昨日の節分の豆まき。我が家では、母がいた頃からずーっと続いてきた我が家の風習である為、これは欠かさずに、正月のお節は忘れても、この豆まきだけは決して忘れない。子供の頃からの我が家の習わしである。
これに加えて、日蓮正宗の総本山、末寺の菩提寺でも、豆まき、節分会は執り行っている。
しかし、私は、肝心のその行事には、いつも何故か、参加が出来ない。行く気はあるのだが、いつも何かしら、行けなくなってしまい今年で、入信七、八年目なのに、行った事がない。恥ずかしい限りだ。
日蓮正宗の節分会、豆まきは、「鬼は外」は言わない。何故かと言えば、法華経を守る神々の一つ、というか、鬼も、鬼子母神が、法華経を守るという、御本尊様にも、鬼子母神が書き表わせられていて、その関係から、一切、鬼にも、善鬼と悪鬼が居り、善鬼の鬼子母神の事への配慮から、絶対に「鬼は外」とは言わない。
その反対で、ただ、「福は内」としか言わない。ここが日蓮正宗の面白い所だ。
そのような行事に参詣できない私は、まだまだ信心が足りない、甘ちゃんだな、とは自身でも痛い程、わかっている。ここが、自分のウィークポイント。
日蓮正宗の全ては、私はまだ知り尽くしてはいない。そこを、追いかけてゆく、ゆこうとする私は、正に自由人の一人の境地であり、時の旅人でもある。
私は、無知の知であり、知る事への喜びが分かる人間であり、それが基で、幸せで良かったと思う。知る事で、自分の至らなさが、他人との比較抜きで、わかる事で、人間としても、人格上も、成長してゆくんだと一人思う。それで、何一つ、間違ってはいないのだと。私なりのこれは、自己判断である。
私の旅は、これで終わらない。何か、お寺に行かない事を賛美した訳ではない事をここで申し開きをしたい。
必須事項として、私は行ける限りにおいては、お寺に必ずや、参詣し、詣でて、今年の年頭の目標「私は平和主義者として歩んでゆく」、「感情家という自身の心の在り様を出来るだけ抑えて、人様並みに、感情の起伏を起こさないで、平穏無事に、心を平らかに、穏やかに過ごす事」等を、実現を図り、行動で示す。それが、本当の、私の生きる道であるのだ。
頑張ってみる。
以上。よしなに。wainai