※編集後記:ゲームについての一考察、ゲームの効用
この稿では、随分とゲームについて「魔」だとか、勝手な言い分を述べてしまったが、私は今でも、それら、ゲームのとりこになっている、ゲーム愛好者、ゲーマーに対しては、それだけ熱中して、取り組むモノがある事、一生懸命さが、私としては好感が持てて、好きだ。一種の尊敬の念をも持っている。
うちに来ていた、割かし美人めの、若い婦人というような、ヘルパーさんがいたが、その方と私は、もう、何年と言う間も、全くと言っていい程、冷戦状態と言おうか、コミュニケーションが全く取れずに、ただ、時間だけが過ぎていく、という感じのケースがあった。
だが、私から、ひとたび、ゲームの話を持ち掛けてみて、その彼女が、どういった反応を示すかを見てみると、何と彼女は、私が購入した、任天堂スウィッチの愛用者で、旦那さん、お子さんと、三人でそれらゲームのファンであり、私とそのヘルパーさんは、そのゲームの話題で意気投合して、持ちきりだった。
他にも、私とは話が疎遠であり、全くと言っていい程、話しをしなかった方、ヘルパーさん、この女性も、何とゲーマーであり、その家庭にも、お子さん、旦那さんが居て、一緒にゲームを、この場合は、ソニーのプレイステーションの4だか何だかをやっている、と私のその頃のゲーム熱をあおるような、面白くその方のお話しを拝聴できたのである。
それだから、私としても、私のゲーム機器・任天堂スウィッチは、確かに時間が勿体なくて、今は、全然ホコリをかぶったままで(福祉関係者の方々は、勿体ない、使えばいいのに、とは言うが、私はいまいち、それらゲームには付いていけない。ゲームの才能が全くないのかも知れない…。)、一日一分間たりともやってはいないのだが、それら、ゲームに取り組んでいる方々の人格までは、否定する積りも毛頭ない。むしろ、尊敬申し上げている。
私が家で、それら、ヘルパーさん達が我が家へ来ていた頃、私は、彼女らが好みそうな音楽、楽曲を、パソコンで流したりしたものだが、幾ら流しても、それら方々には、全く通用はしなかったのであった。それよりも、ゲームのお話しの方に、彼女ら女性陣は、大好きなコンテンツだったみたいなのである。
私は今、大いに反省している。その、何でも、趣味を持つ方々に対して、それが自分が嫌いだからと言って、一方的に人格否定に走らなくても良いのではないのかと。
それらゲームを、一家そろって、テレビにゲームを接続して、それもおそらく、迫力ある大画面テレビなのであろうか。私のうちとは雲泥の差だろうが、いいじゃない。そんな風な、平和的な日常が繰り広げられていて、子供さんと、両親が、一緒の趣味を持つ。私は家族が居ないのが問題なのであって、これはひとえに、私の個人の不徳と致す所ではある。
私は、そう言った、今言った、ヘルパーさんとの短いような長いような時間を経て、そのゲーム機器を媒介にした、縁として、こちらと相手との間の垣根を取っ払って、その間を取り持ってくれたゲームに対しては、むしろ、私は下手くそでゲームには余り近寄りたくはないのだが、コミュニケーション、心のキャッチボールが取られた時点で、大いに感謝の念をいだいている。
以下、この、今日現在のブログの元記事となった、コピペ、コピーアンドペーストの原案の端緒となった記事へのURL。とにかく誤解を解きたく思い、本日、12月24日日曜日朝、「※編集後記」として、そのページにて、深く考察を巡らしたのが、今日のこの今お読みになった記事であります。これには、数日間、一週間以内といった、タイムラグ、時間差があります。お見知り置きを。
再度。以上。よしなに。wainai