しばらく前に、『トゥルニエを読む(上) キリスト者の成長と成熟』(工藤信夫 編著・あめんどう)を読みました。
そして、今はその本の中で紹介されている、トゥルニエの『生の冒険』(ポール・トゥルニエ著 久米あつみ訳 日本キリスト教団出版局 )を取り寄せて読み始めました。
そもそも人間には「冒険本能」が与えられている、という視点に私は興味を覚えました。
少しずつ読み進めています。
「...教会の指導者たちはいつも、熱情がふたたび燃え上がることを望むが、すでに取られた方向の中でのみ考える。ところがやって来るのは新しい出発だということになると、最初彼らはあわててしまう。このように新しい出発は、過去の光による彼らの教会観をつまずかせ、くつがえすものだからである。彼らには新しい聖霊運動は進展し完成するよりも、教会を裏切り破壊するものと見えるのである。そこで正規の教会はいつでもすべての深刻な霊的冒険を拒絶して来たし、襲撃を受けたあとではじめて、自分の迫害したものによって救われたことに気づくのだ。... 各時代が冒険であり、ひとつひとつの生が冒険である。…」(『生の冒険』p61-62 )
私も神様のお許しの中で冒険を続けていきたいと思います。
この冒険というテーマを思い巡らしていて、ふと思い出しました。
昨年の牧会塾のクラスで作ったコラージュ(NEXTという題をつけた)です。
保管しておいたファイルから久しぶりに引っ張り出しました。
もう一度、改めて眺めて...
神様の導きと備えへの期待と信頼を新たにしました。
そして、今はその本の中で紹介されている、トゥルニエの『生の冒険』(ポール・トゥルニエ著 久米あつみ訳 日本キリスト教団出版局 )を取り寄せて読み始めました。
そもそも人間には「冒険本能」が与えられている、という視点に私は興味を覚えました。
少しずつ読み進めています。
「...教会の指導者たちはいつも、熱情がふたたび燃え上がることを望むが、すでに取られた方向の中でのみ考える。ところがやって来るのは新しい出発だということになると、最初彼らはあわててしまう。このように新しい出発は、過去の光による彼らの教会観をつまずかせ、くつがえすものだからである。彼らには新しい聖霊運動は進展し完成するよりも、教会を裏切り破壊するものと見えるのである。そこで正規の教会はいつでもすべての深刻な霊的冒険を拒絶して来たし、襲撃を受けたあとではじめて、自分の迫害したものによって救われたことに気づくのだ。... 各時代が冒険であり、ひとつひとつの生が冒険である。…」(『生の冒険』p61-62 )
私も神様のお許しの中で冒険を続けていきたいと思います。
この冒険というテーマを思い巡らしていて、ふと思い出しました。
昨年の牧会塾のクラスで作ったコラージュ(NEXTという題をつけた)です。
保管しておいたファイルから久しぶりに引っ張り出しました。
もう一度、改めて眺めて...
神様の導きと備えへの期待と信頼を新たにしました。