Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

何故、創価ブログ『私の知らない創価学会』は挫折し失敗したのか?※長文失礼

2023年12月07日 13時12分53秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、創価ブログで、「私の知らない創価学会」という、人気ブログがあった。たしか、アメーバブログであった。 
 そこでは、毎日、隔日で、ブログ更新が行われ、個人的な、創価への内部からの疑問を投げかける、という風刺のきいた、形態をとっていた。
 そして、その当時は、読者のコメント欄を堂々と設けていた。その時或る時、これは創価学会員女性信者と思われる人から、こんなブログ、さっさと止めて消し去ってしまえ、という、ケンカを売るに近い、コメントが寄せられて来た。
 そこで繰り広げられるブログ記事は、素直で率直な、現在の創価学会に対する、一、末端・未活女性による、素朴な疑問であって、私もちょくちょく、そこに入り浸り、日蓮正宗側からの、折伏も兼ねて、私自身も、コメント欄にコメントの意見を述べたりしていた。
 しかし、前述の、ある、女子部員と見受けられる、ふざけた、バカにするような意見に、売られたケンカを買う形で、その、ブログ主さん(たしか、「とも」さんと言ったか?)は、その時の年末を限りに、このブログを閉じる。そうして、今までの記事を、別の運営のブログに全て移して、アーカイブ化すると言い出して、それをそのまま即、実行に移してしまった。
 今現在は、そこでは、コメントを大っぴらには受け付けずに、ただ、アーカイブと称する、今まで書き綴っていた記事と、最新のつぶやきに似た、ごく最近の著者の意見、特に創価学会への意見が載るばかりである。
 その時、ブログ主は、今年の十一月初頭だかに、創価学会脱会届を、自分と一緒に暮らす「パートナー」と共に、内容証明郵便で書き送り、「(ニセ)本尊」も、その後送り届けた事。その後の、十一月中旬頃の、池田大作Xデーに、簡単に触れて、今では、それに対して、大した感慨もない、どうぞご勝手に、もう今となっては、よそ事、他人の宗教の事(趣意)、と言った、妙にサバサバとした、感想を述べている。
 しかし、私は、この人、この女性は、大いにいまだに、創価の洗脳の呪縛からは、立ち直っていないと観ているし、思っている。
 創価では、かなりタチが悪いとこちらが思う程、日蓮正宗の事を、「日顕(上人)宗」などと言って、非常に毛嫌いする。それらを今でも、聖教新聞、創価新報などを使って、いまだに吹聴して、まるで悪魔の団体の如く、「洗脳の完成」を目指して、非常に悪辣に悪質になって、大騒ぎで執り行っている。
 私だって、自分自身の自殺未遂事件が無ければ、そんなに悪く言われた、「日蓮正宗」になど、果たして、宗旨替え、宗門へ帰伏したかは、果たして疑問だ。
 まあ、私の一家、我が家の父が、この今の我が家の菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の納骨堂に眠っている関係で、この日蓮正宗との太い絆は、切れずに済んだ。この縁を、ひとえに大切にした、私、及び、母、それから、七年前の当時の勧誡式でお世話になった、我がお寺の、初の女性トップだった、G元講頭、その他の信徒の皆様、それから、何と言っても大事なのが、私のみならず、母の勧誡をも勧めて下さったお寺の御住職様、多くの皆様に支えられて、今の大なる幸せに包まれた私がある。
 この、勧誡式の前日には、私は絶望の淵、極致にいて、死を念じ考えていて、それを実際に実行に移した時、母に見つかってしまい、私の生への希望がその時、非常に湧き、そのまま、次の日の、私の菩提寺、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺への道、帰伏、宗旨替えへの第一歩が築かれたのである。2017年平成二十九年二月七日から八日への、私の人生のベクトルが転回し百八十度変わった瞬間であった。(平成二十九年二月八日が私の日蓮正宗入信記念日)。
 正に、死から生へと、「妙とは蘇生の義なり」(新編御書)との大聖人様の御金言そのままに、私はその後、見事に再生・蘇生する。
 だから、この、他人事ながら心配するが、ここで、この、「私の知らない創価学会」の著者のブログ主さんも、万が一にも、自分が死ぬ思いをしなければ、「日蓮正宗」には入り直しはしないのではないか。
 決して、私共家族の場合は、昭和の頃に日蓮正宗創価学会時代に於いてお寺で御授戒を受けたから、「勧誡」だったが、この人達の場合、平成以降の入信の場合は、創価は邪教時代なので「御授戒」となるが、この人達の強情さが変わるのは、命と命を懸ける程の、命を亡くす寸前の、それ位の想いをしなければ、今の書いている文章も、何ていう、人生の深みの無い、甘い、軽佻浮薄な、今の自分らさえ良ければよい、刹那的な、「パートナー」とやらとの、欲と淫行にまみれた、汚らわしい関係を書き連ねているに過ぎない。(何故に、「パートナー」などと相手を呼び、正式に「結婚」に踏み切らない?この不純な関係性に、どうして踏み留まるのか?)。
 このぬるま湯の様な人生を抜けだすように、必死になって自身の人生とあがき闘い向き合うひと時、一生を左右する、大事が、この二人に、或いは片割れに確実に訪れて起こらない限り、全く有り得ないと思う。
 勿論、平成以降の創価入信者などは、それ以前の、戸田先生時代から受け継いだ、日蓮正宗の清新な息吹など完全に消え失せ果て、とっくに失われているのでほぼ日蓮正宗入信は絶望的だが(我々とて、まだ折伏を諦めた訳じゃないよ!)、こちらとしても、救いの手は、ネット上でしかこの人らとのコンタクトは採れないが、何としてでも、救い出して、行なわなければならぬ。
 とにかく、今現在は隠棲したかのような、力強い生命力もほぼ絶えた、この、ブログ「私の知らない創価学会」は、確実に失敗した。それは、一創価女子のコメンターの言い寄る意地悪な嵐に、炎上までは行かなかったが、その心ない意見に付き従ったばかりに、自身の財産を失った。
 幾らアーカイブ化が成功したと豪語しても、私達共のそのブログへのコメント文章群をかなぐり捨てて、捨て去り、平気の平左でいられる。
 他人がどんな気持ち想いで、それらコメントを、文字をもって、時間をかけて書き綴った日々を、無視した暴挙。
 そのまま、その、狂った価値観、今までの愛読者に向けた傲慢さ、尊大さ、慢心さ、夜郎自大な、勘違いした感覚は、その女性のブログ主の、全ての過ちの元は、そこから発し起こった、としか、これは、今では私にはそうとしか、かたじけなくも、言えないのである。
 合掌。南無妙法蓮華経。
以上。よしなに。長文失礼。wainai


