私は、日本国が大好きだ!
だから、国旗は日の丸、別名、日章旗、をどうしても掲げたい。
それに対して、あれは何年前だったか、こんな事件があった。
民主党による、日の丸を破り切り刻み、自党の為に政党の旗を作った事件があった。
あの時の前から、私は、否、私達母子は、それ以前の、小沢一郎を党首に担ぎ上げた時点で、大いに腹は決まった!
反民主党、反共産の旗を高らかに掲げて、斜陽に下りつつあった自民党を応援し、下支えしようと。
そこから、私の前ブログ『日々雑感 わたしが思う あの事 この事』がスタートした。
2009年の何月だったか。とにかく世評では、自民党総裁で総理大臣だった麻生首相に対する悪評判、悪宣伝に満ち満ちていた。
口が曲がってるだの、個人の身体的な事に終始した、悪辣なものばかりであった。
そこで我が家では、これも個人的な事だったが、他国人、小沢の出自についてしつこく追求した。
小沢は、民主党政権が成った時、中国へ、民主党の議員団を引き連れて、五百人位で、中国詣でをして、一人一人、中国の習近平と写真撮影から何から、おべっかを中国で述べて来た。
この事実が、非常に頭に来たのを覚えている。我々は中国の属国か、と。
時には、民主党の帳簿改め、あれを英語だか日本語か何語かで何たら言っていたが、そこから暫くして、蓮舫の、「二位、三位じゃ駄目なんですか?」と言ったその刀で、何を言ってるんだ、お前のような台湾本省人に何が判るかと、一位がいいに決まってるだろと、怒りの鉄槌を下し、一刀両断でバッサリと切り捨てた。
コメント数は元々少なく、当時「いいね」自体等も全く存在しなかったが、読者数は今より多い一日で五、六百人。多い時で八百人は下らなかった。私のラジオ機器のネタに釣られて来た人もいるにはいたが、やはり政治的発言力は大きく感じた。
当時、在野、野党に甘んじていた、自由民主党安倍晋三総裁に絶対忠義を誓い、必ずや政権奪取、自民党の政権与党返り咲きを心底願った。
その時のブログは、私がそこで今とは違う信条信仰、「創価学会」ネタを結構書いていて、そのコメント欄が私の日蓮正宗入信、帰依により、創価の輩達により、炎上。
それと、私がこれから信ずる『日蓮正宗』との整合性が取れなくなった矛盾からも、「退会する」のボタンを押した瞬間、全て、十年近く書いた文章全てがあっけなく消え果てた。
その様子を、そばから見守っていた母は「そんな簡単に、ブログって消えるものなの?」と言って、いぶかしがった。
それ以来、母の認知症も日を追う事に増して行った気がする。
今日の自由民主党総裁選を、訪看さんと一緒に見つめていた。私としては、あんな言い方で責めてしまった、高市早苗さんに、本当は総裁に、女性初の首相になって頂きたかった。
私の小学校以来の不正直さが、あの私の不誠実な高市さんに対する無礼な動画のザマである。良くいるでしょう?好きな女の子に好きと自分からは言えずに、苛めている輩が。あれが今までの私ですよ。
以上。よしなに。wainai