ポルトガル&イタリア放浪2025新春 『 思えば遠くに来たもんだ〜2025 』
ソウルでの家族食い倒れ旅の後、僕は仁川空港からフランクフルト経由ミラノまでの飛行機に乗り込んだ。
今回は20年以上ぶりにリスボン、更には生まれて初めてとなるポルトへ出向きポルトガルジュエリーと出会えないか、そしてイタリアでは4月に向けた仕掛けを”VICENZA ORO”にて組み立てるという大きな目標がある。
しかし昨年11月頭までメールにてコレポンのやりとりしていたリスボンにあるかつての仕入元TORRES 社オーナーのリカルド氏から突然全く返信がなくなり、何かあったのではないかと心配している次第。いずれにせよリスボンに着いたら先ずはアドレスを頼り彼の店へ顔を出そうと思っている。
仁川からフランクフルト、フランクフルトからミラノへ乗り継ぎマルペンサ空港に到着したのは22時すぎであった。残念乍、ルフトハンザ航空は未だに二階建てエンジン4発の所謂ジャンボ機を使用しており、つまりビジネスクラスも最近の個室の様な席とは異なり、隣の人が近かった。まぁ脚が伸ばせフルフラットになる事を考えれば文句を言うことすら憚れるのだ。
翌朝からリスボン移動という事もあり今回マルペンサ空港近郊のホテルに宿泊したのだがリーズナブルで空港アクセスには大変便利だった。 “HOTEL VILLA MALPENSA”
マルペンサ空港近郊の朝は−3℃とキリッとした空気であった。しかし先に滞在したソウルと比べると大した事はない。
リスボンへの飛行機の窓からは真白に連なるアルプスが美しかった。リスボンの気温は11℃とのアナウンスである。
今回のリスボンでの仕事は上に記した通りだが、僕は今から32年前、トロント留学からの帰国時に地球を逆に回ってリスボン入りし親父と落ち合ったのがアリカとしての最初の海外出張だった事もありこの地に他にはない思い入れがある。そしてその際に街を散策し見つけた大きな丸い鉄板で煮込んだ豚肉を挟んだハンバーガーにマスタードを塗りカウンターで立ち食いした記憶がなぜか忘れられず、今回その店をもう一度見つける事が出来ないかと内心思っているのだ。
機内でそんな事をぼんやり考えながら、ふと窓の外を眺めると飛行機は赤褐色のイベリア半島上空を跳んでいた。
思えば遠くに来たもんだ…
リスボンでは結局残念乍、リカルド氏とは会えなかったが、懐かしい街並みを眺めながら昔を思い出すことが出来た。そして煮込み豚のハンバーガーもなんと見つける事が出来、この上ない満足であった。亡き親父と滞在したホテルの場所をぼんやり思い出しテクテクとそこまで歩くとそのホテルアルティスはまだ健在であった。
翌日、ポルトに飛んだ。着いた日はホテルでもらった折りたたみ地図を片手に街を思いつくまま歩いた。ポルトの街はアズレージョ(タイル)が街のあちこちの建築物に嵌めこまれており大変美しい。世界遺産の旧市街は観光客が多すぎるわけでもなくとても歩きやすい。道端でギターを片手に演奏する人の哀愁が漂っている。ここポルトは大航海時代の英雄であるエンリケ航海王子の出生地でもある。この日はこの地にて4月催事のギブアウェイを探求しようと思っていたのだが、お洒落なデザインの石鹸、缶詰、そしてタイルが選択肢となった。
そして最終的にポルトガルのクラシカルなタイルをコルク板に嵌め込んでもらいティーポット置きや鍋敷きを作ってもらう事にした。タイルの柄は個人的にモダンでカラフルな物よりクラシカルな青色と黄色の物を10種類各10枚選んだ。
ポルトにはトリパスと呼ばれる名物料理が有名らしく、これは色んな香辛料を用いたモツ煮込みを白ごはんにかけて食するものである。コレがなかなか美味かった。
街には綺麗に改装された市場があり、肉や魚や野菜から果物や花に至るまで売っていた。魚は余り見た事のない魚が多かった。
その翌朝、ポルト駅より列車で45分ほどでブラガ駅へ。そこからUBERタクシーで更に30分ほど山間を抜けてポルトガル伝統工芸ジュエリー工房がある村へ出向いた。この辺りは日本人は1人も居そうにない。聞けばブラガには日本人が1人いるらしい。
商談を終わらせてまたポルトへ戻る。ポルトにも煮込み豚ハンバーガーを売っている店を見つけ入ったが、リスボンのそれとは異なり個人的にはリスボンの方が3段上であった。
この時期のヨーロッパは朝7時でもまだ暗く、日の出は恐らく8時頃かもしれない。僕はポルトよりベネチアへ飛んだ。
慣れ親しんだイタリアに戻ると気持ちが軽くなる。この日から3日間、PADOVAの常宿に滞在しVICENZAにて開催されている国際宝飾展で働いた。
今春に予定しているアリカコレクション2025京都には創業50周年という事で30年の付き合いとなるGIMOR社からアンドレアの来日が決まった。本当はアントニオの来日を期待したいのだがここ半年でかなり痩せており、聞けば昨年に心臓に9箇所もステントを入れたとの事。皆んな歳をとっていく。又、来月来日のロレンツォも今年5月に晴れて結婚するとの喜ばしいニュースを本人より耳にした。
今回初めてVICENZA OROに出展したChaiyan とそのスタッフらが近郊のホテルに滞在しており、1人の僕を思い2日間も晩めしに誘ってくれる。感謝
旅の最終地であるMILANではかつて常宿として恐らく200泊はしたであろうホテルドゥカディヨークへ6年ぶりに荷を解いた。かつてミラノに来るたびにこのホテルに泊まりここで働くスタッフらとは皆んな顔馴染みだったのだがこの6年で皆んな居なくなり、そしてホテルの価格も2倍以上になった。物価上昇と円安のせいである。
久しぶりにドゥオモ広場からモンテナポレオーネ通りを歩いた。かつて本当に美味くてよく通ったペパームーンもブルーノももう今は存在しない。
また新しいリストランテを探さないとなぁ…
長かったヨーロッパ出張も自分なりに上手く組み立てれたと思う。あとは帰国してからまた気合いを入れて進むだけである。
ポルトガル&イタリア万歳!