Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

太田西ノ内病院、I田医師との悪しき出会い、後日談編パート2ー借金返済への道、クレジットカード会社解約への道(2)

2022年10月04日 10時58分22秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 それから、数年後、下手したら十数余年後の私の話をする。

 その、母の借金は、すべて完済し、カードにはさみを入れ、契約を解除し、ハッピーエンドを迎えるのだが、肝心の私と言えば、私も同様、数年どころか、十年以上、クレジットカードを使用しており、収入が貧乏人同様、全くなくはなく、定期的に入ってはくるが、やはり働きも少なく、少ない額で、それを無視して、多くの欲にまみれた権化となり、やはり借金も膨れ上がり、それを、自転車操業の借金生活を、さっきも言った、母の高齢者担当の、地域包括支援センター、あんしんセンターのOW田さんに相談、忠告、助言された。
 OW田さんは、郡山市・社協の「あんしんサポート」という金銭管理サービスに、入るよう勧める。
 wainaiこと私は、自分で金銭管理が出来ず、私が、借金、月賦で、カメラ二台、一眼レフカメラを(今の私は、カメラ類電化製品等や家周りの家の修繕等々は、常に必ず現金、現ナマで、借金じゃなく現金主義で購入していることをここに改めてお断りさせて頂く。私は現在はクレジットカードの類は一切使わず、その主義であり、借金札のカードは当の昔に使用を止めた。使うとすれば、ポイントカードか、現金カードチャージ式の、セブンアンドアイのnanakoカード位である。)もうその今から四年前、二〇一八年、平成三十年のその時の暦でのその当時での、前の年の秋頃だかに買ったカメラ、その内の一台、交通事故で賠償金が入り、妙に気が大きくなり、しかし、何故か現金がある筈なのに、私はカードで買うのであった。最初に買ったミラーレス一眼は、パナソニックの製品で五万と、私なりに買い物上手だなと思った。
 しかもこんなにお洒落で、実際はかなり現金値引きもしてもらい安く、ケーズデンキで買ったのだが、結局今では多くの内のカメラでも、一二を争うかは、まだ他にも幾らか持ってるので、疑問もあるが、何とか当時、これが一番お気に入り、カメラは金額じゃない、惚れ込むと、金の値打ちは飛び越えてしまう。
 うちでもその当時からそのパナソニックのミラーレスのお洒落なカメラは代々、他人に売り渡すこともなく、うちに今もいつも棚に陣取り飾り置いて、先達の如くに居残っている。
 その後の一番高かった、キャノンの当時十何万で買ったものを、又性懲りもなく、k島の中古買取に売りに行った。そこのその時の買取金額価格は、涙金、まったく温情なしの、二万を最高とする額で、ドブに高価なものを平気で落とし、捨てている状態であった。借金を返す為、借金するたび、背に腹は代えられない、背中にナイフか氷でも常に忍ばせ、その冷たさを感じつつ日々を生きているかのような、誰もが敵にも思えた、私の応援団は誰もどこにもいず、非常にまずい、悲しく、誰にも相談もできない。

 OW田さん(地域包括支援センター・あんしんセンター、主任介護支援専門員の肩書を持つ顔は今一だが、女気、心意気はバッチリの、頼れるうちの高齢の母の女性福祉担当員)が、私達親子の、その、I田医師との対決の後の、母の腰痛のその後の用心、念のための検査で訪れた、郡山市鳴神の郡山整形外科病院一階で、母と私が待合室で診察の順番を待っていた時、二階の地域包括支援センターから、私の借金まみれの様子を伺い、人知れず私ら親子の内の、私の普段からの金使いを心配して、わざわざ二階から一人飛び降りて来て、私ら親子とその年の正月、初めて改めて対面した。
 新年の挨拶など簡単に話し応じ、OW田さんは母には極めて優しく対応したが、むしろ、私には極冷たく対応した。その対応がまるで、私には「鬼」か何かの、意地悪されている感覚も最初の内は抱き、私の腹の内は、この場から早く逃げ出せないか、しかし、帰りは母と共に、タクシーで一緒に乗り、帰らねばならぬ義務が私にはあった。
 けれど、一人で来ていたら、私は、彼女、OW田さんの恩情にも気付けず、一人寂しく、OW田さんの意見の途中で自分のその場の支度も途中にして帰る支度をし、私が席を外し立ってしまったならば、そのままOW田さんの意見を無視して帰ろうとした刹那、却ってその場でOW田さんの厳しい叱責を受けていたかも知れない。それ位、今日の彼女、OW田さんは私に対して、正に真剣そのものであった。

