届いた将棋セット。
山形新聞の切れ端。米沢商高廃校記念グッズ、とある。米沢工高と合併するらしい。発行日が、2024年令和6年5月29日(水曜日)とある。
説明書類とポストカード。
ポストカード裏にはウクライナ難民支援へこの商品の売り上げの一部が使われるという。
しっかりとゴム製の足が四つ付いていた。
こうやってまとまって入っていたので数えやすかった。歩が一枚多く入っていた。
並べると駒の布陣はこんな風になる。
これが入っていた箱である。将棋駒の頭の人がギターを弾いている。猿がそれを見ている。LOVE PEACE TENDO とある。
参考になるように、電子書籍で早くも、将棋の本を購入。羽生善治棋士の「将棋入門」が一番この中では判りやすい。
早速、一人対一人で対局してみたが、勝手が随分違う。当たり前だろう。将棋は本来二人で指すものなのだから。何度も、この時はどうしよう、こうしよう、と考え、待った、を繰り返している内に戦法が見えて来るような見えて来ないような。不思議な感覚を覚えた。
本来ならば、生きていた頃の父と一緒に将棋を指したかった。父とも子供の頃は一緒になって、将棋を指す間柄であった。私は将棋の覚えたての最初の頃は身障者の父には歯が立たなかったが、私が小学生用の将棋の本を買って実際にその本を読んで実力をつけると、十中八九、私が勝つようになった。
そして、父が亡くなり、母と二人きりの生活の中で、まだあの頃は、我が家の手の届く範囲内には、将棋盤と駒があったのである。
母は将棋の事なんかは全く知らないから、私と正月だったか、うろ覚えの挟み将棋をしたり、これもうろ覚えの将棋崩しだったか、やった覚えがある。
しかし、当時の母の方が飲み込みも早く、頭の良い母に、第一番に、あんた、これは違くて、本当はこうなんじゃないの?と突っ込んで聞かれて、私も真実、困った事がある。
実際、挟み将棋も将棋崩しも、父からは教わっていたのかいなかったのか。いい加減に聞いていたのか。学校でもあまりやった試しがない。
だから、実際には、母には、やり方が判らない方法を教えた事になる。
本当の実践の、対戦対局将棋のやり方などは、母には教えようがない。今の母が、日蓮正宗の五座三座の勤行が実はほとんど出来ない事とおんなじ事である。母にはしちめんどくさくて、むつかしい、それも、体を動かす日本舞踊やら卓球くらいならば人一倍出来た方だが、座りっぱなし、というのが、何よりも苦痛であったようだ。
私は、この趣味は、高等な部類の嗜好だと思うのだが、母にとっては、息子には第一に、音楽とか、体育会系まで行かなくても、体を動かして健康的に過ごして欲しかったのだと思う。
私を中一の春に真っ先に私の希望を聞いてクラシックギター教室に通わせて習わしたり、一緒に行った磐梯熱海温泉のユラックス熱海で、温泉に入った後、一緒に卓球をやって、私が二十歳代前半だったのにも関わらず、五十代の母に負けたいきさつからも、母の無類の音楽好き運動好きの、それらの片鱗は伺えるのである。
以上。よしなに。wainai