Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

結局、私が最も言いたい事は…

2022年10月02日 20時17分11秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 結局、私はこれまで、このブログ記事で「思想が代わった」という題名だが、実際は、思想信条が、元の、五年前の冬の日の、あの、あるインチキ医師との出会いにより、こんな屈折した、曲がりくねった、複雑で、陰険で、陰気な、今までの自分をこの、母が入院しようとした、そこの病院とは全く違う住所の私の今度の病院の生活で蘇生、復活、転回が起こり、自分を取り戻した、人生のやり直し、元に戻った、大団円の、正気に戻ったのが、今の私と考える。
 信仰信心は、創価から日蓮正宗にはっきりと代わり、自身、生まれ変わりを体験したような、本当に毎日が全く新しい出会い、体験に裏打ちされ、母と共に、喜びの日々を過ごしていた。
 しかし、あの日、母の入院騒ぎ、実際は入院せず、出来ずに、日帰りで帰ってくるんだが、あの時の香具師の詐欺師、ゴロツキ、チンピラ医師に騙されなければ、こんな周り道は決してしては居なかった。
 その、I田医師との、その時それまで以降の成り行き、出会い、と、その後の、私は「対決篇」として、自身の病院入院時の過ごした時間の中で、ノート二冊、メモ帳一冊等々、メモ用紙数枚等、文字を起こし書き、私はボールペンのインクが無くなり、ダメにしたペン4~5本、等々、既に、話は出来上がっていて、最後の「対決篇」は、ほとんど、罵倒、罵声、相手の反省を促すも、今では、声も何も相手の対話の声音さえ聞こえない中での私の一人つぶやき、というより、心の泣き叫び、心の訴えである。
 まあ、ここまでやりたいが、何分、私はかなりの悪筆、字が汚くて有名で、今のネット・パソコン社会には、大変助けられている。
 ともかく、今度の時間がゆっくり空いた日がいつかは判らぬが、その一番暇なときに、それらを、ノートの悪筆、読めない文字を読み取り、何とか文章化して、このブログに載せたい。
 それまで、というか、今日は大分書いたので、これにて、おしまい、御開きです。
 
 以上。よしなに。wainai.

私、思想信条が代わりました(5)

2022年10月02日 19時47分27秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 とにかく、今の、日本の伝統と文化、歴史と人々の和を守り、育て、未来に継承してゆこうと立ち働いている団体といえば、日本の戦後をリードしてきた、自由民主党以外に見当たらない。
 みんな、共産党アレルギーが凄く、共産党の影に怯えるのも故ある事なのだ。
 日本に、まだ自民党や、その助成勢力がいる限りは安心だが、今は、自民党は、邪教創価学会が支持母体の政治団体、公明党や、これも邪教の韓国系の元統一教会との深刻な癒着、関係性が今、取り沙汰されている。
 この問題に、岸田首相はじめ全自民党の議員達が、大ナタを振るい、全力でそれら邪教勢力との格闘、断絶、絶縁、拒否拒絶を示し、二度とこれら団体との付き合い、協力、選挙応援等は断固として断り、きっぱりと国民に示し合わせ是非とも発表して自身の強い決意を示して欲しい。
 これが、国民の一人としての願いである。
 
 以上。よしなに。wainai.

私、思想信条が代わりました(4)

2022年10月02日 19時30分14秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 そんな怖ろしい社会を、最初は、どの政党も、誰も警戒されるから、それに答えたり、尻尾は出さない、出すはずがない。自分がマイナスイメージで、人気が落ちるから、言うはずがない。
 だから、第二次世界大戦直前の、戦争にかけての、ドイツのヒトラー率いるナチス党は、最初は、貧民、失業者を減らします、だの、福祉をやります、だの、とにかく、人聞きいい事ばかり言い、どんどん議会で議席を伸ばしていった。
 独裁政党でも、ファッショ、ファシスト政党でも、このナチスドイツヒトラーの政党は、正当な、正しい手順を踏んで、議会制民主主義のセオリー通りに、数年で議会与党第一党にのし上がった。
 そこから、ヒトラーは総統という独裁者となり、全て彼の独裁、独善、エゴで全てが動き、支配した。
 彼は、ヨーロッパで戦争を始め、第二次世界大戦が勃発、多くの戦争被害者、死者を出した。
 ユダヤ人も差別され、多くがアウシュヴィッツなどで処刑され、皆殺しに遭った。
 民主主義の手続き、選挙を経ても、この有様である。何とも絶望しそうになる。
 これと同じ事が、考えると少し怖いが、今の日本ででも、有り得ないとは言えやしない。大いに有り得る事だ。
 だから、日本でも、公安調査庁により、国の監視下に置かれた団体はいくつかあり、政治団体では日本共産党が、宗教団体では邪教の顕正会が、その筆頭候補に挙げられている。

 以上。よしなに。wainai.

