長文失礼。
私の読経唱題、朝夕の勤行に於いて、それを嫌う一部の不届き者による、妨害活動が、今年の夏、極めて目立った。
それは、私が勤行中に、玩具のピストルの弾を物置小屋等に強打し撃ち付けられたり、生卵を庭のコンクリートや、うちの窓ガラスの桟にぶち当てられていて、いまだに、そこには、卵の殻と黄身と白身の内容物が無残不気味にも残されている。証拠の品の、銃のBB弾のプラスチックの弾も証拠品として取ってある。
法華経他の経典に依れば、これは立派な難に当たり、釈尊の前世の姿にあたる不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が、当時、折伏し抜いて法華経を説き、一人ひとりの相手に備わる仏性を重んずる余り、その御方々の御前に立ち、貴方には立派な仏性が必ずあるんですよと、合掌礼拝していた刹那、相手から、バカにするな、と刀杖瓦石(とうじょうがしゃく)の大迫害を受けても、不軽菩薩は最後まで自身の信念を貫き通した。
私は、決して、不軽菩薩は、愚かであったとは思わない。むしろ、現代人にも、現代にこんな、不軽菩薩の様な、釈尊の前世の姿の様な御方が出でられても、この末法万年の現世では、おんなじ結果しか生まないのではなかろうか。
同じように、迫害に次ぐ大迫害を受けて、そんな折伏手法を採れば、容易に、命を堕としかねないと。
しかし、自身の罪障は、結果、大方その功徳、相手からの迫害の激しさの度合いによっても、大いに見事に消え去ってしまう。ここに私は注目したい。罪障消滅の大チャンスが到来しているのだと。
私も現代の「不軽菩薩」、乃至(ないし)は、これは誠に最もおこがましいが、無理は百も承知の上で「御本仏宗祖日蓮大聖人様」の事の一念三千の折伏行を借りの似姿の一分でも体現して現代に蘇らせて地で行ってやろうと思い立った。それでも、私はその不軽菩薩、大聖人様の折伏手法を最大限に尊重し用いて支持する事に最終的に思い従い至った。これは大折伏戦に繋がる、私の覚悟だ。
何が迫害だ。何が相手からの暴力、暴虐、妨害、恐喝、強要だ。そんなものなどに、今の私にはちっとも怖くはない。やるなら来い。来てみやがれ。このうすのろ人間めが。こちらは諸経の王、師子王の如くの宗教界の王者であり、こんな妨害者は、野干(やかん)が吠ふるなり、キツネや狸、ハイエナ、野犬の類いの、全くの外野抵抗勢力にしか過ぎない。誰がそんな者に簡単に怖れるか。バカじゃないのか?
来るなら来てみろ。当然、勿論、公権力の、警察の通報等はさせてはもらうが、私個人としても、これ以上の私個人の信仰への妨害、侮蔑、迫害行為等々には、無下に怖れたり、悲観してても埒(らち)が明かないと思い致した。ハッキリと悟った。
やるんなら、派手に相手側も我に打って出て来やがれ。そうして、私は自身の罪障消滅の為の自身の仏道修行の一端をそなたに担ってもらえるのだ。即ち、全ては還着於本人(げんじゃくおほんにん)、相手のそなた側にそっくりそのまま、現罰・現証として顕れて、ムキ出しになって、現れていくのである。
却って私は、福徳、功徳溢れる、そのまま自ら自行化他行を行い、無論、そのお陰で、幸せな境涯にもなれるのである。どうぞご自由にご勝手に!どんどんやってくれ。
その代わり、その罰の出方は、法華経の行者を誹謗迫害した者は、それなりの、それに見合った、確かな罰の出方が必ずや現れる。これは信賞必罰だ。天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず、である。
であるからして、昔から、法華経の行者は迫害される運命にあり、大聖人様の時代から、否、釈尊、その以前から、全く変わらない。これは宿命のようなものだ。
その宿命宿業打破ののろしが、今上がる。迫害された事により、法華経の行者の正義が証明される。
自明の理だが、そんな迫害している卑怯者よりも、百倍千倍万倍優れた存在が私共、日蓮正宗法華講の僧俗一同である事を、そなたには忘れずにお見せしよう。
信仰信心は決して裏切らない事共を、そなた、一闡提(いっせんだい)の大悪人大悪党の頭(かしら)に対して、見せ付けてやる。それにビビるなよ。いつかは、必ず私の正義、天地神明に誓っても、こちらの正当性が証明される時が必ず訪れる。必ずやって来る。邪(よこしま)な悪は滅び、善が生き延びて大成して、その真実真理が実証される時が来る!必ず来る!
私は私の思想・信仰信心に対し即した、いかなる権威権力、その不正、妨害活動、悪辣な策謀策略にも絶対に負けない。負ける気が一切しない。こちらには、大聖人様、大御本尊様、諸天善神様、御法主上人猊下様、末寺の菩提寺のお寺の御住職様、信徒の皆様、その他、多数の味方が数多くいて、私のバックには付いていて下さる。
その威光勢力(いこうせいりき)の輝きを増して味方に付けた私に、個人的に、本当に相対して、本気でやり合い、その敵愾心(てきがいしん)を向けて憎んでいるのならば、正々堂々と、そんな物の影に隠れてコソコソと姿を隠していないで、もっと、明るみの、お天道様の日の差す明かりの目の前で、しっかりとした覚悟を決めて、私に向かって現れてハッキリとモノを言ったらどうだ。ウラでコソコソするな!この卑怯者めが!このコンコンチキのチキン野郎女郎めが!
いいか、わかったな。わかったか?正々堂々とだ。やるならば、男対男(女かもしれないが?!)で、ハッキリと勝負を付けてやる。当然お前は、法の下に裁かれて、刑法その他に触れて、刑務所行きとなるだろうが。そんな事は私の知った事じゃない。たっぷりと、ムショで、まずい飯と、まずい空気、暗い独房の中、一人で沈んだ気分気持ち面持ちで、数年間、打ちひしがれて、反省に反省を重ねて、過ごしてもらう。過ごせ!
とにかく、人の信仰信心の邪魔立てを一切するな。信教の自由を守れ。この事を、今ここで、私は大いに声を大にして宣言して、筆、キータッチを止める。
最後に言わせてもらう。ふざけるのもいい加減にしろ!一切、負けてなるものか!必ず勝つ!お前の首は必ず獲る!
一闡提人の不信仰の貴様とは、大仏法の信心で勝負だ!
以上。よしなに。wainai
※おことわり・おふれがき
尚、私の勤行唱題中の自分の声色(こわいろ)、声音(こわね)、音声(おんじょう)の大きさについては、日蓮正宗第五十九世日亨上人(にちこうしょうにん)が御説き遊ばされた、「尻強(しりづよ)」であり、「中音・中声」で行い、声が大きすぎず小さすぎず、高すぎず低すぎず、早すぎず遅すぎず、見事に、仏教の中庸中道の調和の中、極端に走らない、真ん中の中間の世界観で、猊下様の御指南通り、執り行うものとする。
これで、文句を言ってくるような輩ならば、余程、当宗に偏見悪意を持つ、五逆八逆、十四誹謗の真っ只中の者であると判を下し見做(みな)し定め、こちらも法的措置、自己防衛、正当防衛を、司法なり、行政なり、警察権力機構なりを利用しつつ、声を大にして、訴えて、「不自惜身命」の法華経精神で誓いつつ、この度の犯人、容疑者に、立ち向かってゆく事を自身のライフワーク、信条と致す。
敢えてこれを聞き逃すな!
以上。
これが物的証拠の、BB弾。これが、夏頃我が家に来襲した。