Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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日蓮正宗再帰依・顛末話

2023年04月09日 10時51分16秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 私は昨日はどうかしていて、ほとんどけんか腰であり、問答無用で、まずは講頭・副講頭をなじり、それに端を発して、今度は情けなくも、日蓮正宗を辞めて、どこへ行くかと思ったら何と、キリスト教(笑い)。あれ程、十年間も腐る程、飽きる程やり過ぎて、飽きが来て棄てたおもちゃにすがる子供のように、私の昨日の姿は正に、幼稚化していた。
 そうして、それらお寺の要職についている方々を(ぶっとばす)といったり、もう、日蓮正宗には見切りをつけて、キリスト教へ行く、等とぶち上げてしまう。
 これには、お寺で、栃木から来ている、普段から懇意にしているKさんなど、真っ向から否定に掛かり、心配為され、最後の決め台詞「絶対最後後悔するよ!」と言われ、それでも暫く、私と押し問答の末、私から無理やり引きちぎるように電話を切った。全くもって、無慈悲の極みである。
 それからというもの、私は、タブレットに入った、「聖書」の電子書籍版等を見るが、何だか、「日蓮大聖人御書」よりも読むのに何だか難儀を感じてしまい、それだけ、詰まらない書物だと言う事がここで如実に判明して、性懲りもなく、今度は、行こうとしたキリスト教会の動画サイトを見つけて、見てはみるが、何とも面白味も全く無く、ほとんど興味もわかない始末。しまいには訳の分からん吐き気と眠い眠気に襲われて、しばし横になり、そんな動画も見てはいられず、しばらく時間を忘れて眠りこけてしまった。それだけ、詰まらなかったのだろう。
 退屈で、眠りから覚めると、Facebookで大言壮語をしてみる。けれども何か心ここに在らずで、虚しくなるばかり。キリストを擁護した所で無理になっている、一旦、そんな邪宗教を、好きになれる訳がない土台無理。
 そうして、Facebookに、「時代は変わる」、という、ボブディランの歌のタイトルを自分で偶然どういう訳か書き、そのアルバムの中に、神を批判した歌詞の曲を見つける、たまさか偶然に。それを読んでいて、何か胸が熱くなった。
 その歌のタイトルは「神が味方」という歌で、ノーベル文学賞受賞のボブディランが、極めて苦しみに似た、世界の戦争の歴史を振り返り、その場に神がいればどうなるか、実際には神がいて欲しいと言う願望のまま、強烈な神不在、その場、現場現地では、神不在で、数々の幾多の惨たらしい戦争戦禍が繰り広げられていく、という基本路線の歌、詩である。
 こんな時に、自分が帰依した宗教、日蓮正宗を捨て去ろうとしていた時に、偶然自分が、「時代は変わる」と何気なくFacebook上で口にした言葉が、その偶然タイトル曲の収録曲の「神が味方」は、最大限の、神への皮相皮肉に満ちた楽曲であった。これは、私は良きめぐり逢いだと思って、とっくに、朝、アマゾンで、購入を決めている。現金払いで、コンビニ払いで、この、ボブ・ディラン作・「時代は変わる」を買わせて頂いた。レヴューを見ると、とてもストイックで、極めて重厚な、音はギター一本でシンプルだが、極めて名盤の誉れが高いと評判のディランの初期の名作良作CDらしい。買って得した。
 おまけに、ノーベル文学賞受賞者のCDと来れば、何をかいわんや、である。ビートルズですら、そこまでは行かなかったから。凄いの一言。
 話が脱線した。詰まりは、話を戻すと、キリスト教程の、時間の無駄遣いはない。うちの親戚で、九十を超す親戚がいるが、やはりキリストをやっていて、聞いた所によると、今盛んに「死にたい死にたい」と言って周囲に心配をかけていると言う。そういう人に限って、中々死なない、という人もいるし、人生いろいろだ。この「死にたい病」は、キリスト教特有の病であり、キリスト教は、理想郷、天国思想を別の、この世の外に持つ為に、そうしたおかしな、二元論、天国と地獄、はたまたこの地上世界という、宙ぶらりんな世界観に支配された宗教であり、仏教的見地から見ると極めて不完全な、真理にも基づかない、ウソだらけの世界観で一貫する教えとなる。
 本も見ないで、これだけの知識を披露、卑見し、開陳できる私が、昨日は何、寝ぼけた、不埒で、愚昧で愚妄に満ちた言説を述べていたのであろうかと、きっと、汚らしい、キリスト漬けだった高校時代(安積高校時代)に自身、舞い戻った錯覚にでも陥ったのではないかと自身を疑る。
 いずれにせよ、私は今後も、決して、絶対に、邪教のキリスト、創価、顕正、他、邪宗邪教に染まることなく、一つ正しい御教えの、宗祖日蓮大聖人様の御教え、日蓮正宗を決して過たずに、この宗教を立派に一途に一本気に、信仰し信心し続けていく所存である。それこそ、愚直に、まさしく、「純情一直線」、にである。
 何と、本日、自宅謹慎を決め込もうと思っていたら、お寺に電話をすると、御住職様からラブコールで、「今日の御講、是非とも来なよ、○○君(私)!!!」との熱烈な呼びかけが先程あり、喜んで参上、参詣いたす所存で御座います。その時には、必ずや、粗相のないように、元々仏教的価値観の「非暴力不服従」を貫き、一貫して紳士的かつ、慈悲あふれる平和主義的平穏な一仏教徒として振舞うのが筋ではないのか、筋目、日蓮正宗信徒の在り方としての、お約束、第一義はそこだ!と、絶対の確信を抱くもので御座います。
 
 以上。よしなに。wainai


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