読後感は、歴史の、記憶から、特に戦争の忌むべき歴史的事実が失われる事への著者の危機感が最後の方で述べられる。人の「生命」が亡くなれば、後は「モノ」が伝えるしかないと。全体を貫くのは、日本の高度成長期は、登山でいう、上り坂の時期、「捨てる文化」で良かったかも知れないが、その後の低成長時代を、日本の「下山」文化・時代と五木氏は呼ぶ。
世界史を見ても、どこの都市でも、歴史の経済状況が絶頂を迎えた時が、その文化の最高ではなく、それからのタイムラグがあり、その経済絶頂から、幾分か時代が経ってから、文化が盛り上がってくる、それが世界史だと、と五木寛之氏は説く。
それから、モノの全くない、殺風景な部屋に住むのは味気なく、モノだらけ、ガラクタにまみれて居た方が、そのモノたちへの「記憶」を留めた、懐かしさ、郷愁、想い出等々、それだけの豊饒な文化的な生活が維持出来ると力説する。モノには、それだけ長いその人個人の「歴史」が封印されていると。
五木氏は、今の、断捨離ブームに抗ったり、反対する積りは全くない、という。
しかし、その、何でも捨てればいい、とする、その背後に、何か一抹の寂しさを著者はひたひたと感じているような気がした。
この著作は、2022年令和4年1月に発行され、勿論最新の、コロナ禍についても述べられていて、極めて新しい五木氏の所見を伺った気がした。
以上。よしなに。wainai