創価はヤバい、マズいですよ! (wainai123753)
2022-10-25 06:46:57
(或る方のブログに寄せたコメント。もう、半年以上、記事も更新されず、御返事が全く無いので、自身、諦めて、改めて、ここで、自身のコメントの主義主張として、コピペ、コピーアンドペーストして、載せる事にする。自身の、創価への自戒と、その創価自身の間違いへの警鐘として。)
私も、三毛猫さんと同じ立場で、
創価は、邪義邪説邪道邪法邪教の邪師、池田大作さん、そもそもの話、牧口(常三郎・初代会長)さんから、初期の時代から、そもそも間違いから出発していった、こう私は個人的にとらえて居ります。
戸田第二代会長は、立派な方です。この方は、御宗門に多大なるご尽力、素晴らしい卓越した御教示、大なるカリスマを発揮し、昭和二十~三十年代初頭を、あっという間に駆け抜けてゆきました。
問題は、この後、二年の空白期間を経て、権力闘争を経て、ジャジャジャーン、池田さん登場です。
相当、宴会をぶち上げたりして、当時の大幹部をもてなしたり、自分が気に入られる為に、あの手この手で、誑し込んだのでしょうね。
人心掌握の池田さん、当時、武闘派で知られた池田さん、当時の幹部は、三十台の若き池田大作さんに魅入られてゆきます。
というより、これだけ、カネかけられて、下手したら、自分もこの池田某にいじめられかねないですから、権力を握ってゆく池田氏には、誰もがイエスマン、文句も言えなくなる雰囲気です。
この二年間を、戸田先生亡き後の二年間を、小説の「人間革命」では、実に美談で師弟の絆を語るが、実際は、あれは、あくまでも、「小説」創価学会のまるっきり本当本物の「史実」ではない訳です。
相当、脚色され、美談話に勝手に盛り、盛り上がった、勝手気ままな、今ではそちらの方が、真実の、客観的に見た史実の方よりも、池田センセーの手柄話に、会員たちは拍手喝さいを送る「正史」となり、されて居る、現今です。
でもねえ、学会員さんたち、あなたがた、この、美談で持ち上げられた、巨大な、誇大な妄想とも言うべき、言わば、作り上げられた世界、学会員だけのお花畑の世界、学会員御用達ファンタジーの世界、全てが、「想像」「捏造」「偽造」「偽物」の世界だと言う事。
これが、まだ、ノンフィクション、リアルで現実的な、ルポルタージュの、鎌田慧さんや、これはもう知の巨人、立派な方で、立花隆さんだったら分かるんですが、
まるっきり「偽」「嘘」の世界ですからね。
噂によると、旧人間革命を書かれたのが、どこぞの出版社社長の、篠原善太郎さん、この人であり、だから、新人間革命とは、文体も、文章の構成も、何もかもが全く違う印象でした。
これも噂ですが、「新」の方は、聖教新聞ライターチーム、元々出版関係に明るい、書き物の得意な方々が書かれているとかいないとか。
篠原氏、篠原さんは、旧人間革命執筆後、もうとっくに御存命ではあられないですからね。
これを、これは、これが、池田大作さん、彼もカリスマだけはある人だったが、あの人一人で、ここまで、旧革命十二巻、新革命三十一巻、本当に自身の手で、実際に書けたのでしょうか。晩年は、十数年間以上、公の場には姿を現しては居りません。
この整合性の取れない付かない、矛盾だらけの膨大な書物、一体、誰が読むんですか?読むとすれば、狂人の沙汰、域ですよ。金と時間と手間、労力のムダ、です。(ハッキリ言えば、産業廃棄物、産廃と同じ扱いです。)
読むだけで、頭がおかしくなる。私は、旧は全十二巻全て読みましたが(あの豪放磊落な、戸田先生がまるで主人公でしたからね!)、新は、たしか、六巻か七巻までで挫折致しました。新は全二十何巻までは揃えては居りましたが。