 OW田さん。
 「皆、借金の返済、借金で借金を返す、そういうのを「自転車操業」って言う。頭のいいwainaiさんも、きっと学生の頃、そんな言葉を習った筈でしょう。
 どこぞの、どこかの国の、王子様、御曹司でもないでしょ、wainaiさんは。ただの一介のあなたのここに居るお母さんの○○子さんの息子の、極、普通のwainaiさんでしょ。その事実に気付いて!、そのお金の使い方は一体何?大金持ちではないのは、たしかなんだから、悪い事言わない。お願い、「あんしんサポート」に入って。今のwainaiさんは、私の目から見ても、見ていられない。非常に危ない橋を渡っている気がする。後悔するその前に、絶対、あんしんサポートに入って、そこの人達、社会福祉協議会の人の意見、指導をよーく聞いて、ちゃんとしっかりした金銭感覚を身に着けて、お願い!」
 
 高齢の母は、あんしんサポートってなーに、とか言って、私に聞いてくる。実は、以前から、この「あんしんサポート」の話は何度も、私達、私と福祉のOW田さんを通して、何度も何度も、耳にタコが出来る位、聞かされ、私は最初の内は、まるで他人事、詰まらない話のように、本当に自分の事としてはまるっきり、聴く耳を持たなかった。
 
 私は、それら話の一端、その全てを聴いている内、彼女、OW田さんの真剣な眼差しを私なりに見つめ、その場で考え始めた。
 思えば、そこの病院、郡山市鳴神にある郡山整形外科病院も、新年なのに、ここでOW田さんとこんな込み入った話、極めて個人的な話が可能な位、そこの待合室は、言っちゃ悪いが、客、失礼、患者さんが、特にこの日に限るのか、その日は非常に少ない方だった。周りを見ても、高齢者で包帯を巻いてる人が一人女性か男性、この人も、すぐに受付に呼ばれて帰ってゆき出てゆき、残ったのは、私ら親子と、熱心な説明、説得を続けて下さっている、OW田さんのみとなった。

 静まり返った院内で、もうぐうの音も出ない程の説得力で迫るOW田さんを相手に、私は、一言も発せず、しかし、お金は幾らかかるの、無料じゃないでしょ、とか、一々、細かいどうでもいい事ばかり言って、この話に乗るかどうかを、ずっと説得ずくで話し込んでいるOW田さんを見ながら、まだ疑っているような所のある、私であった。これだけ説得されても、恥ずかしい話だが。
 
 そして、OW田さんは、私、OW田さんのほうから、その、社協、社会福祉協議会の人に連絡を付けておくから、後日、その人たちと会って、ともう、アポイント、アポまで取り付けてあると彼女、OW田さんは言ってのけた。もう後戻りは、絶対できない、母はポカーンと、私らの様子を、又、何か楽しげな様子で、私の顔やOW田さんの顔を交互に見て、母自身、のんきそうに笑っている。
 
 私は、ここで、事の重大性、重要性がようやく飲み込め、自身の犯した罪、罪業罪障が、こんなにも深く、私の家族の大事な母や、その他、こういった福祉関係者の方々、皆様に対しても、非常に軽率な、身勝手な、迂闊な、本当に罪悪人のような振る舞いを、今まで、多くの方々を本当に実際に傷つけ、自分も勿論傷つき、母も傷つけ、非常な「大悪」(日蓮大聖人様、御金言)を行い、この醜い極悪の自分は、親不孝を母に報いてしまい、親への忠義忠孝を尽くさず、こうして家族の母を正に私の本当の意味の母は被害者であり、何も知らないのを良いことにみそくそに母を傷つけ、仏法仏教上の、「堕地獄」行を私は今、正に犯し、行ってきたのだと、自身に深く反省し、何も知らない母にも詫びたく、これ程までに、この今までの己の所業を反省し、憎み、悔やみ、懺悔し、悔い改めたいと、これほどまでに思った事は、この他にこのわたくしめの半生、人生上、全く無いに等しかった。OW田さんの話にも、真実味、切迫感、人への人情、情け、思いやり、正に日蓮正宗の最大一の、勿論仏法仏教上の最高の御もてなし、修行の最終形態、最終目標。我ら信徒の目指すべき、釈尊も、御本仏宗祖日蓮大聖人様も常に御説き御説法為された、常の仏道修業の第一義の「慈悲行」を、彼女、OW田さんは、何も仏法など知らない素人の一人のはずなのに、むしろ、彼女、OW田さんの方が、仏法を行じている私なんかよりも、よっぽど「慈悲」の篤い、仏様の境涯の人だと感じた一瞬を、この場、郡山市鳴神の、郡山整形外科病院にて、母を置いて、一人思い佇み、偲んでいた。
 