私、思想信条が代わりました(3)お寺で過ごす一日、編

2022年10月02日 18時42分55秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 今日はお寺に行き、いつもの唱題行の、午前十時からの始まりの行(ぎょう)かと思いましたら、本日は午前九時から、総本山富士大石寺にて、時の御法主上人猊下様と同時刻に、全国各地の末寺のお寺の本堂ででも、皆、声を合わせて読経、唱題をする、「広布唱題会」があるのを、私は予定表が無く全く知らず、行ったらやってました。
 それに参詣し、久々に皆さまに会い、懐かしいお寺、本堂の佇まい、懐かしい御住職様、奥様、講頭さん、信徒の皆さん、皆さんに久方ぶりに会え、私は嬉しかったです。
 そこで講頭のH田さんに会い、彼は、唱題会の後は、男子トイレの清掃をやっていて、そこで私は、彼に入院中、メールやお手紙を頂き、大変お世話になった。作業の邪魔になるかな、と思いつつ、自身のブログで、今、思想信条が代わった、とのタイトルで、政治や宗教、この場合は政治を主に論じ、とにかく、メールでは簡単に、今、自民支持に代わった、とだけ述べ、詳述しなかった。
 それだから、そのトイレ掃除中のH田さんと、邪魔な私と、彼とのやり取りが面白かった。
 私は、H田さんにも、皆さんにも、唱題会が終わった後、帰って来た事を言い、皆納得して迎えてくれて、その場が和んだ。
 しかし、その後、奉仕会という、その後の掃除等があり、私も何か手伝わないと、と思い、立ち上がると私はふらつき、その場にいた、HN田さんが、あなたは疲れてて、ほら、ふらついているから、丁度、機関紙新聞ももらって、あそこの休憩する場所のテーブルといすに座って読みなさい、と言われて、私は半人前の為、御好意に甘え、椅子とテーブルで座ったが、すぐ、今言った、トイレに行き、H田さんとの私が立ったままの会話となった。
 そこで出たのが、今は自民党が政権を握っているから良いが、間違って、野党政権、それもいまだかつてない、共産党がそれに与(くみ)した、共産党政権が、この日本に出来上がった日の怖さ、恐怖を、その日、私と講頭さんは語った。
 間違いなく、今、彼らは憲法9条を守れ、戦争反対・戦争放棄、戦力の不保持、交戦権を認めないと盛んに謳い言うが、実はそれは彼らのポーズで、実は、共産党が狙うのが、今の日本の現在の自衛隊を、共産党の思想教育をみっちり厳格に施し、改組改編し、全く新たな、以前の組織を有効に再生、利活用、再利用した「日本共産軍」としたいのが彼らの本音じゃないのかと思うのだ。これは、私とH田さんは共鳴し合った。
 確実に彼ら共産党は、日本で革命、国家転覆を狙い、今か今かと目と耳、体全体で、推し量り、日本での支配、時代の自分たちへ向けて追い風となれ、と常に願っている最中だ。
 そして、この、日本が民主集中制、共産党一党独裁の共産主義社会になった暁には、日本は戦前と同じ、軍国主義、統制社会、密告社会、言論弾圧封殺が始まり、日本に自由が全くなくなり、我々、日蓮正宗の信徒たちなどは、いとも簡単に、思想犯で捕まり、思想刑務所などに皆入れられ、一生出てこれず、そこで共産党の言う事を聞かなければ死刑か禁固か懲役か、島流し等か、薬等を飲ませて言う事を聞けば、共産党の思想教育が待っていて、そこで人間人格改造が行われ、合格すれば、又、娑婆に短い間出られる、等々、昔のソ連、過去の東欧、東ドイツ等々、今の中国・北朝鮮の再来、悪夢の時代が始まる、と私ら二人は、遠い未来、否、選挙結果によっては、今すぐ、この次の選挙の後、すぐにでも、その悪夢が始まりかねない、と二人で話し合い、背筋が凍った。

 以上。よしなに。wainai.

私、思想信条が代わりました(2)

