片付けて静かに新年を迎えたいですね。
ビートルズの中の最高傑作であるアビーロードB面はメドレーになっており16分10秒の構成。
私たちの知っている曲とは少し違うアレンジになっているのわかりますか?
The Long One (Comprising of ‘You Never Give Me Your Money’, ’Sun King’/’Mean Mr...
土曜日の夜に見た夢の中に母が出てきた。
昔の家で何気ない日常の会話をしてるだけの内容です。
父も妹も登場するのに何故か兄は居ない。
父が亡くなってから夢に出てくるまでは葬儀が終わってからしばらく時間が経過してたが
母は早かったように思う。
そして母の夢から目覚めて時計を見ると決まって夜中の2時過ぎ。
冷たくなった母を発見してから何度もこの時間に目覚めます。
多分、母が亡くなった時間なのでしょうね。
土曜の猫活動中に叔母さんから電話があり「大丈夫?」と心配してくれたが
むしろ残された叔母の方が心配です。
連日、眠剤を服用してるのに眠りが浅い。
足の裏が熱かったり冷たかったりと自律神経が乱れているのでしょう。
歯ぎしりも酷いし右手親指もジンジンと痛い。
抗生物質を服用してるので抗うつ剤と向精神薬を止めているからかな?
実家へ猫の餌やりに毎日行っているけどいつまで続くのかなぁ~
外猫の茶トラと白黒は小屋の中でごはん待ちしてるのに
室内猫のミーちゃんが野良猫になりつつある。
名前を呼ぶと来るけど家の中に入ろうとはしない。
旅気分を味わえる21分の動画です。
【東北本線経由】東京→青森を新幹線を使わずに移動してみた。
昔、日産のセレナを購入した当時慣らし運転で高速を使わず国道で青森往復をしたことがある。
夜の国道4号線をひたすら走り青森に到着したのは翌日の夕方。
帰路は国道7号線で日本海側を南下し新潟から49号線で郡山へ出て4号線に戻る。
那須塩原市で朝の通勤ラッシュに捕まり信号待ちで追突された(新車ですぜ~(-_-;)
出発から36時間以上経過し体力も限界に達して高速道路で帰りました。
総走行距離は確か1,300km位。
バイクや車の運転が好きで長距離一気乗りに快感を感じてた当時が懐かしいです。
姪っ子にもパパの実家がある佐賀県まで就職前に走ってみろ!と挑発するも興味なし…
子供の頃はお盆休みに父の田舎へ行くのはエアコンがなかった時代なので夜出発でした。
山形県の鶴岡市までは片道500km程。
東北自動車道は建設中で岩槻から福島西までしか開通してなかった。
真っ暗な夜中の峠越えは心細いが父は一人で運転してた。
祖父の葬儀では私の運転で(当時はアベニール)鶴岡往復。
帰りに両親(電車で先に行ってた)を乗せて帰ったが高速が延伸して田舎が近くなったと感じてた。
長距離ドライブは今も好きだが夜の運転が苦手になってきたかな。
老眼だし。。。
病気やけがを治しに行くのが病院です。
前向きに考える私は積極的に病院へ行く。
ただね、爪を剥がし膿が溜まった皮膚を削られた患部の消毒が半端ない痛みなのなの…
消毒液をつけた脱脂綿で患部に触れた瞬間
「うーーーーーっ」と息を吸いながら叫んでしまった。
外来看護婦の中で一番かわいい看護婦さんが見ているから「痛い!」とは言えない昭和の男。
「おーーーーーっ」と息を吸いながら耐えているが痛みに負けそうな顔をしていただろう。
軟膏を付けてガーゼを乗せて看護婦さんが包帯を巻いてくれる。
医師から「明日も消毒に来てくださいね」と言われ
「あっ、はい…」と歯切れの悪い返事をするのが精一杯(-_-;)
今日は病院が嫌いになった日と日記に記しておこう。
7年前に怪我をした猫を診察中、右手親指の爪を噛み割られた。
掛かりつけの動物病院では飼い主が助手をしますので。
治りそうで治らないまま7年も経過した。
チョコちゃんの鼻くそを爪で取り除いたときに雑菌が入ったらしく
爪の下の皮膚が化膿して臭かった。
土いじりでさらに雑菌が入り爪全体が浮いてしまった。
母の葬儀でみんなに指摘されたし姪っ子からは「一週間以内に必ず病院へ行け!」と指令を受けた。
掛かりつけの病院の受付で「これって皮膚科に行ったほうがいいの?」と聞くと外科で診てくれる事に。
「やはり爪を全部剥がすのですか?」と確認すると
「いや切るだけです。爪の下の処置もしましょう」と局部麻酔を打たれた。
指先の感覚がなくなる頃、爪の大部分が切られて皮膚を削る治療を受けた。
麻酔が切れたら激痛に襲われるでしょうか(-_-;)
治療が終わり起き上がると手が包帯で巻かれていた。
暮れの忙しい時期に右手が使えない状態です。
我ながら計画性のない男だと思う。
麻酔が切れたらジンジンと痛みに襲われ眠くなる。
従弟の不動産屋からの電話で起こされて兄妹で共有するマンションへ行く。
その前に実家に寄り領収書類を整理。