 一応の全ての説明を終えたOW田さんは母に今度は私から視線を変えてじっと黙って見つめ出し、見つめ返し、母が、話に飽きたのか、病院内の、熱帯魚の水槽の魚に興味を示し、(うちでは以前は、ペット商を商っていたので、すこぶる母は、魚や、動物好きなのである)、指をさして、あの魚は○○、と何と、私の知らない熱帯魚の名前を指さして、答えて、話している)。

 「この熱帯魚は、○○って種類の魚で、繁殖がとても難しいのよ!」

 私はその場で、その言葉を聞いて、泣きそうな心持にもなった。認知症の母でも、きちんと自分の過去でのうちでの職業の役目をしっかりと果たし切り、母としても、しっかりはっきり覚えてるんだなあ、母なりに、苦労して来たんだろうけれども、母の昔の記憶力は、遥かに私を越えて、その知識は、今でも、私などのペイペイ、私は子供、息子の分際で、私なんかでは全然及ばない、母には私は負けた。
 と何か母の偉大さ、八十を越えての頼もしさをひたぶるに感じ、母も飽きて来たのかな、と私は思い始め、そろそろ西条タクシーを呼ぼうと、そこの無料電話に駆け寄るその前に、OW田さんに一言、言い放った。

 私。
 「私、wainaiは、その、社協の、「あんしんサポート」というのに大変興味を持った。話を聞いてて、何か、やってみてもいい気がしてきた。その社協という団体は、どんな団体か、私は全く知らず、得体が知れず、門外漢なので、いつか、OW田さんの方からも、何ほどかの、説明、今、大体の話は聞いて判ったつもりだが、詳しい事はまだ何も聞いてはいないので、今度はその人たちは、うちにはいつ来るのですか?」

 と言うと、OW田さんは、具体的に、その年の、今週か、来週、それ以上になる事はないとは思うけど、一応、相手のある事だから、それ以上かかったとしても、覚悟はしておいて。悪い話、決してwainaiさんを悪いようにはしないから、覚悟だけはちゃんとしておいて。
 これから、お母さんと一緒にタクシー乗るんだね。気を付けて帰ってね。じゃあ、また。今度は、今月中には、その、社協の方々が、wainaiさんの家に必ず実際にゆくから、その時、詳しい話が聞けると思うよ。その時まで。それじゃあ、また。

 と、大分、OW田さんは私達親子に長い時間付き合い、確か、午前中の私達の病院での診察が、とっくに受付の女性の職員たちも引き払い、居なくなっていた。
 そこの病院の待合室は居抜けの空、誰も私達以外は居ず、殺風景な、しかし外は青空の景色の日差しが整形外科病院の古そうな、年季の入ったガラス窓越しにとても眩しく私達の目に映った。
 時刻は、昼の一時五分前か、とっくに一時を過ぎていたのか、母と私は、特に私は、妙に神妙な顔つきで、先程言った、郡山市の西条タクシーに、私自身、考え深く、物事を取り澄まして考えながら母子二人で車に乗り込み、母と共に、うちの自宅へと静かに帰っていった。

(ここで、いい所なんですが、又もや、私めは、昼の買い出しに出なければいけないものですから、ほんとに途中半端ですが、この辺で、私の語り部としての、役割は、買い物、食後、服薬、歯磨き等々を、完璧にこなし、行った後、もう一度、再開できたらします。何とか無事で帰って来ます。その為の日々の勤行唱題の御祈りです。それでは皆様、ごきげんよう)。

 以上。よしなに。wainai.