英語で人生修行していこう!

50代で塾講師
独学で英語の上級をめざしています

人生での初体験

2012-12-13 09:34:41 | 日記
それは先週土曜日の夜7時過ぎに始まった。

姑が12月8日午後7時15分に永眠したのだ。
5人兄弟の末っ子である夫だけが最後を看取ったのだけど
亡くなる直前に私のところに連絡が入り、
原付バイクで必死にグループホームに向かうと連絡を受けた直後に亡くなっていた。

さてそれからが今回のタイトルである「初体験」だった。

いつも姑が居住していた個室に入るとすぐにそこのスタッフの女性から、
「なぁ、ここ押さえといてくれへん?」
と指示された。

『え?それって???』
と胸騒ぎが・・・・・。

な、なんとまだ温かい姑の顎を私が両手で
彼女の口が開かないように押えておけということらしい。

なんでなん???
もう何がなんやら訳がわからない有様で
私はそれから弔問客が泣き叫ぶ中を遺体の姑の顎を彼女のベッドの頭のほうから
2時間ほどずっと「ヘッドロック」状態で持ち続けさせられたのだ。
ありえますか???

いや~、この年齢になって人生初体験とは。

このホームは所長にあたる人物が映画『おくりびと』を見て以来、
ここで亡くなった入居者は家族の同意が取れれば
手作り葬を行う旨を事前にする予定にしていたのだ。

だから親族は否応なく通常は病院のスタッフや葬儀社の人たちがする雑事を
全員参加でやらなければならなくなる。

顎を必死に押え続けて2時間余。
その後に生前気に入ってよく着ていた衣服に着替えさせることになった。
これが(汗)・・・・女性スタッフ2名と私の計3名で七転八倒の大作業。

洋服を着るという行為は、生きているときなら
関節を自在に回したり折ったりできる。

亡くなってしまったり、意識がない人間に衣服の着脱をさせるのは
腰痛がおきそうなほど大変だった。
もうこれも新発見。

夫67歳は5人兄弟の末っ子なので、一番上の義姉はなんと80歳を越えている。
ということは、結局のところその夜、次の夜、都合2晩を私と夫が
姑の亡骸と過ごすことになった。

あとの親族は、
「じゃぁMちゃん(夫の愛称)とシルフさん、宜しく」
の合言葉でホテルなり自宅へ帰っていった。

12月10日の月曜日にようやく葬儀をそのホームで執り行ったが
やはり所長さんの意向で礼服参加はできるだけやめる、
葬儀に使う花はバラのみ。
それも1000本あまり!

出棺のときに姑の遺体は
色とりどりの華やかなバラで敷きつめられました。
なにせ享年104歳。
所長さんによれば、悲しくない儀式なわけです。
「幸福な旅立ちで、参列者誰もがあやからないと」
という意味合いだそうです。

こんな時に思い出した曲が自分が若い頃、
心酔して聞いていたダニー・ハサウェイのこの曲でした:







20代の苦しかった頃、
いつもこの2曲が私を慰めてくれたことを思い出しました。
不思議ですねぇ。