TacoToma

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史劇で歴史を読む「善徳女王」の記事

2009-09-17 20:34:46 | 엄태웅
また、ドラマ「善徳女王」を題材に、韓半島の歴史を解説した記事がありました。
(長いです)
ソンドク‐チュンチュ‐ユシン 3人の登場の意義について詳しく書かれています。

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“気難しい”キム・チュンチュ登場、今、新羅3人衆全員集まったよ
[史劇で歴史読み取り] MBCドラマ <선덕여왕>

09.09.16 11:53|最終アップデート09.09.16 11:53
出処:オーマイニュース

風月主を選抜するための最終ラウンドの武術決勝戦にユシン(オム・テウン)とピダム(キム・ナムギル)が上がった中で、その間言論で「善徳女王の最終兵器」と集中的に光をあててきたキム・チュンチュ(ユ・スンホ)がいよいよドラマ<善徳女王>に登場した。

15日に放映された<善徳女王>第34話で初めてお目見えしたキム・チュンチュは開始からとても“非常に難しく”登場した。“国際感覚を備えた外交の鬼才”というイメージが似合うように先進国隋で“中国早期留学”を終えて帰ってきた彼は「馬は恐くて、乗れない」とか「御輿は吐き気がして、乗れない」といい、側近たちをくたびれさせて結局は人知れずに一人で王京に入城した。


「ソンドク-チュンチュ-ユシン」三角編隊登場と三つ意味

これで後日外交と軍事方面で善徳女王の両腕になるキム・チュンチュとキム・ユシンが全員ドラマ<善徳女王>に登場することになった。ソンドク-チュンチュ-ユシンという三角編隊の枠組みが現れ始めたのだ。

ソンドク-チュンチュ-ユシンの三角編隊の登場は韓国史だけでなく東アジア史の次元でもかなり重要な意味を持つ。かれらの登場は国際政治的側面で韓国史と東アジア史に大きく三つの歴史的意義を投じた出来事であるためだ。

最初に、かれらの登場は、韓民族の三国中、最弱体であった新羅が強大国の高句麗・百済を破って大同江(テドンガン)以南を統合することになった歴史的異変の序曲だった。

二番目、かれらの登場は、西北側遊牧民族の中国侵略で東アジアが一大混乱に陥った合間を利用して、ヨドン(満州)を統一して中原を威嚇した高句麗の首筋を捉えてくれることによって中国側の息の根を止めることに寄与した歴史的事件の序曲だった。

三番目、かれらの登場は、従来動揺の陰に隠れて東アジアの辺境に留まった韓半島が東アジアの国際秩序の一つの軸に浮び上がることになる歴史的過程の序曲だった。
1392年建国以後の朝鮮、918年建国以後の高麗、668年の高句麗滅亡以後の新羅が韓半島のような狭い土地を拠点に東アジアの一つの軸になることができたことはソンドク-チュンチュ-ユシン時代の活躍からある程度の力をつけたことであると評価することができる。

上のような三つの点を考慮してみれば、この三角編隊の登場は新羅の立場では当然歓迎するに値することかもしれないが、韓民族全体の立場では損になった側面もあり、利益になった側面もあると見ることができる。

損になった側面というのは唐-高句麗の対決で唐側に力を与えることによって以後韓民族が車・包を欠いて中国と「将棋」を指さなければならない困難を経験することになったことを指し、利益になった側面というのは韓半島、特に大同江(テドンガン)以南が地理的に狭いにもかかわらず、東アジアの国際秩序の核心地域の中の一つに浮び上がることができるようになったことを示す。

ソンドク-チュンチュ-ユシン三角編隊の登場は上のように韓国史や東アジア史に及ぼした歴史的意義と関連するだけで重要性を帯びるのではなかった。 登場時点と出身の社会的階層という側面でもかれらの登場には注目に値する大きな山場がある。

登場時点という側面で見る時に、ソンドク‐チュンチュ‐ユシンは新羅が絶体絶命の危機に直面した時に出現したという点で非常に印象的といえる。かれら3人組が登場した7世紀初期は、4世紀以来の5胡16国時代と南北朝の分裂を克服して中国を統一した隋と唐が四方に向かって、対外膨張を試みることによって東アジア全体的に地殻変動が発生した時であった。

こういう危機状況の中で新羅はそれだけも「二重苦」に苦しめられなくてはいけなかった。隋・唐のパックス シニカ(中国主導の国際秩序)に対抗した高句麗-突厥-百済-日本連帯からすら、新羅は疎外されてしまったのだ。隋・唐というスーパーパワーの出現により東アジアの運命がどうなるかも知れない状況の中で、その上にスーパーパワーに対抗する連帯にすら仲間入りできなかったのだ。

地震で土地が揺れる苦痛(国際秩序の急変)と敵に囲まれた苦痛(高句麗主導連帯との対決)を同時に体験することになったので、新羅の立場では足下の土地も見下ろさなければならなくて周辺も同時に警戒しなければならない二重の苦痛に置かれたわけだ。

