Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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もう少しピアノを代表とする楽器類、或いは生活音に世の中寛容になって欲しい!それが敵わぬならば、こちらも出来るだけ減音の心構えの用意がある!!長文失礼

2024年08月01日 15時15分09秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・カリンバ・ハーモニカ・ギター・電子ピアノキーボード
 私は、毎晩、大体、お寺がやっている時は、最近から、通う事に決めている。
 それで、いつも、夜八時前後には、自転車で帰るのだが、その途中で、いつも、綺麗な音でピアノの演奏の音が聞こえる家が通りにある。
 そこの家は、以前はピアノ教室で、生徒さんを募集していたが、今では先生をも卒業されて、自由気ままに、毎晩のように、沿道までピアノ演奏の音が漏れ伝わる。
 しかし、元々上手いせいか、一曲のピアノ曲としては完成されているので、子供のでたらめな演奏や、私のように初心者の、ポツリポツリとした、自信のない演奏だったり、子供のとんでもない大きな音で音出しをしている訳じゃないので、周りの住民も大ごとにはなっていないようだ。
 けれども、母が昭和の頃の、母はその報道を、実際に当時の新聞やテレビで確認済みであろうし、有名な事件として、ピアノ殺人事件、というのがあった。
 これは、おそらく、私の様な下手な演奏か、或いは子供のでたらめな演奏、その他、その同じフレーズが何度も繰り返される事による、音に対する忍耐力の欠乏、限界にさらされた近所の人間が、もう我慢できない、と言って、そこの家に押し入り、殺人にまで発展した、というものである。
 私なども先月、深夜一時十五分を回った頃であったろうか。丁度その時テレビを見ていて、私は音も比較的大きな音で見聞きしていた。それに頭に来た近所の住民による、単独犯行なのか、うちの裏に当たる、風呂場のガラス窓への、生卵を直接ぶつけられる、という悲劇惨劇が起こった。
 私などは、それなら、そんなにうるさいと感ずるならば、何故直接、私宛に文句を言うなり、それが無理ならば、無記名の、切手無しの手紙や書類、書き物でも良い、名を明かしたくないならば、名を書かなくても良い。それを私のうちのポストに入れさえすれば良い。
 それで、私に一言言ってくれさえすれば、私も聞く耳は持っているので、改めるに憚る事なかれで、済みません、で済むものを、そうした、加害相手も、ファストフード文化で、効率ばかりを追い求める。買いたいものは、一言も店員に話しかけなくとも、商品をレジに差し出しさえすれば、あとはバーコードで店員が勝手に読み込み、後は自動で、お金を払って、商品と交換してくれる。
 そんな無機質な生活を送っている、如何にも現代人がやりそうな所業、悪業とも、この場合は言える。
 とにかく、ピアノに戻れば、私は、ピアノだけじゃなくて、こんな経験体験がある。
 それは、同じ楽器で、「バイオリン」なんだが、近所でこれを習って、練習をしているうちがあった。
 しかし、音がするが、家までは特定はできず仕舞いだった。
 それは、その音が聞こえたのが、私が、2002年頃の、ちょうど栃木県のホテル勤務時代に、一か月に一度程度、郡山市の我が家へ帰ってくる時に盛んに、そのバイオリンを練習する音が聞こえた。
 最初は、春、もしくは冬辺りから、そのバイオリンの音が漏れ伝わって、我が家まで聞こえていた。最初の習い始めの頃だったらしく、本当に言っては悪いが、初心者的であり、下手といった評価が妥当だと言えた。
 バイオリンの弦、弓の擦れ具合が、何とも言えず、不快なんだが、別段、こちら、母と私は、嫌味は無かった。むしろ、いつも、頑張ってるな、と、次第に応援したくなる程の、その家の、どこだか知らないが、バイオリンの演奏練習風景であった。
 それでも、最初の頃から比べれば、次第に、何となく、曲調が出来上がって来るのが、バイオリン素人の我が家にも判ろうというもの。
 そして、やがて、八月か九月、或いは十月か。その頃を境に、そろそろ、その頃は我が家もまだ、エアコンなど一切無かったが、石油ストーブはあったので、窓を閉める季節だな、と思い始めた頃に、私は、毎度の如く、栃木県のホテルから、又もや、月一で、郡山へ立て続けに帰省していた。