入居者から天井裏をネズミが走るとの苦情で駆除業者も立会いのもと調査が始まる。
ユニットバスの天井裏からもクマネズミの糞を採取して見せられた。
見積後に駆除作業を依頼する段取りで私は眼科へ行った。
視力検査をしたら老眼が始まっている事を知らされた。
瞳孔を開く薬を付けられてからは眼底検査もしたが異常はなかった。
飛蚊症は母の葬儀で疲れが溜まった一過性のものだろうとのことです。
眼科医の女医さんがとても話好きで雑談に花が咲く。
瞳孔を開く薬の影響で視界がぼやけてしまう。
自転車での帰り道は光がクロスフィルターを通したように見えてしまい怖かった。
大塚家具が自力再建を断念しヤマダ電機の傘下に入るそうだ。
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/business/mainichi-20191212k0000m020157000c.html
高級家具販売に拘る創業者である父親と対立するという内紛があったが
結局安い家具を中心に販売する路線を主張した娘が社長になり敗北した。
薄利多売に未来はないのです。
業績を伸ばす事よりも利益を確保するのが肝心なのです。
ブランド力を高めて値引き販売をしないドイツの企業を見習うべきだ。
母の告別式の会場で突然始まった視界の中に黒いゴミが見えるようになった。
目を動かすとゴミも動くので蚊が飛んでいるみたいで鬱陶しい。
疲労が原因かと思ったがメカニズムが違うみたい。
さよならの意味は違うかもしれないがこんな曲をアップしてみた。
Andrea Bocelli, Sarah Brightman - Time To Say Goodbye (Live)
親戚のみでしめやかに行われた母の葬儀が無事に終わりました。
花が好きだったので花祭壇です。
病院に連れて行くために迎えに行って冷たくなった母を発見した金曜日から
時間や曜日の感覚がなくなり疲労もピークに達した。
セレモニーホールに来てから右目の視界の中に黒い点が現れて終日消えることがなかった。
兄弟姉妹の中で一人残された叔母の落ち込みが激しくて心配。
火葬場から戻り食事をしてた精進落としの時、叔母がポツリと一言。
「今日はあたしの80歳の誕生日なのに誰も祝ってくれないの」
兄がマイクで「叔母さんのお祝いをしよう」と呼び掛けて
一同声をそろえて「おめでとうー🎊」と祝福^^
「あたしもいっちゃん(母)を追いかけてすぐに逝くので皆さん心の準備をしといてね」の言葉に
場内は静まり返った(-_-;)
母の戒名は敬愛慈恩大姉という素晴らしい。
父の戒名 藤光慈道居士とバランスもとれている。
どんなに金をかけようが亡くなった本人には分からないので残された者の自己満足でしかないが
兄妹で納得できた葬儀となりました。
父の通夜では兄と喧嘩になったのでこの結果には満足している。
弔問客はなく近親者のみで行う葬儀は良いものです。
日本も見習うべきだ。
もし小泉進次郎氏を首相に選んだら野党に足を引っ張られて潰されるだろう。
今の日本の嫌な部分でもある。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/world/ASMD972PKMD9UHBI032
Martin Hurkens - Ave Maria (L1)
主治医の「3人も子供が居て誰も一緒に住まないの?」という言葉が忘れられない。
兄はこのまま一人暮らしが難しくなったら老人ホームに入れるつもりだったが
私は兄妹の反対を押し切ってでも茂原の家で一緒に暮らそうと考えていた。
兄妹との関係を壊してでも決行するだろう私を天国の父が見ていたのでしょう。
「これ以上子供たちに迷惑をかけるな!」と父は母を迎えに来たのです。
今年は私にとっては試練の年だった。
3月末に会社の営業をやめて廃業の準備をする予定も
4月のマンション火災の後始末に追われ薩摩芋の作付も大幅に遅れてしまった。
8月に体調を崩した母は食事を作るのも大変で夕飯を食べに行かなくなり
9月下旬に病院から母を迎えに来るように言われ糖尿病が進行していると告げられて
母の通院に付き添うようになった。
台風15号と19号の被害が少し出て10月の長雨で1か月収穫も遅れた。
芋の収穫が始まってからも大学病院へ連れて行ったり通院も忙しく
11月29日(金)最後の芋掘りをしてる時に母から電話が掛かってきて
それが母との最期の会話でした。
通話記録を刑事さんが写真で撮影してた。
母が亡くなった日はいつなのでしょう?
死亡診断書には12月初旬と書かれてあるが近所の方によると1日の日曜日に会話をしてるそう。
会葬お礼の書面に没日を明記するので発見した12月6日が命日でいいんじゃないかとまとまる。
今日の午後1時に納棺します。
10日通夜、11日告別式 近親者のみで済ませます。
ブログは書ける時に書きたいと思います。