Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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不倶戴天の敵、現時に於いての私の見識、見解! ※長文失礼。先日の書き残し文。←今は全て解決済み

2023年12月05日 18時43分51秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

今日は、星ヶ丘病院へと、自分から、昨日に今日の診察受診を予約して、今帰って来たばかり。

 お薬を替える為。ところが、それらお薬が勿体ない、今までの薬は替わるが、後一週間分は我慢して今までのを飲んで、と、一週間早く来すぎた私も悪いが、と仏法の慳貪の罪を犯しかねない、主治医の先生の判断に、私も異を唱えたが、やはり、勿体ない、という先生のご意見を最後は聞いて、それプラス、今年も師走を迎えて、来年来月初頭までのお薬をもらって来た。

 (中略)(省略)

 私とは、悲しい形で別れた、訪看、訪問看護の、Iさん。この方は、私は,色々と、現在、我が家に来てもらっている、Wさんという、このIさんよりも年上であり私とはタメか、同じくらいの年齢の、お互いの話題が妙に合う、長をこの看護師事務所で務めているお方から、その時の以前からの模様は、割かし、沢山、詳しくその時のいきさつ、詳細を聞かされている関係があるから、恨みは全く無い。

 これは断言でき得る話。やはり、全ての物事の相互の理解、問題解決には、自他共の、数多くの物的な情報量が相当、断然、当然、必要、必須、必然だね!

 それは、母の施設にも、このIさんは来ていて、いつだったか、施設の来訪者のメモを見ると、Iさんと、その訪看事務所の名前を見つけて、いつかは会うだろうな、とは確信をもって思っていた。

 それが、先々月辺り、実現した。向こうから、私が気付くよりも早く「○○さん!こんにちは!」と言い、私と目が合いそうだったが、私は敢えて目も交わさずわざとそらして、合わせずに、会釈だけして、その場を切り抜けた。あっという間の、ニアミスだったが、それ以上の事は、なーんにも起こらなかった。それで良かった。

 ただ、私はその後、そのIさんを、悲しむ、というか、可哀想な人、私を心底から理解する事に失敗した人、人種、といった、憐れみ、のような、仏教でいう、慈悲とは、慈しみ悲しむ、とも書くが、悲しんで、ただ、その時が過ぎるのを見守りつつ、去り際を惜しむ事も無く、ただ、去ってゆくのを待つ。
 
 その、音も立てずに、仏教的無常観でこちらは打たれ満たされた。勿論、無論、軽蔑の意味ではない。一期一会。諸行無常の、仏教的仏法的な世界観である、あくまでも。

 それだけの、縁でしかなかったのだ。私共、元々、私達の間の、間柄、詰まりは、「縁」とは、それきりの、物悲しい程の、宿業、宿命という、一瞬にして終わりを告げた、因縁果報の、因果応報の、関係性、付き合いでしかなかったのだと、その時にハッキリと自覚し理解した。

 だから、私と看護師・保健師Iさんとは、もう、清算された関係に終始しているしこちらも、もう、何のわだかまりもない。有り得ない程、すがすがしさ、清々としている。

 ただ、その、今までの、濃密だった、お互いのやり取り、からすると、この場合だったら、Iさんなら、こう言うだろう、等と、女々しい事などを、今現在の私の担当看護師長の方には言う事も多い。

 それだけ、私としては、Iさんと出会った時から、深くその看護学に透徹、通底した学識に、私なりに、感得し、御尊敬し申し上げていた部分があったのは事実だから、これは隠しようがない。隠し通す積りも必要性必然性も毛頭ない。ただ、立派な人だったと。出来た人だったと。それを私は最大限、褒めている。

 ただ、もう、終わった話は、これ位にしよう。早く忘れようと思う今日この頃だ。記憶が良いのも、その使い方によると、間違って記憶力を異常に発達させたり、異常な記憶力は、人生に間違いを、不幸を、起こすんじゃないか、とさえも近頃は思う。
 

 私の人生の作法・流儀・生き方は、まるで戦前の日本の、清(日清戦争)や、ロシア(日露戦争)、米英仏ソ中の連合国を敵に回した、日独伊三国同盟を枢軸国とする、最悪な結果結末しか生み出せなかった、第二次世界大戦・太平洋戦争・大東亜戦争をついつい想い起こしてしまう。

