私は、ゲームと言うと、自分勝手に進めるものだ、自由に進めて、自分なりに、気ままに出来得るものだとばかり思って今まで生きて来た。
しかし、ファイナルファンタジー?だか、難しそうな、今まで、私の時代、世代でも、それらのソフトに対して、「ゲーム攻略本」というものがあるのは、薄々知ってはいた。しかし、そんな本が、ベストセラーになって、世の書店に山積みされて、大きな売り上げを上げていたとは、知る由もなかった。
私は、或る時、古書店、古本屋のチェーン店に入り、色々、中古CD等々を物色する機会がこの間、あった。
ろくに、目当てとなるCDがないので、中古のゲームソフトコーナーを見やると、そこには、ソフトが新品同様の値段で、一つ、五千円は下らないのである。この、狂乱物価に驚きつつ、私には手は出せない、と一瞬ひるんで、後ずさりした。
そうして、書籍のコーナーに目をやった。すると、「ゲーム」と書かれたコーナーがあり、そこが、ゲーム攻略本の棚であった。
その場で見ていると、主な、今人気の、ゲームソフトの、戦い方や、難の潜り抜け方、ポイントの取り方、危険回避の方法など、それは実に事細かに、そのゲーム対策として、余さず載っていた。
しかし、私は、これは反則ではないのか?と思った。そんなに、本が必要な程、難しいゲームなのか、とも私は驚いたが、何と言っても、その、攻略本の言う通りに動く、ゲーム使用者にとって、何が自由なのか?ただ、人が書いた、シナリオ通りに動いているだけではないのか。
それらが、今、市場に出回る、ほとんどのゲームソフトに対して、こうやったら、この場面を脱して、繰り上がり、終えて、次のステージへと行ける。そして、次のステージでも、又もや、こうやって、敵と戦って、…。
こんな陳腐な、人の操り人形のような、そんな、ゲーム使用者と、そのゲーム制作者達。私には何がなんだかさっぱり分からなくなった。
そんなに、ゲーム攻略本が必要なゲームなど、これは、私たちの世代でも、おそらく、「任天堂ファミコン」等々でも、その時代から、そういった、「ゲーム攻略本」がすでにあったのであろうが、何とも味も素っ気もなく、何とも情けなく、自分が自分の独力で、我が道を行く、フロンティアスピリットなど、この世界にはどこにもないではないか?
私はこの一点で、このゲームという世界に幻滅して、悪夢を見たような、ガッカリ感を味わった。
そんなに、本が無ければ、最後まで出来ないようなゲームなど、子供に与えたり、大人も楽しんだりという、そういった事が、私には理解が出来ない。
とにかく、ゲームとソフト攻略本の関係性は、我らの高校生時代に、数学の先生方が口を酸っぱくして仰っていた、「あんちょこ・虎の巻」(数学の教科書の答えが丸写しで載っている書物)は使うな、と言われていて、私等、数学の不出来だった生徒は、内緒であんちょこを使っていたのは、これは認める。
しかし、内心、あんちょこで、答えを最初に確かめて、そのセオリー、論の進め方が自分の導き出した解と比べて、そこに間違いがあれば、その本の通りにしたり、他にも、参考書や授業のノート等々をみて、完璧な解答にして、私なりに答えを出して、それを次の授業のノートとして、学校の予習復習としていた。
それと同じようなもの、といえば、そうだろうが、しかし、私はゲームに対して、過剰な夢や希望を描いていたのであろうか?
結局、私がやろうとした事は、学生時代、高校生時代とは、全く変わらない。おんなじ現実との向かい合い、という事なのだろう、きっと。
以上。よしなに。wainai