写真は三、四月の頃の我がお寺、日蓮正宗無量山寿海寺の春景色。
御住職様の導師で題目三唱の後、開会のことば、講頭さんの今年度の活動方針の大綱の説明。
その後、S藤さん(女性)の活動体験発表。
曰く。
(S藤さん)創価学会⇒昭和五十年代、学会問題(創価学会の昭和五十二年路線)⇒学会にまずは父が疑問をいだき、家族全員脱会、お寺に帰伏。
S五十年半ば、父、バイクで事故被害。十か月で退院。しかしその後、亡くなる。
父の死相は白くやわらかく、まさしく成仏の相だった。
母がその後、くも膜下出血。後に症状も治り、無事退院。
椎名御住職(現御住職様の先代の御住職様)がS藤さん一家を御心配為されていた。後から聞いた。
母は退転もせず、信心一筋。その強盛な信心。母は私の誇り。
その後、S藤さんは、平成に入り、同じ職場の御主人と出会う。
夫を折伏して、成就。その後、お寺で結婚式。三人の子供に恵まれる。
H18年、心不全で母との別れ。母と共に信心できたのが、何よりの心の支え。
母に感謝。次の年、四人目の子供が流産。
寿海寺に参詣。自業自得との、御住職様の御説法での御言葉に自分を当てはめてしまい、傷つき、一時、お寺から遠ざかる。
薬に頼る日々。子供とも離れ離れ。その子は離婚。孫の御受戒かなわず。
本気で一生懸命、御住職様の御言葉に従い、聞くようになる。
この間、創価学会側からは、幾度も襲った一家の難に対して、日蓮正宗を口汚く罵られた時期もあったが、自身の福徳でそれらを跳ね返す。
そうして、一人考える。折伏の仕方がわからず、お寺の本を読む。御住職様に善行の徳の大事を教えられる。
H30年。A君、お孫さんが生まれる。その子は、人一倍、寿海寺と総本山が大好き!
お孫さん、A君が最初に覚えた、朝夕、毎日お寺での唱題会で皆で唱えている大聖人様の御書の御言葉「安楽仏菓のこのみなる、云々」。
聡明なお孫さんは、お題目の他、お経の一節までも唱えられると言う賢い子供に育つ。それらを、我々御住職様、奥様、檀信徒の皆が常日頃から見守っている。
毎日お寺、寺院に参詣出来る事、当たり前でない毎日に、報恩感謝、不自惜身命を捧げたい。(完)
私こと、wainaiの聞き書きメモ書きによる。
以上。よしなに。wainai