 あの日本の無謀な、戦争に勝てるという、戦略、勝算の何もない、ただのインチキ戦争の、あのキナ臭い戦争に、ほとんどバカみたいな戦争に、あくどくえげつないあんな愚か過ぎる戦争に、私が歴史からは何も学んではいないな、とは思う。

 しかし、自分をあの、大日本帝国になぞらえる程、私は大人物でも、大失敗者、大戦犯、でもないのではあるが。失敗者ではあるか。愚かさ、物に狂った点が、日本一国と私という自分とを、何故か、同一視してしまう自己自身が確実に自分の心の内に居る。

 ハワイ・パールハーバー、真珠湾攻撃という、やけのやんぱちをやる、すぐにやりかねない、やりたがる、自身の軽はずみな野蛮性などを見て聞き思う限りにおいて。

 それが、自分の人生において、どれだけの大きな損失を生み出すかを、私自身、もっと真剣に考える事だ。

 どんなにひ弱で、卑怯と思われようとも、私の生き方は絶対的に「平和主義者」である事だ。何なら、自分を守るため、その修羅場、争いの場から一人、一目散に逃げ出したって一向に構わない。

 逃げるのは恥でも卑怯でも何でもない。自己を最大限に守るための誇りと希望と自己防衛だ。潔くその場から逃げよう。人目など一切気にはせずに。大義名分はしばらくは置いておいて。

 何か、私の生き方は、時として、戦前戦中の軍国少年青年壮年の様な気がしてならない。絶対に勝つ。欲しがりません勝つまでは、と。一億総火の玉だ、とかすぐ、ムキになり、腹を立てる。悪い性格だ。これこそが自身の人生の目立つ眼前にそそり立つ、障碍、罪障だろう。

 何事も勝負ごと、何でもかでも勝ち負けにこだわり結び付けたがる悪弊、クセは、受験生時代に身につけたものなのか。日本最大の新興宗教と巷(ちまた)で流布される、邪教創価学会のせいなのか、現時に於ける世界に冠たる世界支配大宗教、キリスト教に、その一端、典拠を求めて、習い性となってしまったものなのか?果たして?如何せん、と。

 決して、怒る事が悪い事ではない。と、アンガーマネジメントの本にはちゃんと書いてある。生物生命の、本能が、怒る、という行為そのものである。この行為によって、生物は自分の命を守って来た、何億年という怒りの生命の歴史がある。だから、正当なる怒りは、アンガーマネジメントでも認めている。

 ただ、問題は、その、怒りの起こり始めの方法や、場面での、相応しい怒り方なのか。自己満足的なる怒りは良いのか?ただ単純に、自分の気持ちが治まれば良い怒り。言ってみれば、瞬間湯沸かし器の様な怒りはこの世、この五体には存在せず、段階を経て、怒りというものは、起こる、という。

 それは何事にも、その人に「~であるべきである」という「べき」が一番邪魔をし、悪事を為しているらしい。本人がこだわりがあり、こうあるべきだ、とか、こうするべきだ、とかいう、それを傲慢にも自己の慢心からも他者にも絶対的に求めてしまう。この「べき」が人間を悩まし、人間関係を破壊する、と、アンガーマネジメントの本には書いてあった。

 だから、表題、題名、題目ともいうべき、テーマに、私は、おもむろに、「不倶戴天の敵」などと書いた。

 この、「不倶戴天」とは、日本の国民的辞書の、広辞苑によれば、
[礼記(曲礼上)「父の讐(あだ)は与(とも)に天を戴(いただ)かず、兄弟の讐は兵に反(かえ)らず、交遊の讐は、国を同じゅうせず」](父の仇は必ず殺すべきであって、共にこの世に生きてはいない意)命をかけても報復しなければやまないほど深く怨むこと。不同戴天。ぐふたいてん。「-の敵」