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あなたの言い分に破折を加える (wainai123753)
2024-04-26 00:08:00
>>私の知っている限り、日蓮正宗の戒壇本尊は紙幅本尊を勿体なくも誰かが刻印した謗法のイコンです。そもそも、日蓮さんが紙幅に戒壇のために書いた証拠もありませんし、もし本物なら紙幅ごと刻む訳がありません。つまり、戒壇本尊は後世の偽物です。

この文章の文証はあるのですか?私は聞いた試しがありません。
勿論、創価学会側が、そちらの方が謗法だとは思いますが、そんな説を唱えていたような記憶があります。

御本仏宗祖日蓮大聖人様は「聖人御難事」に、
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すが如し。余は二十七年なり。」(「聖人御難事」一三九六頁。弘安二年十月一日 五八歳)
とあります通り、この御文は、弘安二年十月十二日の、大御本尊様の御建立の何よりの重要な証拠、文証です。

>>老爺心で書かせていただきます。日蓮正宗の信仰も大切と思いますが、運動や労働、また信者さんだけでなく懐かしいご友人と交流もお勧めします。

これは一見、私の事を心から応援、おもんぱかっているかの如くに思わせますが、全てあなたのフェイク、詭弁です。それに余計なお世話です。

「兄弟抄」(新編九八〇頁)に、
「この世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり。(中略)妻子と申すほだし(絆)をうち、父母主君と申す網を空にはり、貪・瞋・痴の酒を飲ませて仏性の本心をたぼらかす。但(ただ)悪の肴のみをすゝめて三悪道の大地に伏臥せしむ。たまたま善の心あれば障碍をなす。法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕とさんと思うに、叶はざればやうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ」(建治二年四月・五五歳)

と仰られています。
とにかく、善人づらして、こちらに近づいて来て、その実、その恩人ぶっていながら、実際の所が、自分と同類項、同じ金太郎飴の如くの、不信仰、懈怠謗法を犯させようとの、詰まりは同じムジナ、同じ傷を舐め合う、仲間意識を持っていたいが為の、実際は、貴女は法華経の悪知識にしか過ぎません。

