Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

御本尊様、大聖人様…!

2024年01月27日 18時51分06秒 | 日蓮正宗総本山大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 御本尊様、大聖人様。一体、人は、いつ、なんどきにあっても、どれ程、人と別れなければならないのでしょうか?
 私は、いつも、なんどきも、何人もの人々と、別れてゆく、別れてしまう宿命に遭い、苦しみの絶頂をも味わいました。
 何度、この、人々との、際限が無い、別れを経験しなければいけないのでしょうか?
 それを、仏さまは「愛別離苦」と申して、親しくしたかつての付き合いのあった方々との、愛する者たちとの別れの苦しみを、そういった言葉で顕されましたね。
 しかし、私は、現世において、この原則が納得できないのであります。一人、孤独に打ち沈み、こんな事があるならば、最初から出会わなければ良かったのに、とさえ思いに沈みます。
 こんな事を思う方が、女々しく、余りにみっともない、只の蒙昧、愚痴、と仰られるのが落ちではありましょう。
 しかし、そこでも尚、そこから一段立ち入って、私は納得がいかない。これはおかしいと、今も思う、出会いから別れ目への、悲しい思い出ばかりが去年から今年にかけて、立て続きに続き、起こりました。
 私は、出来れば、出会った人々と、別れたくはない、永遠に絶対に。それも許されないのならば、私はどうしたら良いのか。全く、私には、別れへの心の準備、覚悟の程が出来てはいないのです。今現在も。
 永遠、永久という言葉も、仏法仏教の諸行無常の諦観からすると、極めてもろく、崩れ去る。しかし、三世永遠の生命からすると、別れは別れではない、別の意味を持って我らに真実を確信をもって迫って来る。
 大船に乗った如くの安心感の全くない、私の御題目不足が、きっとこんなペシミスティック、悲観的、悲観論に打ちひしがれる原因なのでしょう。
 御題目だ!御題目こそが、人生の暗雲を打ち払う唯一のカギであると強く思い、信じる。これだ。これこそが、私の生きる道。希望。夢へと続く、一本の、限りない道。これをやり切るしか、私の生きてゆく義理と情けは果たせない。
 問答無用で、何を差し置いても、必ず、自行化他行の、まずは、自行の、勤行、これに、唱題行。これに真面目に取り組むんだ、おのれよ。
 とにかく、これから、夕べの勤行唱題に真剣になって、取り組みたいと思います。後は野となれ山となれ!後の事は知りません、全く。それ位で、ちょうど良いのです。
 以上。よしなに。wainai


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