 これ程の怒りは私も持たないが、それでもそれに近い怒りは持つ事もある。

 だから、私は、本や書籍で、人間が変わるとは思えないとも思うが、それでも、何かの役には立つ。そう、やはり、真理真実において、文字で人の人生は変わり得る、救われ得る、との立場に我は立つ。敢えて立ちたいと私は考える。

 儒教や仏教などは、その教えに文字を立てている。文字により、仏教などは、悟りも開けるのであり、それは、御本仏宗祖日蓮大聖人様に言わせれば、不立文字などと言って、自分一人が仏の如くに振舞う自力主義の、曹洞宗や臨済宗などの禅宗こそが、この世の害悪悪行にしかならず、本などに書いてある文字に依らず、一人良しとして、いい気になっているから、(そのくせ、その「不立文字」の言葉も、偽の経典の文字に因るのであり、自己矛盾もいい所だ)「禅天魔」と大聖人様は厳しく「四箇の格言」で罵られ戒められて、お叱り遊ばされたのである。

 とにかく、この稿に於いては、もっと、個人的な恨みを、これでもか、これでもか、と暴き立てる積りで書き殴り書いてやろうと意気込んだが、最終的には、図らずにも、落語のオチというのか、仏教的平和的世界観から、落ち着く所へ落ち着いてしまいました。私にはもう、恨む相手などは、存在せず、居りません、今の現時に於いては確実に。

 書いている内に、人を恨む事がバカらしい。そのバカバカしさに情けない感情に支配される。そんな気持ちに、私の心が揺れ動いている。それが明日は、どう変化して動くのかは、仏様のみぞ知る、なんだろうけれど。けれども、文章を書いている内に、心の中身が浄化された感がある。この感覚は一体どこから来るのだろう。

 悟りとは、仏教でいう、悟達、それへ向かう懴悔悔悛悔い改め、という、私が悟り、悟達論など、本当におこがましい限りだが…。

 罪障消滅、滅罪の在り方、「怒り」からも、「怒りは地獄」とは申せども、十界互具のこの大仏法の大海原の世界では、その地獄界の中の、真っ只中の私がその業火に焼かれている最中でも、その中から、地獄の悩み苦しみ「ぱっと消へ」(日蓮大聖人・新編御書)という、お話の結末へと向かいます。

 地獄の底からでも、突如、仏法の十界中、第六位喜ぶ天界はおろか、第十番目最高位の、仏界へと諸共に瞬時に即時に通達し、没入して悟り切れる、そんな術があったらいいなあ、と、当然、事の一念三千、百界千如、十如是、三千世間、十界互具の理法からは、それらは、在り得る話なのです。

 勿論、ひたぶるの、御本尊様の御前での、ひたむきな、真剣な勤行唱題折伏、自行化他にわたる水の流れる如くの一念の信心が大切なのは言うまでもありません。

 呑気な事を夢想し考える、初冬の候の、寒さの中で考えを巡らす、一己(いっこ)の私なのでした。
 

 とにかく、今では、わたしゃ、敵などはいないよ。いるとすれば、人々を騙して金を取る事ばかりに汲々としている、創価学会・顕正会を代表とする新興宗教教団。

 それから後は、世界に目を転じて見れば、什一献金を未だにやり続けて、世界中で金集めをしている、キリスト教が、今は一番憎いし、それら宗教者及び信者を「折伏」して「破折」してゆこう、この日蓮正宗の大仏法の信心を多くの人に伝えよう、この信念しか、今の私には有り得ないね。いまだにそれら邪師による邪教に邪宗により、相当数の塗炭の苦しみにあえぐ人々、報われない庶民がいる以上、頑張って折伏に励ませて頂く。

 今の季節は、異教の季節であり、日本人なんて、キリスト教国でもないのに、クリスマス商戦なんて言って、異教の祭りをする。

 これは、非常に問題だと、私は、宗教をかじった事がある、現在も日蓮正宗という、宗教を実際にかじる、そのまんまの現実のリアリストの宗教者としても、非常に日本の宗教の現状に危機感をいだき把握しつつ、それを覚えている。その余りの異常性に、耐え忍び、堪えているともいえる。

 何ともむつかしい国だ、日本国とは!八百万の神か?大変な国だよ、この国は!宗教のメッカ、日本、だ!(確か、小説・旧人間革命に出て来た言葉、文章)