あなたのは一から十まで、仏法を間違って信じた、まるで洗脳者の如くの言説です。

戒壇の大御本尊様が、何故、紙幅の写しなのか?その答えを、あなたから実際に、三証の上からも、お教え願いたい。

あなたが言っている事は、皆、美辞麗句ばかりです。私の心配をしてくれているようで、魔の巣窟への誘いである。

創価のニセ本尊はその通りだが、それ以外の「破戒僧」などは、余りに創価の言い古した、「陳腐な」言い分、言い訳にしか過ぎずに、私は聞き飽きておりますから、「結構です。間に合っておりますから」と反対に言いたいです。

とにかく、あなたの言いたい事は、私の日蓮正宗愛を、なんとか削ぎたい、私も同じ、退転者に誘いたい、との言説そのままだ。
それだけ信じられて、少しはうらやましいと思ったか?!やい、答えてみい!

「人生は美しい。人生は楽しい。」こんな事は、綺麗事は、あの去年死去した、池田田吾作でさえ、生前に散々うるさいくらいに口走っていた言葉の数々じゃないか。

あなたのは、余りに陳腐なんですよ!

綺麗事、「失礼なことを書きすぎました。」=「大いに迷惑、大失礼」

せっかく私のブログに立ち寄って下さり、動画も見た感じもしますのですが、何もそこから学ぼうとはしてはいない。

ともかく、私は、これからも日蓮正宗信徒として、一貫する。これが私の思想信条の一丁目一番地である。

創価教学(凶学?狂学!)の指令の下、やみくもに創価学会から教えられたままの、間違った日蓮正宗への見方で見たって、何一つ見えて来やしませんよ。

そんな、御本仏宗祖日蓮大聖人様以来、代々の猊下様の、血脈相承、法水写瓶、法灯連綿の、弘安二年十月十二日に御建立遊ばされた、三大秘法の本門戒壇の大御本尊様を信じない者はバカだ!と、在りし日の、創価学会第二代会長戸田城聖先生は大獅子吼為されたが、その御言葉を踏みにじる、愚人の愚人たる由縁を、あなたの本性があからさまに物語る。本性下劣、ちっとも、日蓮正宗、大御本尊様への尊崇の念、「不自惜身命」の心構えが全然あなたからは、その片鱗すら見えない。残念な事に。

本当に、今日は気分を害した。貴女はこのブログ記事の題名に寄って来た所を見ると、その頃の往時には、「私の知らない創価学会」の繁盛した時代を私も見て知っている。
その時のそのブログ主は、「日蓮さん」との、大聖人様と言わずに「日蓮」と呼び付けにした、それはその当時の創価の呼び方であったが、その雰囲気を彷彿とさせる。
しかし、幾らでも成り済ます事の出来る今のネット社会であり、私も百パーセント信ずる訳には行かないが、香ばしい感じのする、コメンターさんではあった。
もしも、貴女が、そのここの記事タイトルの通りの張本人だったら、本当に笑える話だ。

彼氏さんとは上手くいっていますか!?(笑い)

要するに、落ちぶれた姿を、こんな所に見せに来て、哀れを誘うしか術がないという事だ。

合掌。南無妙法蓮華経。
以上。よしなに。wainai
返信する
追記 (wainai123753)
2024-04-26 01:09:41
>>日蓮さんが説いた本尊は仏像曼荼羅ですから、紙幅曼荼羅は御前立ちです。

これも、新編御書に、そんな事は一切書いてありません。文証にもない事、デッチ上げです、あなたの。
仏像を拝めとは、大聖人様は言っておられません。
勿論、佐前佐後と言う、建て分けも勿論ありますが、大聖人様は、御本尊様、文字曼荼羅を最重要視されていましたよ!
とんでもない、言い掛かりです!!

これ以上、迷惑をかけて来ないで下さい。
けれども、私なりに、非常に香ばしい方だと、面白がって、どうやって料理してやろうか、との、正宗気質の破折精神、破権門理の、破邪顕正の想い、ここにあふれて、身をもって、日蓮正宗末寺の御住職様に鍛えられし御教えに従い、ただ、その陳腐なる言説を、打ち破るのみです。
それが、日蓮大聖人様の「下種仏法」の醍醐味です。
今はその、種まきをやっているんだと。
この分からず屋共に、その教えの一端を、述べ讃える、御力を与え給え。