2022年10月02日 08時57分17秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 私は、この約一か月間、先月の、九月三十日金曜日に於いて、病院を退院したが、この間、私は、大量に本、書籍類を持ち込み、思索に耽った。正に、ヒマは十分にあり、考える時間も多量にあった。
 そして、安倍元首相の国葬があり、それについても重々、考えた。私は、今もその時も、安倍元首相の国葬には賛成であり、異論は唱える積りも毛頭ない。
 安倍首相とは、私は、彼が内閣総理大臣に初めてなった時から、ずっと応援した。安倍首相が、私は本当の尊敬し、大好きだった。
 爾来、十年間位、安倍首相をずっと見守り、私は応援団だった。
 安倍首相が体調不良で退陣なさり、その後福田総理、麻生総理と続き、悪夢の国賊・売国奴政権、「民主党政権」が成立し、私はその前後から、このブログの前身、gooブログの「日々雑感、わたしが思う あの事この事」という、今とも何とも代わり映えしないタイトルの題名のブログで、私は、あの憎き民主党政権と対峙し戦い続けた。その内容は、今は時間がないので、別に譲るが、とにかく、私は民主党を下野、今すぐ解散総選挙を開き、総選挙をやれ、と私はそのブログでは、一生懸命闘い、怒ってばかりいた。
 ネット等で、民主党や共産党が「在日参政権」の法を国会に通し、成立させるつもりだ、という意見が躍り、私はその危機感で一杯だった。
 それだけ国政が、危機的状況だったのである。この危機を座して見守ってる訳にはいかない。
 私は、直接、安倍首相に選挙応援等で会った事はないが、何故か安倍首相も福島や郡山市にも来られているはずなのだが、私は会った事が全くない、申し訳ないが。    
 とにかく、地方県議会議員で、地元の酪王牛乳工場前で、自民党県議会議員が挨拶し、選挙カーで駆け付けていれば、私も飛び入りで参加し、その場で拍手、礼、お辞儀、声援を送り、その時も、その候補者や支持者に、私の大きな地声で、「絶対に、国賊、売国奴の、民主党になんか絶対に負けずに、自民党さん、頑張って下さいね!」
 というと、自民党の候補者、支持者の乗った選挙カーからが白い手袋にマイクを握った、自民党の方々から、こんなちっぽけな私めに向けてさえも、温かい、じつに親切で丁寧な、お辞儀を深々とされて、「有難う御座います。」とのスピーカーからのお声を聴き、私はまた、自民党を支持し、その県議会議員選挙でも、母と私の一票は、必ず、「自民党」に入れられた。
(この先、まだ続く、一足お先に、今日はお寺に週に一度、行くので、ここで中断、閑話休題)

 以上。よしなに。wainai.

私、思想信条が代わりました(1)

2022年10月02日 08時19分44秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 私は、約一か月間に亘る、入院生活を通して、一人、考える所が多々、あり過ぎる程、ありました。
 宗教、自らの信ずる信教、御教えは、前と代わらず依然、日蓮正宗の信仰です。これは、一生、不動です。
 しかし、こと、政治の世界、国会を巡る諸問題、この大日本を、この国の未来、将来、この国の伝統文化、国の占める地位、この国の世界への影響力、その他、万般、色々と、一切合切を考え、迷い、決めました。
 私は、以前、gooブログを始めた2009年のある月から、ずーっと同じ政党を支持し、実は、その政党を支持し始めたのは、私が一番最初に選挙権を頂いた時からであり、年は忘れたが、私は、その日、忙しく、しかも、住民票は遠く栃木黒磯市にあった。
 私と母は、急いで郡山駅から普通電車に乗り、黒磯駅に降り立ち、真っ直ぐ駅ターミナルのタクシー乗り場のタクシーに乗り込み、車は一路、その当時の、鍋掛にあった、公民館へと向かった。
 何の為にこんな苦労をしているのか、読者の方々は、果たしてお分かりだろうか?ズバリ、この年の確か夏に、国政選挙があったのだ。
 そして、私達親子は、選挙会場に入り、選挙はがきと、尊い貴重な一票の投票用紙、その頃は、小選挙区比例代表選挙の一番の始まり、だと記憶しているが、国会では、自民党と野党が対立し、次期の国会では、政権交代を狙う野党小政党たちが、群雄割拠の状態を呈していた。
 私は、父が共産党だったが(党員もやった事がある)、一切、父とは思想信条上の違いが大きく開き過ぎ隔たり、父の極端な、家でのと外とは違った横暴な振る舞い、言葉の暴力暴言に日々家族、私と母は悩まされ、まるで父は、内と外とを分け隔てた、正に二重人格者、偽善者であった。(共産党の人って、ホントは、こんな悪人、罪人なの?という疑問符)
 その父も平成二年に亡くなり、その後暫くして我が家に平穏が戻り、私も栃木と行ったりきたりの生活が続いた。
 その中での、選挙なのである。私は二十歳になったばかり、絶対に、学校時代から、選挙の事は一番大事と、先生や、マスコミテレビ新聞ラジオ等々で日頃から私は目に耳にし、心に小さな頃から刻んでいた。
 その日の選挙会場の午後は、強い雨が降り続く、あいにくの天気、しかも、選挙会場締め切りギリギリ六時、五分前位に飛び込んできたこの私達親子に、選挙会場の立会人たちは、「雨の中、ご苦労様です」と私達を労(ねぎら)った。
 私はどこへ入れたか、勿論、ズバリ、日本の代表政党、日本国の、一国の首相を頂く、戦後を担い、日本の屋台骨を支え、日本の国防を最重要視し、日本の伝統文化を守り育てる、売国奴、日本という国を売る外国勢力と一人戦う、「自由民主党」の、地元名代議士、栃木県県北選挙区の、今は亡き、渡辺美智雄先生に私は貴重な一票を入れさせて頂いた。
(後編へ)(つづく)

 以上。よしなに。wainai.