※編集後記
 この後、私は、報告がてら、栃木のKさんに電話で一報を入れた。しばらく、笑いながら、Kさんは聞いていた。それから、言葉を待つと、何か、人間革命に出て来た、あの僧侶の話、何て言ったけなあ、○○さん、判らない?
 と聞くので、私は、あらん限りの記憶を呼び覚まして、やっと思い出した。
 それは、「狸祭り事件」という、創価にとっては大事件で、大切なエピソードである。小笠原御尊師という、その当時、戦争に賛成したと言う触れ込みで、学会内では、非常に嫌われていた。神本仏迹論という、その当時の時流を取り入れ、何とか、宗門の将来をやはり憂いてはいたが、そのやり方が、戦後、創価学会では、問題視された。
 宗門は、この時、一時、僧籍剝奪まで持ってゆくが、その後、何も無かったように、僧籍を復職させた。
 その小笠原師が、たまたま、戸田会長が総本山富士大石寺にいた時に、同時にその場に来ている事を知った創価学会青年部一同が、その、小笠原師を取り押さえて、牧口常三郎初代会長の墓の前で、何度も謝罪を要求して、謝らせた。念書も書かせたようだ。戦争に反対した、その事実は現在では、宗門関係者の誰もが、そうでなくても、当時の学会出版物を見れば、それがウソなのは判るが、その当時の学会は、学会は戦争反対を唱えた創価学会として、宗教界では名前を売り出していた。牧口常三郎初代会長は獄死、戸田会長も同じく投獄された、と頑なに信じた。それは事実だが、そこには、不敬罪で逮捕された二名の他は、皆、東京を中心にいた筈の、三千人に上る創価教育学会信者は、皆退転した。
 この時の、創価学会、及び、青年部の行動が、宗門により疑問視され、その責任論が日毎に増していき、遂に、当時の会長、戸田城聖第二代会長が、責任を取って、総講頭を辞任した。
 この後は、戸田会長は、悪乗りして、御宗門の悪口を言い募ったりした時期でもあった。創価学会の戸田会長の恥部と言えば、それまでだが。

 とにかく、栃木のKさんは、今回の事が、お寺という、清浄な場に於いて、それに相応しくはないのではないのか、との疑念を私の話の報告を聞いて、個人的な感想を、その、「小説・人間革命」の中の、「狸祭り事件」になぞらえながら、その、そんな経過をたどって、日蓮正宗の寿海寺も、正常化への第一歩となるかも知れないし、お寺にとっては、雨降って地固まる、良い方向へ行くんじゃないかな、その、H田講頭さんも、彼も反省するんじゃないかな、と言い、私は、とても、あんな奴は、反省なんかは絶対しない、サルでも反省する、という位だから、と言ったが、それには笑って答えるのみで、Kさんなりに、納得はしていたみたいで、お互い、電話をそれきり、切ったのであった。

※、この文章、七千文字をとうに越えております。誰が読むのか、という世界。ダメだねえ、これでは。ダメ出しだよう。ただ、恥ずかしい。

 人を恨んだって、人を呪わば穴二つ、であり、何のメリットもないんだもの。これに気付くのに、今の所、七千余文字を綴ってやっと気付くだなんて、何とも、私自身、愚かですな。見て居られない。情けなやー。でも気付けるだけ、儲けものです。(結局自己満足?)皆さん、済みませんでした。でも、今の私はとっても幸せです。

※編集後記その2
 この編集後記前編には、言葉足らずの面があり、補足すると、私と講頭さんのH田さんとの間で、ひどい、お寺の中での、決闘というか、女性婦人方、お寺の奥様に双方止められる程の大乱闘があり、お互い罵倒の限りを尽くした、否、私への一方的な言葉の暴言、悪口罵詈、講頭さんも私の呼び名がぞんざいで軽んずる発言等を私が聞き逃さず、言葉尻を捉えて、相手憎しから、怒った顛末が、それらの模様が、この記事の元記事となっている事を、読者諸氏には、御考察頂きたく存じます。

以上。よしなに。長文、大変に申し訳なく失礼。wainai 


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