2018年6月16,17日 太宰治没後70年の特別展が三鷹市美術ギャラリーで行われています。
6月16日~7月16日まで
桜桃忌近くなると、三鷹には、太宰フアンと思われる若い人がゆかりの場所を訪ね歩いています。
没後70年ともなると、年々人数が少なくなるかと思いきや、最近は、中国、台湾からのフアンが
多くなってきているそうで、映画、漫画の影響も大きいんでしょうネ。
私の家は三鷹の隣町、跨線橋を渡ればあと7~8分の所です。
今では、太宰の生きた町で、そのまま残っているのは、この跨線橋だけだそうです。
今でも、子供に電車を見せに来るところ。お天気のいい日には富士山を、夕日を見に来るところです。
禅林寺
禅林寺入口
太宰治の墓
向かいにある 森林太郎(森鴎外)の墓
「フォスフォレッセンス」太宰作品から名をとったブックカフェ
禅林寺から約1.2キロ離れた(バスに乗っていった)ところにある、ちいさなお店。
今は、市が運営する「井心亭 せいしん亭」 この向かいに1939年から終戦前後をのぞく7年半、居を構えた。
新築の借家で40平方m。美知子夫人との間に3人の子に恵まれ、生涯で150点の作品のうち、90点
近くを発表した家。今は全て建て替えられて、現存していません。「玄関の前のさるすべり」は、井心亭に
移植されています。
玉鹿石 太宰を偲んで、故郷、青森県金木町産の玉鹿石を石碑としました。
このあたりの玉川上水で(道路を挟んで向こう側)、太宰は入水したそうです。39歳でした。
「太宰治文学サロン」 2009年、生誕100年を記念して、太宰が通った酒店「伊勢元」の跡地に
開設しました。 「資料展示」「情報交流」の場です。ボランティアの人がいろいろ説明して下さって
是非立寄って見るべきところです。
文学サロンの企画展示 太宰治の “愛の言葉” の内
笑われて、笑われて、強くなる。 「human lost」 昭和12年
不思議なもので、大きい苦しみのつぎには、きっと大きいたのしみが来ます。
「虚構の春」 昭和11年
人に「愛される資格」が無くっても、人を「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。
「ろまん灯籠」 昭和15年
どのようにぶざまな言葉でも、せつないこころがこもっておれば、きっとひとを打つひびきが出るものだ。
「逆行」昭和10年