それら全てを、私の場合、福島県郡山市にある、日蓮正宗のお寺、無量山寿海寺に、その他、邪宗邪教の手の染まった、キリスト教の旧新約聖書全一巻を、三冊も四冊五冊も、新約だけで二、三冊(註・実際には十冊近く。)、キリスト教はこの他にも、祈りの本、キリストは十年近くやったから邪教の害毒で沢山の本をこのお寺で処分した。その他、禅の本、臨済録、鈴木大拙の本類、他、浄土真宗歎異抄、伝統宗教が多かった。
その中で、一番を占めたのが、私の場合は、新興宗教教団の創価学会系列の出版社による、出版物の類であった。
ゴルバチョフとの対談、松下幸之助さんとの対談、世界中の博士との対談、対話対話、と、まるで、仏教仏法の安売り。しかし、その中では、ちっとも池田さんは、仏教の話なんか、ちょこっとしか出てこない。何じゃこりゃ、の世界。
一番多かったのが、創価の本。この、無造作に、ただ乱造に、腐る程集めた所業、罪業罪障に、只今の私は、深く怯え、怖れ、コワい、助けて―と、祈るような気持ちで実際に、今は祈っている。
日蓮正宗の、富士大石寺奉安堂に厳護された、七百五十年、八百年の伝統を保持し、実際に大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様に、今はコロナ禍で中々、まみえず、お逢い、お慕い申す事が叶わないが、(行ける人たちは今でも行ってるが)、是非とも、最低でも、一年に一度は、せめて御戒壇様には、御目通りが叶うよう、自身、立派に信心してゆこうと決めている。
何が、創価であって良かったのかは、自身、さっぱり判らぬ。
ただ、そこで受けた、集団教育、池田さんの世界文学者・世界哲学者の話、等々、冗長には過ぎた。
しかし、中には、非常なヒマつぶし、私の人生の反省に於いては、多少は、文学、哲学の素養には、中には、万に一つでも、役立つものがあったのかな、程度である。
それも皆、池田さんの自分の趣味の世界、域を出ず、毎回、衛星中継(同中)ではけむに巻かれたが。
しかし、当時は健康健在だった(今も車いすで施設で非常に元気だが)母と夜行った、夜中の母の車運転の同中は、最高に楽しかった。母と一緒の同時体験がそうさせたのは言うまでもないが。創価の異常性は、相変わらず、であったが。
ここに、母との体験上の、思い出話等で、良い思い出として、この文の幕を閉じたい。
以上。長文失礼。よしなに。wainai
創価は、邪義邪説邪道邪法邪教の邪師、池田大作さん、そもそもの話、牧口(常三郎・初代会長)さんから、初期の時代から、そもそも間違いから出発していった、こう私は個人的にとらえて居ります。
戸田第二代会長は、立派な方です。この方は、御宗門に多大なるご尽力、素晴らしい卓越した御教示、大なるカリスマを発揮し、昭和二十~三十年代初頭を、あっという間に駆け抜けてゆきました。
問題は、この後、二年の空白期間を経て、権力闘争を経て、ジャジャジャーン、池田さん登場です。
相当、宴会をぶち上げたりして、当時の大幹部をもてなしたり、自分が気に入られる為に、あの手この手で、誑し込んだのでしょうね。
人心掌握の池田さん、当時、武闘派で知られた池田さん、当時の幹部は、三十台の若き池田大作さんに魅入られてゆきます。
というより、これだけ、カネかけられて、下手したら、自分もこの池田某にいじめられかねないですから、権力を握ってゆく池田氏には、誰もがイエスマン、文句も言えなくなる雰囲気です。
この二年間を、戸田先生亡き後の二年間を、小説の「人間革命」では、実に美談で師弟の絆を語るが、実際は、あれは、あくまでも、「小説」創価学会のまるっきり本当本物の「史実」ではない訳です。
相当、脚色され、美談話に勝手に盛り、盛り上がった、勝手気ままな、今ではそちらの方が、真実の、客観的に見た史実の方よりも、池田センセーの手柄話に、会員たちは拍手喝さいを送る「正史」となり、されて居る、現今です。
でもねえ、学会員さんたち、あなたがた、この、美談で持ち上げられた、巨大な、誇大な妄想とも言うべき、言わば、作り上げられた世界、学会員だけのお花畑の世界、学会員御用達ファンタジーの世界、全てが、「想像」「捏造」「偽造」「偽物」の世界だと言う事。