北側の高句麗、西側の百済、東側の日本に囲まれた新羅の危機感がどのようだったかは十分に想像しても余りあるだろう。 国際秩序の激変の渦中にかなりの国々は強大国によって、簡単に滅亡した当時の状況の中で、新羅は"夜の間お元気でしたか?"という挨拶を聞かなければならないほど危険だった。

真平王執権後半期の西暦602年から新羅が高句麗・百済の日常的な侵攻に苦しめられたことは新羅が置かれたこうした危機をよく反映している。このような絶体絶命の危機の中で出現したのがまさにソンドク‐チュンチュ‐ユシンの三角編隊であった。これは危機に置かれた新羅が生き残るために出した'劇薬処方'ということができた。

見慣れないカードがなぜ歴史の前面に登場したのだろうか

ところで私たちは新羅が危機克服のために出したソンドク‐チュンチュ‐ユシンカードが既存の新羅社会ではだいぶ見慣れないことであったという点に注目する必要がある。この点は彼らの出身階層によくあらわれている。かれらの出身階層で共通的なことは三人皆みんなが一種の「マイナーリーガー」だったという点だ。

まず、善徳女王は従来の新羅政治では探せない最初の女性国王だった。公州(王女)の身分を持って生まれたとはいうが、男性中心の新羅の政治秩序の中で彼女は政治的に疎外された階層の女性というハンディキャップを抱えていた。

ドラマ<善徳女王>中のミシルを見て「新羅では女性の政治的地位がかなり高くなかったのだろうか?」という考えを抱くこともできるが、筆写本<花郎世記>に現れたミシルの政治的活躍像は明確にドラマよりは何段階か下であった。

次に、キム・チュンチュは政治的に疎外された王族の一員だった。彼は579年に廃位された真智王の孫であった。<三国史記> <三国遺事> <花郎世記>の記録がばらばらなので彼のお父さんがキム・ヨンスなのかキム・ヨンチュンなのかは正確に分からないが、彼が廃主真智王の孫であることだけは確実な事実だ。そこにお母さんの千人公州、またトンマン公州に巻き込まれて、王宮を離れたから、キム・チュンチュは父系で見ても母系で見ても、明確に政治的に疎外された王族だった。

最後に、キム・ユシンはよく知られているように政治的に疎外された伽耶出身の一員だった。もちろんお母さんのマンミョン夫人を基準とすれば真骨正統の王妃族だが、お父さんのキム・ソヒョンを基準とすれば彼は伽耶出身の非主流貴族に過ぎない人物だった。

新羅の政治秩序は男性中心に編成されていたので、彼の政治活動では王妃族という要素よりは伽耶出身という要素が相対的にさらに多く作用する他はなかった。そのような限界を克服して風月主となったという事実だけでも、彼は新羅版「人間劇場」に十分に出演できる人物だった。

このように一様に「マイナーリーガー」に過ぎなかったソンドク(疎外された性別)、チュンチュ(疎外された王族)、ユシン(疎外された貴族)が新羅の政権を取ることができたことは、基本的に彼らの時代が東アジアの全体的に危機感が漂った時代だったためだ。正常な状況だったら、これらの政治的成功ははるかに大きい障害に直面しただろう。だが、危機状況の中で個人の能力が以前よりさらに強調された時代の雰囲気のおかげで、かれらは非主流というハンディキャップを克服して新羅の運命の責任を負う席に上ることができたのだ。

ソンドク‐チュンチュ‐ユシンの登場でよく現れるように、未曾有の危機に処した西暦7世紀の新羅人は既存の「代表チーム」を全面的に総入れ替えして非主流たちを果敢に起用する革新的な「世代交代」を通じて,国家的課題を解決しようとした。

この点は当時の高句麗・百済では相対的にぜい弱だった要素ということができる。少なくとも危機状況の前で過去のことに大きく執着しなくて新しい可能性に信頼を託したという点だけは、当時の新羅が高句麗・百済より先んじたと評価できるだろう。
7世紀の新羅人は「スコップ作業(役立たず)」水準に留まる既存の「代表チーム」に対する未練を果敢に整理して、新しい人々の中で新しい可能性を捜し出す政治実験を断行したのだ。

マイナーリーガーの同盟のソンドク‐チュンチュ‐ユシン三角編隊の登場が現代の韓国社会に示唆することはこれだ。それは韓国が現在の危機を克服して政治経済的課題を成就しようとするなら、既存既得権層の権力独占を果敢に解体して新しい時代に似合った新しい「代表チーム」を出さなくてはいけないという点だ。

既存の「代表チーム」と既存の既得権層ではとうてい国を生かすことができないということが確実になった以上、韓国やはり今は果敢に新しい政治実験に出なくてはいけないだろう。ソンドク‐チュンチュ‐ユシンの登場から私たちは「新しい酒は新しい袋に入れなければならない」という教訓を引き出さなければならないだろう。

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