後は、正に「一文一句なりとも語らせ給え」(新編御書)である。

以上。よしなに。wainai
返信する
再度の私からのコメント。私のこれらブログ記事等に訪れたのは、これも何かの縁だろうから…。五逆罪、後生を怖れよ! (wainai123753)
2024-04-26 10:15:42
それに、あなたの言っている言説は、日蓮正宗と言う、和合僧団を乱す、破和合僧であり、それは仏法上、最大限の謗法の限りを尽くした、「五逆罪」ですよ!
口を酸っぱくして言って置きますから、あなたは、堕地獄決定ですから。
後生を怖れよ、であり、何気なくしているあなたの一挙手一投足が、皆、謗法となっているのです。
私が日蓮正宗と言う、現代でもまれにみる、麗しい、素晴らしき宗教宗派にどんなにあなたが楯突こうと、私達正宗信徒達は、びくともしません。
それ位の、信行学をとうの昔にとっくに身に付けておりますから、心配は要りません。
あなたが間抜けなだけです。
間が抜けていて、大きなお世話であり、正法に対する悪知識であり、第六天の魔王の眷属と化しているのが、現在のあなた自身ですよ。
幾ら、わたしの身に寄り従い、私のこの七、八年間、日蓮正宗の菩提寺にてご住職様、信徒の皆様との関わりの中で身に付けた信心に於いて、決してあなたに負ける事など、一切あり得ません。
とにかく、心配無用であり、あなたは、魔にたぼらかされた、根無し草の様な、創価にも属さない、日蓮正宗にもどの面下げて入っていいのか、その策、方法すら見当たらない、迷い子のような人間に、何を言われようと、動じる私ではない。
私も、値踏みされて、ここまで、こんなコメントを頂いてしまう程、足元見られたか、と自身、反省すらしてしまいます。
昨日の晩から、ここのコメント欄にて、私も大いに声を大にして反応していますが、あなたも、二度と、この私の訴えには応じようとはしないのか?
創価学会は、日蓮正宗には敵いません。創価学会は、日蓮正宗に負けたのです。
そんな、学会の退転者如きに、私は動じる訳には行かない。
要するに、赤子の手をひねる如くに、手に取るように、貴方の企みは、如実の内に、私の俯瞰した目の中の見方から、ハッキリと見渡して、その策動、暗躍した、悪の道へとこうも簡単に、善人ぶってでも、仕掛けて来るのだと、お人好しでは、仲良し倶楽部では、日蓮正宗信徒は、務まるものではないのだなあ、との感慨をいだきます。
私の眼は節穴ではありませんぞ。
私の、広宣流布への、地道な活動を邪魔する者は、これはだれであろうと、私はそやつは、大謗法者と断ずる次第です。
要するに昨日、今日の夜中にも私が言った「一文一句なりとも語らせ給え」の、大聖人様の御金言の通り、セオリー通りに突き進む、私の前に、それらあなたのような者共は、「野干の吠ふるなり」の、キツネやタヌキや野犬が、百獣の王の獅子に吠えても、その身の小ささを実感せざるを得ない。要するに、あなたは、「野干」の類でもあり、大謗法の、「五逆罪」の「破和合僧」の、大罪を犯した、身の程知らずの、大悪人、一闡提の人物として、堕地獄行を執り行ったと、この私のコメント欄にて、名を残すのであろうと、私なりに、あなたの後生を怖れて、一人、勝手に心を寄せて、ただ、日蓮正宗への帰伏が出来ぬものか。それが一番の、罪滅ぼし、罪障消滅の端緒となるのに。
との願い虚しく、空々しく、私の言う事にはフィルターを掛けて、ただ、警戒して聞いているのか、との、私の慈悲は全て無駄なのか、との、私のこれは、限界だ。
創価退転者一人救えないでは、私こそが「謗法与同」になってしまう。これを最大限に私は怖れる。
とにかく、あなたが、日蓮正宗の門を叩く日が、現世にしても、来世にしても、立派に種は蒔かれ、下種されてはいるだろうから、いつかは芽吹き、判る時が必ず来るから、希望を失わずに、頑張って下さい。
以上。よしなに。wainai
返信する
てっきり (wainai123753)
2024-04-26 16:34:58
「老爺心」…。
てっきり騙される所でした。
貴方は男性…。
そう簡単に、ブログ主さんが、
この場に現れるなど、有り得ませんものね。
迂闊過ぎた。
この場に於いて、
私が気付けなかった落ち度はあります。
以後、最新の注意を傾けて参ります。
用心をして、し過ぎる用心はなきなり。

以上。よしなに。wainai
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。