これが、まだ、ノンフィクション、リアルで現実的な、ルポルタージュの、鎌田慧さんや、これはもう知の巨人、立派な方で、立花隆さんだったら分かるんですが、
まるっきり「偽」「嘘」の世界ですからね。
噂によると、旧人間革命を書かれたのが、どこぞの出版社社長の、篠原善太郎さん、この人であり、だから、新人間革命とは、文体も、文章の構成も、何もかもが全く違う印象でした。
これも噂ですが、「新」の方は、聖教新聞ライターチーム、元々出版関係に明るい、書き物の得意な方々が書かれているとかいないとか。
篠原氏、篠原さんは、旧人間革命執筆後、もうとっくに御存命ではあられないですからね。
これを、これは、これが、池田大作さん、彼もカリスマだけはある人だったが、あの人一人で、ここまで、旧革命十二巻、新革命三十一巻、本当に自身の手で、実際に書けたのでしょうか。晩年は、十数年間以上、公の場には姿を現しては居りません。
この整合性の取れない付かない、矛盾だらけの膨大な書物、一体、誰が読むんですか?読むとすれば、狂人の沙汰、域ですよ。金と時間と手間、労力のムダ、です。(ハッキリ言えば、産業廃棄物、産廃と同じ扱いです。)
読むだけで、頭がおかしくなる。私は、旧は全十二巻全て読みましたが(あの豪放磊落な、戸田先生がまるで主人公でしたからね!)、新は、たしか、六巻か七巻までで挫折致しました。新は全二十何巻までは揃えては居りましたが。
それら全てを、私の場合、福島県郡山市にある、日蓮正宗のお寺、無量山寿海寺に、その他、邪宗邪教の手の染まった、キリスト教の旧新約聖書全一巻を、三冊も四冊五冊も、新約だけで二、三冊(註・実際には十冊近く。)、キリスト教はこの他にも、祈りの本、キリストは十年近くやったから邪教の害毒で沢山の本をこのお寺で処分した。その他、禅の本、臨済録、鈴木大拙の本類、他、浄土真宗歎異抄、伝統宗教が多かった。
その中で、一番を占めたのが、私の場合は、新興宗教教団の創価学会系列の出版社による、出版物の類であった。
ゴルバチョフとの対談、松下幸之助さんとの対談、世界中の博士との対談、対話対話、と、まるで、仏教仏法の安売り。しかし、その中では、ちっとも池田さんは、仏教の話なんか、ちょこっとしか出てこない。何じゃこりゃ、の世界。
一番多かったのが、創価の本。この、無造作に、ただ乱造に、腐る程集めた所業、罪業罪障に、只今の私は、深く怯え、怖れ、コワい、助けて―と、祈るような気持ちで実際に、今は祈っている。
日蓮正宗の、富士大石寺奉安堂に厳護された、七百五十年、八百年の伝統を保持し、実際に大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様に、今はコロナ禍で中々、まみえず、お逢い、お慕い申す事が叶わないが、(行ける人たちは今でも行ってるが)、是非とも、最低でも、一年に一度は、せめて御戒壇様には、御目通りが叶うよう、自身、立派に信心してゆこうと決めている。
何が、創価であって良かったのかは、自身、さっぱり判らぬ。
ただ、そこで受けた、集団教育、池田さんの世界文学者・世界哲学者の話、等々、冗長には過ぎた。
しかし、中には、非常なヒマつぶし、私の人生の反省に於いては、多少は、文学、哲学の素養には、中には、万に一つでも、役立つものがあったのかな、程度である。
それも皆、池田さんの自分の趣味の世界、域を出ず、毎回、衛星中継(同中)ではけむに巻かれたが。
しかし、当時は健康健在だった(今も車いすで施設で非常に元気だが)母と夜行った、夜中の母の車運転の同中は、最高に楽しかった。母と一緒の同時体験がそうさせたのは言うまでもないが。創価の異常性は、相変わらず、であったが。
ここに、母との体験上の、思い出話等で、良い思い出として、この文の幕を閉じたい。
以上。長文失礼。よしなに。wainai