 すると、そのバイオリン氏の演奏は、それは、最初からプロの演奏からは遠い所にあるのは承知済み、織り込み済みだ。しかし、私達母子は、あの頃あの時、ちょうど、サンマを焼いて食べていた時だったと思う。
 そのバイオリン氏の演奏は、極度に完成された、何かのクラシックの演奏曲を、この半年にして、無事に仕上げてしまったのだった。
 私達、特に私などは、この家の中で、小さく、パチパチと思わず手を叩いて、感嘆しつつ、その拍手の音はその一人の素人演奏家には届かなかったろうが、ささやかながら、送らせてもらった。
 そして、母と二人で、美味しいサンマを食べながら、その日は、そのバイオリン氏の立派な演奏までもが御馳走として、私達は、その日一日を、感動を持って過ごしたのである。
 しかし、不思議な事に、その一曲を完成させたが最後、それきり、その家がある辺りからは、一切のバイオリンの音が聞こえなくなってしまった。
 それは、その楽器に飽きたのか。それとも、どこかへ引っ越していってしまったのか。全く行方はこれも判らない。
 そんなものである。今の現代では、音が漏れた、子供が騒いだ、ペットが鳴いた、その位の事は、平気で起こる事である。私も現に、生活音、これは私の耳が遠い事に起因、遠因とする、他人様への無配慮であったと反省、猛省するものである。
 しかし、私が読経唱題する、その、信教の自由、それまでをも奪おうとする輩が、この近所には存在する事はこれは事実である。
 これは去年の八月から、ちょうど一年になるが、近所から、「空気銃」なるもので「BB弾」で我が家に向けて、一方的に、私がお経を唱えると、去年を境に起こる話である。
 これは、立派に、刑法の脅迫、恐喝、威嚇、強要行為に抵触し、何ならストーカー規制法にも違反する重罪であろう。裁判では私が勝つ自信がある。
 今までは起こらなかった。だから、私も深く詮索する積りもないが、一考するに、私の家のそばに、ここ最近越して来た人間か、或いは、その勢い余って、今までの恨みが溜まりに溜まって、吐き出されたものなのか。それがいまいち判らない。
 ともかく、私の身の回りで、犬を飼っていて、無駄吠えしている家。子供が何人もいて、子供が夜中まで騒いでいる家。その他、テレビだって、夜はこの辺りはとても静かだから目立つのだろうが、少し離れた、うちの極近所にある飲み屋街などは、深夜まで、カラオケ騒音が酷い。それが大体夜のそれこそ一時二時三時まで続く。そこの階上には、普通に貸家マンションとなっている。
 そんなのと比べたら、私の家周辺は非常に恵まれていて、むしろ静か過ぎるのだ。だから、「出る杭は打たれる」であり、我が家の様な、どちらかというと、派手目のうちがターゲットとなる。
 そして、それは、母がこの近所に目を光らせて、年上の母が常に監視していた時は、起こり得なかった事だったのだ。
 母が施設に入って我が家からいなくなってから、というもの、お目付け役がいなくなったとばかりに、私に直接文句が言えない輩は、そうやって陰険に、私を貶める行為に出る。
 生卵を投げ付けられたのが去年の八月から九月、十月頃。いまだに犯人は判らず仕舞い。
 もっと、楽器類を含めて、生活音に寛容な社会になって欲しいと望むと共に、私も、今後、騒音を出さないように、これからの時代は、この地域に住む者としても、非常識にならない様に、音には細心の注意・配慮を払い、注意のし過ぎ、と言う事は無いのだとする、私の自動車学校時代の指導教官の言う通りだと、これは自動車免許取得の時と、今現在を、応用する形、位で丁度良いのだと思う。

 もう一度言う。「注意のし過ぎ」、という事は決してない。「注意一秒、ケガ一生」。車も音も、スピードと音の出し過ぎには要注意である。音響に限って言えば、夜、十一時を回れば、当然、ヘッドフォンを使用する事。「読経唱題」も、小声勤行を最大限努めて、近所迷惑を排して、近所との融和を図り、「日蓮正宗」と言う宗教をこれ以上、誤解と迷惑を与えるようなふざけた真似は一切辞めにする!これを私のこれからの一丁目一番地とする!。

以上。よしなに。wainai、長文失礼。


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