バブル崩壊後、料亭がつぎつぎとつぶれている。
甲陽園では、1990年に「つる家」が廃業し、2005年に「播半」が廃業した。
「播半」のその後は土地の転売が続いているらしい。
2007年の記事だが、このような情報が出ていた。記事
大阪市内でも、北の大和屋、今橋のつる家はとっくに廃業。
先日も京都吉兆の経営危機の話をテレビでやっていた。
韓国ドラマ「食客」を見ていたら醤油や味噌まで自家製で、食材にも何にもすべて贅をつくした料亭が出てくるのだが、そんなものが韓国では実際に存在するのだろうか?
料亭は旦那衆や文化人が集う場で、社用族や東京なら政治家などで持っていた。
しかし、旦那文化はどんどん縮小し、高い金を出して宴を設けるなど無駄の極みと一掃される世の中になって、個人ではなかなか手のでない料亭は活路を失ってしまった。
そこで受け継がれて来たおもてなしのノウハウや、美術品、食器、料理文化などが散ってしまうことは、まことに残念というしかない。それらを維持できない、また救えない日本という国は、本当に情けない。
甲陽園では、1990年に「つる家」が廃業し、2005年に「播半」が廃業した。
「播半」のその後は土地の転売が続いているらしい。
2007年の記事だが、このような情報が出ていた。記事
大阪市内でも、北の大和屋、今橋のつる家はとっくに廃業。
先日も京都吉兆の経営危機の話をテレビでやっていた。
韓国ドラマ「食客」を見ていたら醤油や味噌まで自家製で、食材にも何にもすべて贅をつくした料亭が出てくるのだが、そんなものが韓国では実際に存在するのだろうか?
料亭は旦那衆や文化人が集う場で、社用族や東京なら政治家などで持っていた。
しかし、旦那文化はどんどん縮小し、高い金を出して宴を設けるなど無駄の極みと一掃される世の中になって、個人ではなかなか手のでない料亭は活路を失ってしまった。
そこで受け継がれて来たおもてなしのノウハウや、美術品、食器、料理文化などが散ってしまうことは、まことに残念というしかない。それらを維持できない、また救えない日本という国は、本当に情けない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます